扁額 : 大徳寺 高田明浦管長筆


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建窯とは



   建窯は宋時代、福建の焼き物である国釉の茶盌を造っていた福建省建陽県水吉鎮池中村
   周辺の窯場“水吉窯”“建陽窯”等の総称です。

   建陽には豊富な陶土があり、周辺には燃料に十分な山々に囲まれ、水運に便利な河を持ち、
   当時陶磁器を生産するのに優位な条件が揃っていました。
   建窯の早期は青磁が焼かれ、唐代中期より青白磁、五代末期(宋初期)に黒釉盌(天目盌)が
   加わり、南宋、北宋の両時期には最も盛んで、元時代中期に衰退してゆくまで焼成されてい
   たのです。
   最も盛んであった南北両時代には官窯として青磁、青白磁、黒窯(天目)等の優れた焼き物が
   作られており、2001年6月建窯は国の重要文化財に指定されました。

   さて、ここでは最も日本に深い関わりをもつ事となった黒釉盌に絞って書いてみましょう。
   福建省で焼かれていた黒釉盌は建窯ばかりでなく、武夷山市の遇林亭窯、南平窯の茶洋窯、
   麻沙鎮の白馬前窯、晋江市の磁竃窯、徳化県の蓋徳窯など建陽県の多くの村に窯場が築か
   れていました。
   ここで焼成された黒釉の盌は「黒釉兎毫盞盌」、又は「建黒」「黒建」とも、「烏泥建」「烏泥釉」と
   も呼ばれ、中国国内ばかりでなく諸外国の人々に喜ばれ歓迎されていたようです。
   それは各国々の美術館や博物館に必ず1、2点の建窯産茶盌を見る事が出来るからです。
   とりわけ日本の都道府県各博物館、美術館には数多く収蔵されています。

   例えば、三菱 静加堂収蔵の「曜変天目」、 藤田美術館収蔵の「曜変天目」と「油滴天目」
   (南宋)があります。
   これらは皆、建窯生産の黒釉盌としては最も数少ない世界的にも稀な精なる美しさを湛える
   器です。
   この事は南宋時代、建窯の黒釉兎毫盞盌の中でも、焼成上稀に起こる曜変斑盞、油滴斑盞、
   銀星斑盞が日本へ輸出され、飲茶の習慣のある日本人に使われていた事を示しているばか
   りでなく、日本人が建窯盌に高い美術性を見出していた事を伺い知る事ができるのです。

   建窯黒釉兎毫盞の器は、口部分が薄い他は他の器に比べて比較的重厚で胴から底部分ま
   で厚く造られているのが特徴です。
   これは『格古要論』という文献に記載されている「建窯盌・・・大極厚、而薄者少。」に見る事が
   できます。
   生産品としては茶盌以外に、高足杯、灯盞、盆、壺、鉢、花瓶等が焼かれていました。

   建窯の考古学調査は、大正初年(1912年)日本からの第一陣につづき、1935年にはアメリカ、
   そしてカナダ、フランス、イギリス、シンガポール、韓国、フィリピン、ドイツ、イタリアなど十カ国
   以上の専門家が調査に建窯を訪れています。
   中国では1960年厦門大学の単独発掘調査に始まり、1989年中国科学院の大規模な発掘調査
   を経て、唐代晩年(五代初期)から宋代を経て元時代初期まで使われていた龍のように蛇行す
   る世界最長の窯跡(135.6m)を発見。
   中国国家プロジェクト重大考古学発見の一つに数えられ、現在は窯跡ばかりでなく、福建省沖
   に沈没している貿易船引き上げと共に幅広い調査が進められ、現在に至っています。


                   2003年4月作成(建陽博物館資料参考)




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