福井県越前市朽飯(くだし)町八幡神社 御由緒略記

朽飯(くだし)八幡神社
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御由緒略記

社伝によれば、当社は「正五位八架神」(しょうごいはちかしん )を祭神として創祀以来、千五百有余年連綿として続いてきた古社である。

創建の年代は確定しがたいが、凡そ、十九代允恭(いんぎょう)天皇(412〜452)の御代、煩速日之命(ひはやひのみこと)の神孫にあたる麻羅宿禰(まらのすくね)の後裔(こうえい)、服部連(はとりのむらじ)が織部司に任ぜられ当地に下向して服部郷と命名し、煩速日之命を八架神に合祀して鎮守としたことに始まるものと伝えられる。

その後、顕宗天皇(485〜487)の御代、百済国の怒理使王(ぬりのおみ)(奴理能美)の孫で、阿久太(あくた)の子の弥和(みわ)をはじめ、機織りに長じた織姫たちが渡来し、養蚕と絹織りの技術を郷民に教え、そこで生産された絹織物は貢物として朝廷に上納された。郷民は機織業の繁栄を感謝し、機織の御祭神として「天萬栲幡千幡比売命」(あめよろずたくはたちはたひめのみこと)が祀られた。

奈良時代になると、元明天皇和銅5年(712)には初めて越前国をして綾絹を織らしめられていた。

聖武天皇神亀3年(726)頃には、「八架神」の神宮寺として「朽飯寺」の創建が伝えられるが、それはおそらく泰澄大師による白山信仰の開闢とかかわっていたものとおもわれる。そして、この年から起算して、以来33年毎に御開帳が行われ今日に至っている。

なお、近年境内社として造営された「幡生神社」は、織物の御祭神「天萬栲幡千幡比売命」の御分霊を奉斎し、一段とその神威を確示するものとなっている。
 
 
 
 
 
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