思うがままに・・・ 本文へジャンプ
日記

2016年2月23日(火)
 旅立ち  by 上野美佳     manaヨーガ通信 No.13 より〜
  宇宙一仲良し母娘♪

ついにこの時が来てしまいました…。

今年の4月から、海外に住む彼(イタリア人)の元へ行くことになりました。
うれしい反面、どんな時も一緒だった最愛の母と離れるのが寂しくてたまりません。
私が中学3年生の時に両親が離婚して以来、私は母とずっと2人で支え合い、
毎日笑ってほんとに仲良く暮らしてきました。

いつもスッと姿勢を正し、凛と生きる母のその背中を見て私は今日まで生きてきたのです。
強く、柔軟に、しなやかに、繊細に、陽気に、そして常に前向きに生きているその姿は、
女性らしさの他に、ここぞという時には潔く覚悟を決めて腹をくくる、
まさに武士のようなところがあります。

母はよく「いつ死んでも悔いはないわ」と言います。
この言葉は簡単に発せられるものではありません。
一瞬一瞬を真剣に、そして毎日“ し残しを残さない ”ように生きている母だからこそ、
この重みのある言葉が出てくるのだと思います。

それは真に「命には限りがある」ということを悟っているからなのでしょう…。
そして私に小さな頃から「命を無駄にしなさんな」「魂を汚さないで」と言い続けてきたのも、
“ 明日をも知れぬ命 ”を正々堂々と清く生きていくことの意味を、私に諭すためだったのだと、
今になってようやくわかってきました。

そんな母からしつけられた日々のたしなみや生き方の教えは、
私がこれから人生を生き抜いていくのに最も大切なものとして身に付いています。

母は、私が幼い頃からよく
「生きていく上で“素直さ”と“謙虚さ”、この2つさえあれば、人生豊かに幸せに生きていけるからね」
と言いました。
人に悪いことをしたな、と思ったらすぐに謝る。いいと思ったことはどんな事でもすぐに取りかかる。
人から言われたことは、自分に都合が悪いことであっても真心で聞き、
決してさからわず、学ぶ機会をいただけたことに感謝する。

母はいつもこう言います。「厳しい意見があることは、生きていく上で本当に大切なことなのよ。
それがなかったら人間は、すぐに傲慢になって、ついには裸の王様になってしまうからね…。
お母さんにはいつも厳しく言ってくれる人が沢山いるから本当にありがたいの」と。

母の日頃の表情や佇まいからは、「自分以外の全ての人を師として教えを請おう」とする謙虚な心構えがうかがえます。
それは50を越えた者にとって普通にできることではない気がします。
“素直さ”と“謙虚さ”というこの2つを一生の御守りにして
これからもどの地に居ようが母のように凛と、そして清々しく生きていきたいと思います。

私のこれから先の人生、どんな苦悩や困難が降りかかってきても、
「こんな時、あの母ならどうするだろう」と考え、乗り越えていきます。
 
 私が海外に行ってしまうと、独りになる母が一番寂しくなるだろうに、
「美佳、愛する人の元に一刻も早く行きなさい」と背中を押してくれたのは母でした。
これこそが、子の幸せを願う、母の深い愛なのでしょうね…。



2015年6月9日(火)
山あれば山を観る

2015年 「バリ島ヨガリトリート♪」

大いに盛り上がって、たっくさんの素敵な思い出と共に帰ってきました♪

昨年のバリ島リトリートがとっても楽しかったから、今年もぜひ企画して欲しいとの熱い声を受けて
今年も企画したリトリート…。

昨年は30名という大所帯でのリトリートでしたが、今年は定員を半分に絞って15名に…
「法事で集まった親族ご一行様」 的な人数で、集まった人たちも老若男女全てを含んでいて
ほんとに親族ご一行様のような感じで始終和気あいあいと賑やかに盛り上がりました。





関空にワクワクで集まってきたみんなと…♪ フライト2時間前



名古屋から、綾子さん、友恵さんも参加してくれて、嬉しい〜♪



さぁ〜、いよいよ搭乗です!全員集合〜♪

たいぞうさんは初の海外旅行だというのに、荷物はバックパック1つという旅慣れた感のお洒落さ…。

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7時間弱のフライトで夕方のバリ島に到着、そのままホテルへ…。
今年も滞在するのは豪華リゾートホテル「パドマリゾートat レギャン」
ん〜、何回でも来たくなる最高のホテル。私と美佳は今回3回目のパドマホテル。

まずはホテルのレストランにて夕食…♪

お洒落なお嬢さんたち、ヤングチーム。




そして、アダルトチーム。
あっ、たいぞうさんはまだアダルトチームに入れたら可哀想かぁ…。
花の独身、恋人募集中だもんね。



そして、昨年に続いて今年もリピート参加の保子さん。嬉しいなぁ〜
いつも人生をイキイキと楽しむ姿は、まさにヨギーニ




写真はぼやけちゃってるけど、最高に盛り上がっている熟女チーム&新婚さんのお二人さん






結婚したばかりの政行さんと史華ちゃん、いたるところでみんなでお祝い…♪








では、おやすみなさい。

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さぁ〜、バリ島の朝は「朝ヨガ」から始まります。

初日の朝はあいにくの雨。スコールのような激しい雨。
雨の日は、なんだか落ち着きますよね。
これも雨の持つエネルギーのお蔭…。

雨音を聴きながら、心静かに心と身体と向き合う豊かな時間。
みんな、美しい涙を流してましたね。















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翌日は快晴〜♪

早速、ビーチに出て青空の下で思いっきりヨガ、そして波の音を聴きながら瞑想.




































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今回は、象さんにも乗りにいきましたよぉ〜♪














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夜には、お洒落なBarへ…
目の前には海、その海をライトアップして、それはそれは素敵なBar「クーデター」
これぞバリって感じ…。







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いよいよ最後の「朝ヨガ」









ヨガが大好きになった安菜ちゃんと、ヨガの素晴らしさを伝える美佳…♪




Yoga chages the life.

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搭乗が真夜中の12時のため、最終日はフリータイムに。

たいぞうさん、綾子さん、友恵さん、橋本先生の4人は「鳥」になりに行きました。

初のパラグライダーに挑戦したそうです。





そして、「魚」にもなったそうです。










もしかしたら、この4人が一番バリを満喫したかも…?

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バリ島の初日は、あいにくの雨だったけど
「 雨なら雨を楽しもう♪ 雨のエネルギーを存分に味わおう。」 と思いながら
雨を味わい雨に感謝していると
翌日は快晴に…。

晴れに感謝。

そして、天に感謝。

参加してくれた仲間に感謝。

神々の棲む島 バリ島に感謝。

毎日精一杯顔晴っている自分自身に感謝。

結局、全てが感謝なんだなぁ〜としみじみ感じながら帰国して自宅に着くと
ポストに名古屋のマッチィからハガキが届いていました。

そのハガキに書かれていた言葉と自分の思いがリンクし過ぎていて ニッコリ…。

    山あれば山を観る

    雨の日には雨を聴く

    春夏秋冬

    あしたもよし

    ゆうべもよし


これは山頭火の句ですよね。

禅話の 「日々是好日」に通じ、山頭火の憧れの心境で、何も出来ない自分が、仏の力によって生かされていると気付いた時に、観るもの聴くもの全てが有り難く感じられるものだと悟った句です。


ほんとに笑顔の絶えない愉快な仲間15名とのバリ島リトリートは、最高の思い出となりました♪
参加して下さったみなさん、そして待ってて下さったみなさん、本当にありがとうございました。
バリで充電して、今頃みんなお仕事や家事、勉強、顔晴ってるかなぁ〜。

さぁ〜、今日もどうぞ好い一日を…♪

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この「diary」にUPした写真はほんの一部です。
楽しかった思い出の写真はこちらから…♪

2015年2月23日(月)
ヨガとは、今を生きること


 
インド、ガンジス河の朝日…










 夜が明けて明るくなってきました


 洗濯をする人、沐浴をする人、ヨガをする人


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 今年も師匠に誘っていただき、師匠や名古屋のヨガ仲間と共にインドに行ってきました。

 橋本先生はもちろん、今回は初めて私の生徒も2人一緒に…。

 熱心にヨガに通う尚之君と、千音ちゃんの2人と共に。
 

 関空にて
                                                          搭乗前のひと時
                                                         


 ガンジス河の船の上で千音ちゃんと



 さぁ〜、今からインド寝台列車に乗ります


 その寝台列車の前で


 アシュラムの朝…




 アシュラムの食堂にて


  総勢16名

 前列真ん中が私のヨガの師匠。


 さぁ、総勢16名のインド8日間の旅が始まりました。

 みんなが撮った写真も合わせると、なんと1000枚以上。
 
 なかなか収拾がつかないので、整理するのをもうしばらく待っててくださいね。


 そして明日から、京都西陣道場の岡本洋子先生の元で合気道と禅を学んできますね。

 帰ったらまた整理した写真と共に、インドで学んだことアップしていきますね。

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 武士のようにカッコいい、私の合気道の師匠。

 凛として生きる、素敵な素敵な本物の先生。

 

 『道』を歩むことの厳しさと面白さを、師匠の生きる姿勢から学んできたいと思います。

 禅とヨガと合気道…

 それらが意味するものは

 愛と調和

 みんな繋がっている。

 
 では、お稽古行って参ります。




2014年11月15日(土)
真実が生まれる時 〜パールズを超えて〜

前回UPした、F.S.パールズ氏の <ゲシュタルトの祈り> に深く感動して、色々調べていたら

パールズ氏の弟子、ウォルター・タブス氏がパールズの亡き後 <ゲシュタルトの祈り>を発展させて

<パールズを超えて> という詩を記していたことを知りました。

とても素敵な詩なのでご紹介しますね。

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  <ゲシュタルトの祈り> 
F.S.パールズ

  私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

  私がこの世に存在するのは、あなたの期待に応えるためではない。

  あなたも、私の期待に応えるためにこの世に存在するわけではない。

  私は私。あなたはあなた。

  でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なこと。

  もし出会わなかったとしても、それはそれで素晴らしいこと。

  I do my thing, you do your thing.
  I am not in this world to live up to your expectation.
  And you are not in this world to live up to mine.
  You are you and I am I.
  And if by chance we find each other, it's beautiful.
  If not, it can't be helped
.

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  <パールズを超えて> 
ウォルター・タブス

  私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。

  もしそれだけならば、お互いの絆も私たち自身も失うことになる。

  私がこの世に存在するのは、あなたの期待に応えるためではない。

  しかし、私がこの世に存在するのは、 あなたがかけがえのない存在であることを認めるためであり、

  そして私もあなたからかけがえのない存在として認めてもらうためである。

  お互いの心がふれあった時にはじめて、私たちは本当の自分になれる。

  私たちの心のふれあいが失われてしまえば、私たちは自分を完全に見失ってしまう。

  私とあなたの出会いは偶然ではない。

  積極的に求めるから、あなたと出会い心がふれあう。

  心のふれあいは、成り行きまかせではない自分から求めていったところにある。

  全ての始まりは私に委ねられていて、そして一人では完結しない。

  あなたと共にあるとき 真実が生まれる。   

  If I just do my thing and you do yours,
  We stand in danger of losing each other
  And ourselves.

  I am not in this world to live up to your expectations;
  But I am in this world to confirm you
  As a unique human being,
  And to be confirmed by you.

  We are fully ourselves only in relation to each other;
  The I detached from a Thou
  Disintegrates.

  I do not find you by chance;
  I find you by an active life
  Of reaching out.

  Rather than passively letting things happen to me,
  I can act intentionally to make them happen.

  I must begin with myself, true;
  But I must not end with myself:
  The truth begins with two.



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<ゲシュタルトの祈り> は「自立」を意味するクールさがあり

おまかせの境地で、すべてを委ねきっている感じがします。

でも、<パールズを超えて>は、通い合う 「愛」 や絆を謳った温もりを感じるし

委ねきるのとは少し違って、自分から積極的に行動を起こし掴み取る強さも感じます。

「自立」 と 「愛」 については、私の師匠がヨガの教えとして最も大切なこととして伝えていることです。

自立だけでは冷たすぎて、愛だけでは足りない。

自立と愛を併せ持つことだと…。


師匠の言葉。

「 愛し合うということは依存し合うことではない。

 依存し合って結婚するとうまくいかない。

 自立した者同士が愛し合って結婚すればうまくいく。

 だから、自立しなさい。」

 子供の頃から甘え下手だった私は、自立し過ぎていて結婚生活がうまくいかなかったのかも…。

 過ぎたるはなお及ばざるが如し

 やっぱり大事なのはバランスだね…。


2014年11月12日(水)
而今(にこん)

「 貴女の好きそうな詩をみつけた 」 と

ロマンチストで、物知りで、行動派で、でも、実はシャイな石田さんからメール…

若い頃は大手の商社でバリバリ働き、定年後の今は悠々自適の日々を送り
ヨガにエアロビクスに太極拳、バイオリンにフルートに英会話…
私が知ってるだけでも、こんなに色んなことを楽しむ石田さん。

ヨガの時間は、ただ黙々と身体を動かし、自分と向き合っていらっしゃいます。

そんな石田さんが、私が好きそうだと感じた詩とは

いったいどんな詩だろう?

って、わくわくするでしょ。

それはそれは素敵な詩でした。


私は私のために生き

あなたはあなたのために生きる。

もしも縁があって私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。

出会えなくとも、それもまた素晴らしいこと。
                           ― ゲシュタルトの祈りより ―



さすがは石田さん、ありがとうございます。

で、『ゲシュタルトの祈り』 を調べてみました。

英語やドイツ語で訳されていて、こんな訳もありました。

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du -
私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schon,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。



ん〜〜、ますます素敵で分かりやすいですよね。

きっと、何が起きても、それは「愛」という言葉でしか表現できないのだと私は思っています。

この詩、ヨガでみなさんにお伝えしていることとリンクしていますよね。

『今を生きる』 こと


『自分らしく生きる』 こと


『他人(ひと)に許される為の生き方をするのではなく、自分に許される為の生き方をする』 こと


そして、『 おまかせの境地 』…


出逢うこともご縁


出逢わないこともご縁


すべては セレンディピティー


2014年9月23日(火)
人生の扉

気がつけば、もう、私が大好きな秋桜が咲く季節…。

今日は秋分の日。

欠けゆく月が美しく

明日は新月。

思い出深い夏は、あっという間に過ぎ去り
気がついたら、もう秋が深まりつつあります…。



朝…

そして、夕暮れ時…

この時期のひんやりとした空気と、秋の匂いを感じると、なぜか胸がキュンとなる

私の大好きな季節。

高校を卒業して、初めて親元を離れて大阪に住んだ時も、この時期のひんやりとした空気と匂いを感じ
ふと、歩いていた足を止めて、思い切り深呼吸をして、胸がキュンとしたことを鮮明に覚えています。

悲しいとか 切ないとか そんな感覚ではなく、「あ〜、今日も私は必死でいきてるんだなぁ〜」 と

自分自身を愛おしく感じ、自分自身をギュッと抱きしめたくなるような

そんな、胸がキュンとなる感覚…

毎年、毎年、この時期には、その18の頃に味わったあの感覚を味わっています。


そんな季節を もう何度も繰り返しながら

私も、今年50歳

まだまだだと思っていた50代への扉…。

若い頃から、50歳になることにとても憧れていました。
それはきっと、私の周りに素敵な50代の方々が存在していたからなのでしょうね。

憧れていた50歳ですが、いざ近づいてくると、ふと『衰え』を感じたりする瞬間もあります。

例え毎日ヨガをしていたとしても、時間の経過に逆らえるわけもなく
衰える速度はヨガをやっていなかった人生に比べたら遅いかもしれないけれど
衰えていくことは受け入れなくてはなりません。

それはごく自然なことであり、当たり前のことだから。

わかっていても、その衰えていく自分を寂しく感じたり、焦ったり…。

実際に何でも出来て、そしてまだまだ何でも出来ると思っていた若い頃には味わったことのない感覚を
今、しみじみと味わっています。

でも、これもきっと神様からのプレゼントなのだと思っています。

更年期独特の症状を与えられたことで、少しずつ仕事の量や、自分に課してきた事柄を減らし
それによって自分を緩めることができ、うまくシフトチェンジが出来たように思います。

今は、ひと皮むけたように、スッキリとした毎日です。

そして、今までにはない、穏やかな風景を見ているような気がします。

手放すことによって与えられた時間は、自分と静かに向き合う豊かな時間となりました。


私の人生50年を振り返り、その50年を支えてくださった全ての人に
心から感謝せずにはいられません。

子供の頃から、やけに自立心が強く、人に甘えることができない性格だった私は
いつも、何事にも真剣で、真っ正面から立ち向かい
諦めたり逃げたりすることなく、最善の方法を探しながら
無我夢中で突っ走ってきたように思います。

そして、いつも何かと戦っていたような気がします。

何度も転び、でもすぐまた起き上がり
戦い敗れて苛立ち、戦いに勝って、無駄な戦いだったと気づき落ち込み
息が詰まって苦しくなって、息をしていない事に気づいて必死に息継ぎをして…

どれだけ無駄なエネルギーを使って生きてきたかを知り、
そのお陰で、最小限のエネルギーで生きていく工夫をする智恵を与えられました。


そんな50年間、私が困っていると、必ず、どこからか優しく手をさしのべてくださる人
後ろからガッチリ支えてくださる人、陰からそっと見守ってくださる人
そんな人たちが現れ、私を支えてくださり ここまで導いてくださいました。

人は一人では生きられない、一人で生きているのではない、このことを強く実感しています。

いつも誰かのお世話になり、誰かに迷惑を掛けながら、生かさせていただいている存在であることも
実感しています。

知らず知らずのうちに、どれだけの人に迷惑を掛け、傷つけてしまったか…。

想像するだけで恐ろしくなります。

思い出すだけで、穴があったら入りたいくらい恥ずかしいことや
もうどうあがいても取り返しがつかないことなど、いろんな思い出があります。

でも、例え、消したいくらいの過去だとしても、それも、私にとっては愛しい大切な思い出の一つです。

迷惑をかけてしまった人や、傷つけてしまった人には、今は不可能であったとしても、いつか、必ず
私の人生が終わる時までに謝りにいきたいと思っています。
もし、会うことが許されないのなら、遠くから祈りで謝りたいと思います。

謝らなければ、私の人生に悔いが残ります。
悔いを残したくないのです。


この12月に誕生日を迎えると 50歳になります。

今、ずっと憧れていた50歳の人生の扉に手を掛けて

その扉を開けたら、どんな人生が待っているのか…

きっと、それはそれは素敵な人生なのだと思います。

50年生きてきたその結果が、今であり、今から創るのがこれからの人生であるとしたら
素晴らしい人生が待っていることは間違いありません。

一日、一日を丁寧に、そして出逢うご縁を大切にして、真実の愛をもって生きていきたいと思います。



ふと、神戸のがんたさんが言っていた言葉を思い出し、今、竹内まりやの『人生の扉』を聴いています。

「カーラジオから流れてくるこの曲を初めて聴いた時、あと何回満開の桜が見れるのだろうかと思ったら
涙が溢れてきて、車を停めて泣きながら聴いていたんだ。」と…。

がんたさんは、神戸の大震災の時に被害の大きかった地区に住んでおられ、大きな被害を受け
自分が被災しているにも関わらず、それでも周りの被災された方たちを勇気づけ
自分に出来ることを精一杯されながら、みんなを支え頑張って乗り越えてきた方です。

誰よりも、命の重さや、人の愛の偉大さを、しみじみと味わった人だからこそ
この曲に感動したのだと思います。。


50代、60代、70代…
私もいくつまで生きられるのかわからないけれど
人生の扉を開ける度にワクワクしながら、その時どきを思い存分に味わって、味わい尽くして…

私の命が尽きる時

「あ〜、いい人生だったなぁ。我が人生に悔いなし。ありがとうね。後はよろしく頼むね。」 って
声高らかにそう言って、安心して子供たちにいのちのバトンを渡したいと
今、改めて強く思っています。


そして、愛する人に、どうか、永遠にこの愛が届きますように…。

2013年11月13日(水)
言葉に出来ない感動…




2013年秋の【半断食ヨガ合宿】も、深い感動に包まれて無事に終了しました。

合宿の様子を見たいと、首を長〜くして楽しみに待っていてくれたみなさん
遅くなってごめんなさいね。

この感動を伝えたいと、何日もの間ず〜っと言葉を考えていたのですが
言葉にならず、アップ出来ないまま10日も過ぎてしまいました。

結論は、この感動はとても言葉では言い表せないんだということでした。

言葉には限りがあるし、なのに無理して表現しようとすることにも無理があるし…。

なので、とにかく写真をアップしていきますね。
写真の撮影は、今回の合宿にも参加してくれた纐纈さんです。
私のカウンセラーのような存在で、【傾聴】の達人です。
私が尊敬してやまない彼は、人の心の機微にそっと寄り添える温かい存在です。

決して自分は写真に写らず、その写真の中に風となって存在し続けるのです。

私が言葉では表現出来なかったこと…、彼の撮った写真で感じてくださいね。




 最終日のこの清々しい顔…
 それは、男前だからじゃなくて、魂が美しいのだと、私は思っています。
 合宿も2回目の参加となりましたね。
 もっと、あなたを知りたいです。
 いつも、私とは違った角度から物事を観ているあなたからは
 教えられることが一杯です。
 これからも、もっともっと語り合おうね。

 


 いつも誰に対しても穏やかに微笑む知代美さん。
 ヨガの先生でもあります。
 こんな先生に教えられたら幸せだよね…。
 合宿参加も今回で3回目。
 いつまでも、そのまんまの知代美さんでいてくださいね。

 



 梅醤番茶を真剣に作る松木さん。
 ヨガ歴は、私なんかよりず〜っと長いヨギーです。
 いつも、的確なことを端的に教えてくださいます。
 人生の先輩、これからもよろしくご指導くださいね。   今を肯定することは過去を肯定すること



 遠く茨城県からご参加くださった、磯貝さん。( 樺|屋陶板浴の社長さんです)
 磯貝さんは、ファスティングマイスターの資格を持つ【断食】のプロフェッショナルです。
 日頃取り組まれているのは、食べずに酵素ジュースを飲みながらの断食。
 今回の、ほんの少量の玄米を100回〜200回噛んで食べる【半断食】は初めての経験。
 お茶碗にほんの少しだけよそわれた玄米の量を見て
 『 え〜っ!! 先生〜、いじめですか〜?』 と、おちゃめに笑っていらっしゃいました。
 でも、食べ終えた後、『少ないと思っていたけど、これで足りるんですね〜。』 と…。

 今回は初めての【写経】にもチャレンジです。
 この姿勢の素晴らしさは、生きる姿勢をそのまま物語っているようです。
 内面も外見も私の憧れの女性です。

 

  磯貝さんもビックリの夕食






 今回の合宿で初めてお会いした由希子さん。
 うちのHPを見て下さっていたらしく、メールで参加申し込みを頂きました。
 私のプロフィールと自分が重なるところがあると
 メールで由希子さんの人生について赤裸々にお話してくださいました。
 確かに似ている、波瀾万丈な人生…。
 合宿でお会い出来ることを楽しみにしていました。
 最終日に流した由希子さんの涙…。
 親が子を想う、無償の愛。美しかったです。
 今頃、子供さんをぎゅ〜っと抱きしめているのでしょうね。



感謝の瞑想




 今回初参加の拓郎さん。ヨガも初心者です。
 武生の押田町にあるパン屋さん 『ジョルノ』 のオーナー。
 私の大好きなパン屋さん。
 奥様のまい子ちゃんは、もう何年も前からうちのヨガの生徒さんで
 前回の合宿に参加したまい子ちゃんが、『ぜひ、うちの旦那さんにも勧めたいんです』 と
 今回は旦那さまが参加されました。(まだ結婚されて2週間程の新婚ホヤホヤで参加されました)
 食養生にも興味を持って真剣に勉強されていました。
 ますます身体に優しい美味しいパンを期待してますよ♪

 静かで穏やかな拓郎さん
 さすが毎日パンを捏ねている腕でした
 写経にも真剣





 わぁ〜い♪美和子さ〜ん。合宿も皆勤賞。
 いつも元気で、生きることを精一杯楽しみ味わっている美和子さん。
 どれだけ周りの人たちが勇気づけられていることか…。
 大病をしたとは想像もつかないくらい、誰よりも元気。
 それは、大病から無事に生還したことで、人は生かされて生きているんだということを
 誰よりも深く理解しているから…。
 美和子さんから見習うことが沢山あります。
 
 これからも、美和子さんの生き様で、私たちを導いていってくださいね。






  赫子(かくこ)さん
  初めての参加でしたね。
  途中でちょっと体調を崩されましたが、すぐに元気に…。
  きっと、断食による解毒の作用が起こったのでしょうね。
  解毒出来て、ますます元気になったはず…。
  
 
 



   前回はお母様と妹さんと参加して
   今回は2回目の参加の真里絵ちゃん。班長さんとしても頑張ってもらいました。
   結婚を控えての【半断食】となりました。
   おめでとう、真里絵ちゃん。
   断食で身体を綺麗にしてからの結婚、最高です。
   そして、妊娠したら妊娠中にまた断食をして
   生命力のある子を産んでね。
   産後にもぜひ断食を…。産後の断食は最高の解毒になります。
   
  





  凛とした美しさの美希さん。
  石川県在住の美希さんとも、お会いするのは合宿が初めて。
  とても初めてお会いしたとは思えない親しさを感じていました。
  私が困っていると、いつも黙ってさっと手を差しのべてくれる
  心優しい美希さん。
  ありがとうございました。
  断食の後、二人目の赤ちゃんが欲しいなと言っていましたが
  夢は叶ったかな?
 
 
 



 3日間も家を空けることは初めてだと言っていた千賀子さん。
 色んな難関を突破しての参加となりました。
 誰よりも合宿を楽しみにしていたんじゃないかなぁ。
 自立した生き方をすること、自分にブレーキを掛けずやりたいことをやる人生…
 この3日間で得たものは大きかったと思います。
 合宿の後、『合宿は私にとっても家族にとっても お互いかけがいのない大切な存在だって
 気づけた良い機会となりました。』 とメールをもらいました。
 合宿中、お母さんの代わりをして留守番をしてくれていた娘さん(17歳)が
 合宿後、早速お母さんと一緒にスタジオのヨガに来てくれて入会しました。
 親子でヨガ…、素敵です。


 相手と寄り添う千賀子さん




 今回の参加者の中で最年少の真衣さん。
 細やかな心配りで、周りの人を安心させてくれる真衣さんとは
 まだお会いするのが2回目でしたが
 もうずっと以前から知っていたような、そんな感覚でした。
 合宿のことはHPで知ったからと、すぐに申し込んできてくれました。
 何か物凄いご縁を感じています。
 優しさが見ているだけで伝わる、可愛い素敵な女性です。
 







 わぁ〜い、浩二さん♪
 毎回名古屋から参加してくれる浩二さん、合宿参加は皆勤賞。
 そして、インドにも何回か一緒にいっている浩二さん。
 もうファミリーのような存在です。
 いつも、何事にも静かに落ち着いて取り組み、じっくりと味わっている姿が印象的です。
 気負わず、気張らず、気取らず、ありのままの存在です。
 同じ師匠の元で学んだ仲間。
 こうして今もずっと繋がっていられることが幸せです。
 そしてこれからもず〜っと仲良くしてくださいね。
 来年は、是非一緒にバリ島行きましょ…♪








 裕子さんも、合宿参加は皆勤賞。
 いつも無条件で一番楽しんでくれているのでは…と思っています。
 来年のバリ島行きも、一番楽しみにしてくれているんじゃないかなぁ〜?
 裕子さんの存在のお陰で、『また合宿を企画しよう !! 』 と、思わせてくれるのです。
 いつもありがとうございます。
 来年のバリ島ヨガリトリートも、楽しみにしていてくださいね…♪







 さだこさんは、2回目の参加です。
 初めて参加した高野山での合宿の時、感謝の瞑想で沢山の涙を流され
 次の合宿にも絶対参加したいとおっしゃっていて、今回は日程も都合がついて
 一番のお申込みでした。
 さだこさんはヨガの指導歴でも大先輩です。
 どんな辛い時も笑顔で、いつも感謝を忘れないさだこさん。
 この合宿では最年長だったのですが、10歳は若く見えます。
 これも長年のヨガの効果なのでしょうね。




  若い人たちのお手本です




 今回初めて参加された、朋子さんと佳子さん。
 お友達同士でのご参加でした。
 朋子さんはとても身体が柔らくて綺麗なポーズをとっていました。
 あとは筋力と強さを身につけたら、しなやかさと強さのバランスが取れて最強ですね。
 合宿に参加出来たことも、快く送り出してくれた家族に感謝なんだと改めて実感されたようで
 きっと家に帰られてから、『ありがとう』 が増えたことでしょうね。




 佳子さんが自己紹介でお話してくださったことは、私の中で今も印象深く残っています。
 経験してきたことを淡々とお話される佳子さんの姿に感動しました。
 佳子さんの自分自身に対する深い愛情と、生きることへの潔さみたいなものを感じました。
 きっと、みんなもそう感じたと思います。
 まだまだお話したかったです。
 またぜひ、スタジオに遊びに来てくださいね。




  初めての参加の郁代さん。
  3か月程前から開講した福井の講座の生徒さんですが
  合宿のチラシを渡したら、すぐに 『参加します!!』 と。
  ヨガの講座にも熱心に通われ、ヨガのよさも実感してくださっています。
  合宿に参加したことで、さらにヨガの真髄に触れられたようで、ほんとに嬉しいです。
  感謝の瞑想では、2年前に亡くされたというご主人のことを思い出されて
  ちゃんとご主人に最期に 『ありがとう』 を伝えられていただろうかと、涙を流されていました。
  大丈夫 !!、天国の旦那さんにちゃ〜んと想いは伝わっていますから…。

  合宿の後、早速お姉さんをヨガに誘われて姉妹でヨガに通われています。
  こうしてヨガの素晴らしさが伝わることが一番嬉しいです。

  ヨガは、どんな時も人生のよき道標となってくれますから…。
  
 

 響き渡る『ありがとう』の倍音…




 もう長い付き合いのかおりちゃん。
 合宿も3回目で、班長さんもお願いしました。
 『この人に任せたら大丈夫 !!』 と思わせる、落ち着いた気配りのできる女性。
 この合宿中も、どれだけ彼女に助けられたことか…。
 どこからともなく手を差しのべてくれる優しさに感動しまくりでした。
 毎回合宿では色んな気づきがあり、少しずつ変化していっているのだと…。
 素直で謙虚なのでしょうね。
 【合掌】の意味。自分に余計なものがあれば、喜んでどけていきます。
 自分に足りないものがあれば、喜んで身につけていきます。
 これを素直に実践しているのでしょうね。
 素晴らしいヨギーニです。



 みんなのお世話も慣れたものです




  毎回金沢から参加してくれる麻友ちゃん。
  可愛い可愛い麻友ちゃんです。
  普段はなかなか自分をさらけ出すことが出来ないという麻友ちゃんですが
  合宿は、落ち着いた素直な自分になれる、自分をさらけ出すことが出来る空間だと…。
  み〜んなが優しく寄り添ってくれるからでしょうね。
  そして、みんな何かを抱えながらも、一所懸命に生きているんだということに気づかされるから
  自然と、自分も顔晴ろう !! と思わせてくれるのでしょうね。

  私が師匠から学んだ【人間力】とは、全てをあってよかったに持ち込む力。

  今日麻友ちゃんから届いたお手紙に
  「全てをあってよかったに持ち込めるように、感謝の気持ちを忘れないように心がけたいです。」と
  書かれていました。

  どうやったら全てをあってよかったに持ち込めるかを自分で掴んだのですね。
  そう、【感謝】することなのです。

  次に会う時は、また成長した麻友ちゃんを見れそうだね。
 お人形のように可愛い麻友ちゃん



 
 前回の合宿に参加した太郎君のお母さんである輝代さん。
 いつも子供の話をする時、幸せそうな輝代さん。
 幼い頃からず〜っと頑張ってきた輝代さん。
 もう頑張らなくていいんだよということを学ぶためにヨガに出合ったのだと思います。
 お薬の力を借りながら生きてきた人生を振り返り、色んなことに気づいたようです。
 合宿から、全てのお薬を手放したそうです。
 最初は不安で一杯で、ちょっと苦しい時もあったそうですが
 今は、薬が抜けた清々しい感覚を味わっているそうです。
 『 先生、今、ほんとに気持ちがいいんです。』 との報告に、飛び上がるくらい嬉しくなりました。
 でも、これも無理をせず、頑張り過ぎず、ぼちぼちとね…。

 そして、合宿から帰ったら見える世界ががらりと変わったと、毎日気づいたことを報告してくれるのです。
 家族も、職場の仲間も、みんな優しいんですと…。
 『 先生、きっとみんな今までと一緒なんでしょうけど、私が変わったから変わったように感じるのでしょうね。』
 と、イキイキと話されるのです。

 みんなが持っている【愛】に、どれだけ気づけるか…。

 ラジャヨガの言葉です。

  相手のよろこび失くして
  我が よろこび無く
  相手のよろこび有って後
  我が よろこび成る
 
  これを【愛】といい 【調和】という。

  愛なき者に 愛は来たらず
  心なき者に 心は解らず
  我 愛なくして 心なくして
  生くるを望まず









  そして、いつもどんな時も私のことを支えてくれる
  橋本指導員と、美佳です。
  合宿が成功するのも、二人のお陰です。

  いつも、ほんとうにありがとう。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 参加したみんなで創り上げた【秋の半断食ヨガ合宿】、最高でした。
 そこに集まる人たちの【氣】で、毎回違った合宿が創り上げられるのです。
 まさにライブです。

 いやぁ〜、合宿は最高です !!
 人って、生きるって、こんなに素晴らしいんだと実感させられます。
 ん〜、これだから合宿はやめられないんですよねぇ。

 今回都合で参加出来なかった方も、ぜひ、次回ご参加くださいね。

 あっ、次回はバリ島ヨガリトリートの予定です♪
 もちろん、バリ島では断食はしませんよ〜。
 美味しいものを食べて(もちろん腹八分でね)、ヨガをして、瞑想して、エステやショッピングもどうぞ…。
 多分、5月の終わりか、6月頃になると思います。
 行きたい人、貯金しておいてね。


合宿すべての写真は、こちらから見れますよ〜♪

  ◆ 合宿初日はこちらから
  ◆ 2日目はこちらから
  ◆ 最終日はこちらから

あの時の感動がよみがえってきますね…。
 



2013年8月20日(火)
道のうた − 森川りう

   これから通る
   今日の道 新しい道
   通りなおしの出来ぬ道

   苦しいことから逃げていると
   楽しいことからも遠ざかる

   感謝の心
   みんなあるはず出せるはず
   勝つ人は強いが
   ゆずる人はさらに強い
   人の世は 山坂多い旅の道

   長所はうぬぼれると短所になる
   短所は自覚すれば長所となる

   やり手になるな
   まかせられる人になれ

   如何な云いわけも
   自分の愚かさを隠すことが出来ない

   出来ることはやろうとせず
   出来ぬことばかり心配している

   知りながら
   つい忘れがち親の恩

   幸福はどこにも見えず
   誰にも知れず
   だけどみんなのそばにある

   過去が現在を作り
   現在が未来を作る
   苦しいとも苦しさの中に学ぶものを見よ
   自分より他に自分を苦しめる者はない

   むつかしい事は知らなくとも
   人の悪口を言わないだけでとくになる

   腹を立てまい
   つとめて立てまい
   腹を立てると寿命が縮む

   人を困らせて得た物は
   自分の身につかぬ
   人の欠点にはよく気がつくが
   善行や長所は見のがしやすい
   身なりより光るあなたの心懸け

   ああして
   こうして
   計画満点
   実行せぬは玉に傷

   ほめられて喜ぶ人は多いが
   しかられて反省する人は少ない

   与えても
   減らぬ親切 残る徳
   成り行きは偶然に来るものではない

   いやな仕事も喜んでやれば
   好きな仕事に変わっていく

   人の世話はよく出来ても
   人に恩をきせぬことむつかしい

   右でもない 左でもない所に
   まことの道がある
   仕事も人の心と身になって

   金は重宝なもので神通力がある
   ところが
   金を我身の攻め道具にする人がある

   豊かだから与えるのではない
   与えるから豊かになる

   笑顔でおはよう
   感謝でお休み
   希望と感謝と反省の日を重ねつつ
   我が生涯を意義深く


この歌は、【 内観法 】 を確立された吉本伊信先生の義母、森川りうさんが残された歌です。
『道のうた』…
初めて読んだ時、まさに 【 ラジャ・ヨガ(心のヨガ) 】だと思いました。
ヨガ道の求道の道を歩む私にとっても、その道しるべとなる歌だと…。

   長所はうぬぼれると短所になる
   短所は自覚すれば長所となる

ラジャ・ヨガ(ヨガ修業生心得)にも同じようなものがあります。

   わたくしは、悪口を言いません、自慢しません、自惚れません、干渉しません。

自惚れていないか、傲慢になっていないか、自身を振り返る。
ん〜、自惚れぬまい。偉そうになるまい。

    人の欠点にはよく気がつくが
    善行や長所は見のがしやすい

恥ずかしい話だけど、ほんとにそうだと反省…。

    人の世話はよく出来ても
    人に恩をきせぬことむつかしい

知らず知らずのうちに、恩をきせていないだろうかと、自問自答。

こうして、毎日毎日、歯を磨くように心を磨いていこう。

2013年7月6日(土)
みんな美しい存在
 天に感謝
                                                    
みんなが待ちに待った【2013年半断食ヨガ合宿】も、大感動のうちに終わり
今はその心地よい余韻に浸っています。

今年は梅雨真っ只中の日程だったにも関わらず
な〜んと!合宿の三日間は澄み渡る青空の快晴に…。
まるで天(神)に見守られているかのような温かい安心感に包まれて
みんなの生命(いのち)もキラキラ輝いて
今年も最高の合宿となりました。(って、毎回最高なんだけどね。年々進化してるってことかな…)

そこに集ったみんなが、ありのままでいれるように
静かに自分自身と向き合える時間となるように
まずは私が、気負わず、気張らず、ありのままの存在でありたいと思っていました。




今回の合宿は、参加したみなさん全員【お一人様】での申し込みでした。
誰かと一緒だから安心…とか、誘われたから行ってみようかな…というのではなく
自分自身の『絶対に行きたい』という強い意志のもと参加された方ばかりでした。

参加されたみなさんは

   ・今、自分が抱えている問題や課題を解決するキッカケやヒントを得たい
   ・最近忙しくて疲れている自分への癒しとして…
   ・人生の節目に、これからの自分の在り方を知るために…
   ・ただただヨガ合宿を楽しみたい♪

と、それぞれ熱い想いを秘めての参加だったようです。

私も含め、【ご縁】と【引き寄せ】で集まったみなさんですもの
初めて会った人たちとも、すぐに打ち解けて
それはそれは豊かな時間を過ごすことができました。

毎年参加されている人や、二度目三度目の参加になる人たちは
一年振り二年振りの再会に、駆け寄ってハグをしながら再会の喜びを大いに味わっていました。

生命(いのち)と生命(いのち)が合体して喜び合う瞬間…。
見ているだけで感動です。

そんな仲間が集まる合宿は、日頃はなかなか人に話せないことも
この場だから安心して話せる、という安心出来る場となったようです。
そんな場では、人の話をただ黙って静かに聞き(傾聴)
そしてその人に静かに寄り添うという、ヨガそのものを体験する場ともなります。
みんなが、自然とヨガそのものを体験しているのです。
そして、そんなやりとり中で
それぞれが自分で自分の問題を解決する糸口を見つけていたようです。

だって、答えは全て自分の中にあるんですもの…。

というか、自分の中にしかないのだから…。



まずは、毎年恒例になっている手作り甘酒でみなさんをお迎え…。
朝食も昼食も抜いての集合です。
みなさんの空きっ腹に発酵の自然の甘さが身に染みます。
『お砂糖入ってなくて、こんなに甘いんだぁ〜』と、みなさん感激。
断食中には、【飲む点滴】と言われる滋養たっぷりの甘酒は最高の飲み物。
飲み物だけど、ゆっく〜り噛んで、少しずつ飲んでもらいます。




そして、【梅醤番茶】の作り方もレクチャーし、みんなそれぞれに丁寧に作ります。
たかが【梅醤番茶】と言えど、陰陽の原理を知らずに作るのと、陰陽を調和させながら作るのでは
美味しさはもちろん、そのものの持つエネルギーが違ってきます。

陰陽は知れば知る程深く、ヨガと同じで、一生勉強です。
今回の合宿も、無双原理(宇宙の法則)、陰陽調和は、大切なテーマの一つです。
陰陽調和なくして、【食養生】も【自然療法】もないですから…。

そうして、いよいよ2013年初夏の半断食ヨガ合宿が幕を開けました。



朝は、鳥の鳴き声で目を覚まします。(朝4時頃から激しく鳴き出します)


 読経
                                                 
、まずは、読経から一日が始まります。
塗香(ずこう)で身を清めてから、腹から声を出して読経です。
お経の意味など分からなくていいのです。
無心に一文字一文字腹から声を出すことに意味があるのです。(これは曹洞宗御誕生寺の板橋先生に習ったことです)

そして読経が済んだら外に出て、昇る朝日と共に気持ちよく体を動かし(太陽礼拝法)
その後、爽やかに吹く風を肌で感じながら芝生の上で瞑想…。
天と地の間で、みんなは何を感じていたのかなぁ?














そして、心静かに写経の時間…。
一文字一文字、丁寧に…。
自然と集中力が高まります。

 写経
                                                

食事は、昼食と夕食の二回のみ。
ほんのひと握り(通常だと2口で食べてしまう位の量)の玄米に、きゅうりのお漬物が2切れ
生野菜がほ〜んの少しに、小さな南瓜の煮物が2切れ、そしてお味噌汁。
昨年の合宿より更に量を減らしました。
普段なら、確実に2〜3分で食べてしまう量の食事を
一口100回ずつ噛んで1時間程かけて食べます。
いかにいつもは噛んでいないかを思い知る瞬間です。
そして、通常の1/5か、人によっては1/10しかない量でも
よく噛んで食べれば、その量でお腹が一杯になることを体験すると
いつもは食べ過ぎていることにも気づきます。

食事はもちろん、身土不二、一物全体、陰陽調和を考えています。
それを分かりやすくする為に、【食養生】と【自然療法】の講義もします。
食べることは、そのまま生命(いのち)に繋がることだから
やはり興味深いことなのでしょう、講義を聞く姿勢もそりゃ〜真剣そのものです。
話す私も真剣です。
どうしたら、分かりやすいかを考え、最高の講義をしたいと臨んでいますから。
やっぱり、面白いのが1番!!
みんなで大笑いしながらの講義となりました。




ラジャヨガ(心のヨガ)の講義も同様に、みなさんの『学びたい』という気迫が伝わってきて
時間を忘れて(お腹が空いたことも忘れて)、みなさんも学び、私も学ばせていただきました。
いやぁ〜、ほんとに楽しかったぁ〜。


 
                                                     
 
                                                    
そして、夜はロウソクの灯り元で【五体投地法】…。
『感謝』『懺悔』『下坐』『愛行』『奉仕』の心を養う五体投地法を
呼吸に導かれるように繰り返していく…。
静寂の中に、なにか凜とした強さみたいなものを私は感じていました。




二日目の夜は、クリスタルボールの演奏の中での太陽礼拝法…。
どんどん自分が浄化されていくのを感じていました。
最後のシャバアサナでは、クリスタルボールの美しい音色に包まれて、ぐっすりと眠る人も続出。
クリスタルボールの音色に『グゥ〜、グゥ〜』といういびきがマッチング…。
ほんとに心身ともに癒される夜となりました。


 楽健法



『お互い様』を実践する、【楽健法】もやりました。
【二人ヨーガ】とも言われている【楽健法】…。
美佳(娘)が今、奈良の楽健寺に通い
【楽健法】の発案者山内宥厳先生(ご住職様)から直に指導を受けています。
美佳の指導も、昨年より進化していて、みなさんお互いに癒し、癒される体験をして
ここでもヨガ(自他一如)を実践していました。



                                




                                               
最終日には、その美佳が今ハマッているサルサダンスを披露してもらいました。
美しかったです。
ほんとに美しいと感じました。
きっと、踊る(舞う)ということは、魂の喜びなのでしょうね…。
魂が喜ぶ瞬間というのは、踊っている時でも、楽器を奏でている時でも、合掌している時でも
涙を流している時でも、ただ座っているだけでも、ほんとに美しいものです。
その後、プチレッスンしてもらって、みんなで楽しくダンスタァ〜イム♪
照れながらも、みなさん楽しんでいました。

三日間の合宿も、あっという間に時間が過ぎてしまいます。
最後の感想をシェアする時間が、私は1番好きです。
みなさん、感動の涙を流しながら、合宿の中で気づいたこと、
感じたことを赤裸々に語ってくださいます。
それがまた、誰かの気づきになり、勇気になり、癒しになるのです。
そして最終的に、全てが感謝(ヨガ)に繋がっていくのです。
このシェアの時間は、みなさんがキラキラ輝く瞬間でもあります−☆

きっと、みなさんお家に帰られてから
ご家族の方は『あれ〜、なんか綺麗になったなぁ』って感じてらっしゃるんじゃないかな…。

合宿で、魂が喜ぶ体験を一杯して、きっと魂が磨かれたんだと思います。
みんなキラキラ輝いて美しかったなぁ…。

みんな美しい存在…。
みんな、みんな、美しい…。

また再会できることを祈りながら、2013年初夏の合宿を終えました。

『初夏の合宿』と言っているということは…??

ヘヘッ、秋にも開催するかも?
もちろん、かも?ですぞ…。
お仕事の都合や法事などと重なって、今回の初夏の合宿に参加出来なかった方が
ほんとに悔しい思いをされていましたからねぇ…。

次回は、海での合宿もいいなぁ〜なんて、もう次の合宿のことを考えています。
浜辺で地平線や空を感じながらヨガをして、波の音を聴きながら瞑想して
温かな砂の上でシャバアサナ…。

ん〜〜、楽しみに待っていてくださいね♪

私は昔から、『不言実行』型ではなく、言っちゃったからやる『有言実行』型ですから…。
言っちゃってから、自分を追い詰めるタイプです。ハイ。

では、みなさんの生命(いのち)がキラキラ輝く瞬間をとらえた写真をお楽しみください…♪

合宿のすべての写真は、こちらから見れま〜す♪
枚数が多いから、是非 『スライドショー』 を選択して見てね。

こちらは、石川から参加された健一さんが撮影された写真です。
どれも、健一さんの優しさ思いやりが伝わる、あったか〜い写真です。
見ているだけで、ほのぼのとします。
合宿中も、健一さんにはほんと助けられました。
健一さん、ありがとうございました。
るみ先生を介しての出会いに、心から感謝いたします。

あっ、7/21(日)13:30〜16:30金沢でラジャヨガ(心のヨガ)勉強会をします。
私が(manaヨーガ学院では)とっても大切にしているヨガの一つです。
ぜひ、ヨガの真髄に触れてください。
お申し込みは、るみ先生まで…。

 

2013年1月31日(木)
自分にその準備が出来た時…

 もう1月も終わろうとしていますが
 2013年初めての 『diary』 です…。

 新年のご挨拶もしていないまま、1月も終わろうとしています。
 遅ればせながら…
         今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 2012年12月、周りでは 『マヤ暦が終わる』 『アセンション』 『次元上昇』
 と、盛り上がり、騒がれる中
 私自身は普段と変わりなく淡々と日々を過ごし
 気がつけば、マヤ暦カレンダーの終わる日も過ぎ去って
 2013年に突入していたという感じです。

 周りで起こることや、氾濫する情報に過剰に反応することなく
 私は私らしく世の中を観て、感じて
 力んだり、不安がったり、変に有頂天になったりせず
 自然体でいれるようになったということなのでしょうね。

 年が明けてからは、2月に行う【食養生と自然療法のWS】の告知準備などで
 あっという間に時が流れ
 そのWS も、告知後すぐに定員一杯となり
 みなさんの関心の高さに驚くとともに
 そいうものを、導かれるようにして学んでこれたことへの感謝と
 それをみなさんと共有できることに、この上ない喜びを感じています。
 お申し込み頂いたみなさま、ありがとうございました。
 楽しみにしていてくださいね…♪
 
 『 manaヨーガ学院 』 で教えさせていただいているのは
 ヨガ、ラジャ・ヨガ、食養生、自然療法etc…。

 ヨガ、ラジャ・ヨガにおいては、沖ヨガの教えを師匠から学び
 食養生を【石塚左玄塾】で学び
 自然療法の実践法を、今は亡き沖導師から直接学んでこられた先生方から学ばせて頂いています。

 日本で古くから伝えられてきたものを
 先人たちが丁寧に受け継いでくださり
 それを今度は私を通して次の時代へ受け継いでいく…。
 
 その流れの中の、大切な繋ぎ手となることの喜びと責任を感じながら
 この私の元に伝わるまで
 その間を繋いでくださった、先人たちの智慧と勇気と献身的な行為に感謝せずにはいられません。
 
 私も、学んだことを ただ ただ 実践し、体得し
 決して自己流や我流ではなく、真実を伝えていく責任があります。

 私には、それを教えてくれる最高の師がいます。

 私の人生は、いつも何かしらの大きな流れに導かれているような気がしています。
 導かれるように師と出会い、導かれるように学び、導かれるように教えさせていただいています。

 そして、次々に必要なものが手に入るのです。

 きっと、私にその準備が出来た時に、自然と手に入っているのだと思います。
 
 準備ができていない間は、欲しくても手に入らないのだろうけど
 ただ準備が出来れば、自然と手に入ってしまうのだと思います。

   自分にぴったりの最高の師という
   人生における最高のギフトと言えるものを
   受け取ることができるか否かは
   あなた自身にその準備ができているかどうかで決まってくるのです。

 これは、ヨギー・ゴビンダ カイ師の言葉です。

 【道】 を学ぼうとする時、師匠なくしては進めない。

 我流では、『我』 のままになっていくから…。
 そして、『我のまま』 であることにも気づかなくなるから…。

 もしまだ、先生と呼べる師と出会えてないなら
 まだ生徒になる準備が出来ていないだけのこと…。

 焦らなくても大丈夫!!

 自分に生徒になる準備が出来た時、先生は必ず現れるから…。

 どんなものも、自分にその準備が出来た時、手に入るのだと思います。

 必要なものは、必ず与えられる…。

 与えられないということは、まだ 【その時】 ではないということ。

 これは、私が50年近く生きてきて掴んだ法則。

 焦らず、慌てず、反発せず、抵抗せず、ひねくれず
 素直に、謙虚に
 生きる道が、生かされている道なんだと気づいた時が
 【その時】 なのかも知れません。

 私は、今年も師匠の元で、師匠の生きる姿勢から学び
 更なる歩みを続けたいと思います。

                          合掌

2012年12月29日(土)
忘れる訓練

私たちヨガ修業生には、一生掛けて修業していく沢山の教えがあり
その中に 【業の18ヶ条】 というのがあります。

その18ヶ条の6ヶ条目が 『 憶える訓練・忘れる訓練 』 です。

師匠の弟子となると、師匠からその教えの解説を受けながら
そして、師匠の背中を見て学び、自分の人生に活かしていきます。

『憶える訓練・忘れる訓練』とは…。

憶えるためには、頭の中を整理整頓しなければならない。
整理整頓するためには、忘れることと忘れてはいけないことをハッキリさせる。

2012年の終わりに、師匠から 『忘れる』 ということについて
改めて教えていただいたことがあります。

この 【 忘年会 】 の時期…
年を忘れると書いて、忘年会。
じゃあ、どうしたら年を忘れられるか…?

それは、きれいに仕上げること。
忘れるためには、し残しを残さず、きれいに仕上げること。
し残しがあったり、気になっていることがあったら
忘れたくても忘れられない。
ず〜〜っと忘れられなければ、それは潜在意識にまで入り込んでしまう。
そうならないように、きれいに忘れるために、きれいに仕上げること。

この一年を振り返って、やるべきことはやってしまおう !!

そして、謝らないといけないことは、きれいに謝り
感謝をしないといけないことは、素直に 『ありがとう』 を伝えよう !!

今年も残すところ、あと二日…。

さぁ〜、きれいに忘れるために、きれいに仕上げるために行動しよう !!

そして師匠が今年の終わりに企画したのが、【一年を綺麗に仕上げるワークショップ】 。
ヨガ矯正法で体のバランスを整え、呼吸法、瞑想法を習得してから観音禅で心をきれいにし
食養生メニューでの昼食。
【身体】、【心】、【食】 を正して、清め
ご先祖様、両親、家族、自分自身、社会、地球、宇宙、全てに感謝し
そして、最後に世界の平和を祈り
きれいに2012年を仕上げるワークショップに参加してきました。

師匠の偉大さを実感し
改めて、師匠に出会えたことに感謝する
心温まる一日となりました。

その日(24日)の、師匠のスタジオのトイレに飾ってある【日めくりカレンダー】の言葉を紹介しますね。
町田宗鳳氏が書かれた言葉が日めくりカレンダーとなっています。

    ― 24日 『徳は孤ならず』 ―

    この現実世界を作るのは、すべて自分の心です。
   人生という極めて個人的な作品をどう仕上げるか
   ひとえに自分という芸術家の腕にかかっています。
   そのためにも、人の生き方をとやかく言わないことです。
   その人はその人なりに、その生き方が正しいと思って生きているのです。
   その生き方が、はなはだ他者に迷惑なものであっても、まわりの人間がいくら注意しても
   本人が気づくまで改められることはありません。
   自分の汗や尿の臭いは、自分には分からないのと同じです。

    物や人に向けている意識を、なるべく自分の内面に向けてください。
   人ではなく、絶えず自分を見続けるのです。
   そうすれば物事を善い悪いと判断したり
   人の動きによって左右されていたりした自分の心がぶれなくなります。
   人の言葉にも、振り回されることもなくなります。
 
    あなた自身がほんとうに変わった時
   思いがけず、あなたが苦痛に思っていた人間も変わっているかもしれません。
   そんなことは、現実にもよくあることです。
   自分の信念を貫く人が、孤独であるはずがなく
   敵だった人をも味方にしてしまうことさえあります。
   論語に 『徳は孤ならず、必ず隣あり』 と書かれているのも、そういうことを意味します。

                                       町田宗鳳 日めくりカレンダーより


 私が師匠から学んでいる生き方が、そのまま書かれているのでびっくりでした。
 まさに、師匠の生き方はこの通りなのです。

 常に意識を自分に向け、他を否定せず、責めることなく
 相手を自分の思い通りにコントロールしようとせず
 全肯定で生きています。

 それが、真の意味での
    【自由】(自らに由る)であるということであり
        【自在】(自らに在る)に生きるということなのだと
                               私は理解しています。

 私も、自由に、自在に生きていきたい…。
 

2012年10月14日(日)
生命(いのち)に従う

今、とっても幸せで 充実した 温かい感覚の中にいます。

【半断食ヨガ合宿】 を終えて 早や一週間…。
この一週間、ず〜っと幸せを噛み締めています。

どんな言葉を並べても言い尽くせない、幸せで あったか〜い感覚…。

そして、合宿に参加して下さったみなさんに会うと

みなさん目をキラキラ輝かせながら

『 先生〜、最高の合宿やったねぇ。参加できて、ほんとによかったわ〜。ありがとうございました。』
『 私ね、あの日から人生が変わった気がします。色んなことに気づいたんです。』

と、そんな感想や報告を聞いていると
あ〜、みんなも私と同じ気持ちを味わっているんだな〜と嬉しくなります。

私や参加したみなさんの、生命(いのち)が喜んでいるのでしょうね。

私も何年か前、師匠に出会い、そして師匠から生き方のヒントを学び続ける中で
見える世界がガラリと変わったのと同じ現象が、みなさんの中でも起こっているのだと思います。

    生きる喜び
           生かされている喜び

                    それを、心の底から感じることができた喜び。

今までとは住む世界が変わり
感謝の世界の中で生かされ、光を見出だしたのだと思います。

合宿を企画し、運営した私と美佳(娘)の会話も、毎日こんな感じ…。

   『 合宿、ほんとに楽しかったね〜。』
   『 最高だったね。』
   『 企画して、ほんとによかったね。』
   『 ありがとう、お母さん。』 『 ありがとう、美佳…。』
   『 ねぇ、ねぇ、それにしても、ほんとに楽しかったねぇ。』
   『 あ〜、早くまたみんなに会いたいなぁ。』
   『 わたしたちって、毎日こんなことばっかり言ってるね。嬉しいね。』
   『 ねぇ、この感動っていつまで続くんだろうね。』

                                  と、合宿の話ばかり…。

美佳は、主催者として断食合宿に関わったのは初めての経験。
準備の時から、そして本番も、それはそれはワクワクしながら
『 楽しみぃ〜♪』 『 楽しい〜!!』 を連発しながら、一所懸命に手伝ってくれました。
橋本指導員が松葉杖生活になり思うように動けない分、人一倍動いてサポートしてくれました。
彼女の 『楽しい〜♪』 『幸せ〜♪』 は、完全に周りの人達を巻き込んで、伝染していきました。



 会場となった『八つ杉千年の森』

 大きな荷物を抱えてみなさん続々と到着

 みんな、ドキドキ、ワクワク…♪

 東京、名古屋、岐阜、石川からも…


合宿当日、参加者のみなさんが大きな荷物を抱えて合宿会場に続々集まってくる姿を見ながら
私と美佳は、もうその時点でウルウルしていました。

     みんなが愛おしくて、愛おしくて…。

そして、最終日の閉会式の時、みんなで感想をシェアする時には
美佳は涙をボロボロ流していました。

彼女の21年間の人生の中で、1番感動した日となったようです。

心が柔らかく、優しさ溢れる、天使のような彼女の存在に
私は日々どれだけ助けられ、救われていることか…。

合宿の間も、彼女は私が頑張り過ぎないように、疲れないように
そして参加者のみなさんが快適に過ごせるようにと
様々なことに気を配り、彼女の笑顔はみんなを癒していました。

最終日、もうみなさんとお別れしないといけないという時に
私の生き様を、21年間じっと見続けてきた彼女は
『 私は、母を尊敬しています。愛しています。母が愛おしいです。
 そして、ここに集まって下さったみなさんが愛おしくて…。』 と
ボロボロと涙を流していました。

その姿を見て、私が彼女の母親として生かされていること
彼女が私を母親に選んでくれたことに、心から感謝しました。

そして、私と出会ってくれた全ての人に感謝せずにはいられませんでした。


 感極まって涙する美佳…


今回の合宿は、計らずも、親子で参加された方が3組もいて
うちも含めると、4組の親子が参加していました。

親がお子さんを誘って参加された親子さん
子供が親御さんを誘って参加された親子さん

4組のそれぞれの親子の在り方が
参加されたみなさんに、色んな気づきを与えていたようです。

ご家族にお子さんを預けて参加された方や
もう、子育ては終わった年代の方
まだ結婚していない若い方
離婚を経験されている方、など

様々な状況や境遇の中で、それぞれが 【家族愛】 や 【親子の絆】 について
自然と考えさせられ、そして自然と相手やその状況に感謝の気持ちが湧いてくる
そんな温かい愛溢れる合宿となりました。


 木々の間
                                                    から朝日が…















 まずは大刀氏による講義から…

 さすが !! 分かり易いお話


そして、翌日は私のラジャ・ヨガ(心のヨガ)講義



 真剣に聴き、学ぶ


















 食事の準備はみんなで協力して…



 円になって…



 食事の前に、誓いの言葉を唱える

 いのちを頂きます

 さぁ〜、楽健法(二人ヨーガ)






 沖ヨガ式強化法

 楽しい〜♪

 身体の使い方を学ぶ

 難しい〜!!

 生命を使いこなす為、身体を使いこなす



 身構え方を学ぶ

 護身術も…

 ん〜、気持ちいぃ〜♪





 寝る前にコンニャク湿布【自然療法】

医者に頼らない生き方をするための、【自然療法】の実践です。
今回の合宿の大きな目的の一つ…。

解毒を促すために、腎臓の上に熱々のこんにゃくを乗せてコンニャク湿布。



そして、半断食合宿ではメインとなる【食養生】の勉強…。



最終日は、二胡の演奏と共に心静かにヨガ…。








会うと、ついつい話し込んでしまうタイゾーさん、登場 !!
鯖江の玄米屋さんのオーナー。
ヨガの生徒でもあり、生き方の師匠でもあります。
今日は、おにぎりの配達をしてもらいました。




 小さめに作って頂いた玄米おにぎり


合宿からの帰る道中で、お腹がが空いて、いきなり甘い物や悪食に手を出さないように
玄米屋『たいぞう』さんにお願いして、愛情たっぷりの玄米おにぎりを握ってもらって
そのおにぎり2個ずつを、みなさんへのお土産にしました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

では、合宿の報告をさせて頂きますね。

さて、今回はなぜ【断食】ではなく、【半断食】にしたのか…。
これには、大きな意図があったのです。

     生命(いのち)の声を聴く力をつけ
     
     生命(いのち)の声に従う素直さを身につけるため…

日々、様々な情報に惑わされて
そして、自分の思い込みや思考に邪魔をされ
人間が本来持っている生命(いのち)の声が聞こえなくなっていて
生命(いのち)が喜ぶ生き方が出来なくなってしまっているのです。

それが、過食や拒食、偏食、悪食につながっているのです。

そして、それが病気に繋がっていくのです。

  自分は何を食べればいいのか
  何を食べてはいけないのか
  どれだけ食べればいいのか
  どうやって食べるのか

全ては生命(いのち)に聴けば分かるのです。

生命(いのち)は知っているのです。

この二泊三日という短い期間でしたが
みなさん、しっかりと生命(いのち)の声を聴けるようになっていく姿に、私は感動していました。

人間て、凄いな〜と、何度も何度も感動しました。

そして、それを体験しているみなさん自身が、そのことに一番驚かれていましたよね。

体得したら、もう自分のものです。
もう大丈夫!!

例え、日々の生活に流されて、生命(いのち)の声が聴こえ難くなっても
もう聴き方を体得したのだから、それをまた実践すればいいのです。

合宿では、物を口に入れる前に生命(いのち)に聴く訓練をします。
そうすると、今までいかに見た目や、頭で、食べたり飲んだりしてきたかを知り愕然とします。

そして、自分の適量を知る(聴く)為に、一口一口噛み締めて、咀嚼して
味わって、生命(いのち)が 『もういいよ』 というのを聞き逃さないようにするのです。

半断食の少ない量の食事を、極少量ずつ口に入れ
それを100回噛んで食べます。
もう禅寺での修行の様です。
そうすると、通常の1/3〜1/4の量しかない食事なのに、1時間以上掛かるのです。

いかに、いつも噛み締めず、さっと噛んで飲み込んでいたか…。
だから、満腹感も感じ難く、沢山食べて食べ過ぎになっているのです。

100回噛んでいると、少量の食事でも満腹感があり
生命(いのち)が 『もういいよ』 と言い、残す人もいたくらいです。
本人も、その量で満足に感じることに驚いていました。

半断食では、『 残してゴミ箱に入れるのはもったいないから 』 と
いのちの声を無視して、無理して食べ切ることを教えるのではなく
ちょっとでも味が変わってきたり、「あっ、もういいな」と感じたら
素直にさっと箸を置き、残すことを教えられます。

『 もったいないからと言って、自分の腹をゴミ箱にするな!』 ということなのです。
自分の身体を粗末に扱うな !! という沖ヨガの教えそのもの。
残すことがもったいないと感じたなら、人は知恵があるから
自然と、自然に、次からはもったいないことにならないように
作り過ぎないように、取り過ぎないようにするものです。

これこそが、学びなのです。

合宿で学んだことは、帰ってからもみなさんの生活の中でドンドン活かされ続けているようです。

『 先生〜、あれから家でもよ〜く噛むようになったんです。
 そしたら食べる量も減って体調いいし、体重も合宿に参加する前より2.5キロ減ったんですよ。』

『 今までは頭で食べてたことが分かったから、今は、毎回いのちに聞いています。
 そうしてたら、もう食材の買い物の時から、いのちが教えてくれるんです。』

『 私、何も期待してなかったのに、旦那が 「俺もお前と一緒にやるわ」 と言って
 一緒に50回は噛んで食べるようになったんですよ。もう嬉しくて…。』

『 私がただ黙〜ってやってただけなのに、子供って見てるんですねぇ〜。
 何も言ってないのに、子供の食べ方まで変わってきたんですよ。』

『 私は体重が1キロ増えてきました。今までは、食べても栄養になってなかったんですね。』

と、それぞれが気づき、学んだようです。

そして、それが周りの人たちにも影響を及ぼし始めているのですね。
だから、家族の誰か一人が ( 特に主婦の立場や母親の立場の人が ) 学べば
その家族の【食】は自然と変わっていきます。

家族が健康になっていきます。

【 断食 】 では経験してもらうことが出来ない 『食べ方』 を
【 半断食 】 という形なら経験してもらうことが出来ます。
生きていく上で最も大切な 『食べ方』 を学んでもらい
そしてそれを日々の生活に戻ってから活かすことが出来るような合宿にしたかったので
その目的はしっかりと果たせたようです。

だって日々の生活は、食べないことで成り立っているのではなく
食べることで成り立っているんですものね。

今回の参加者のうち1/3 は去年の高野山断食ヨガのリピーター。
その人たちが口を揃えて 『 今年は、いいわぁ〜。なんでか分からんけど、いいわぁ〜。』 と…。
主催者側から見ていても、それはひしひしと伝わってきます。
みんな、イキイキしていて、どっしりと落ち着いていて
でも機敏に動き、人を思いやり、自分自身も大切にしていて
愛が溢れていて、自分自身を信じることが出来ている。
それが、今年は断食ではなく食べれるから…という単純なものではなく
生命(いのち)に対して素直になっているからだと思うのです。

昨年学んだことに加えて、みんなもう一歩前進したのかも知れませんね…。

その学びは、もうみなさんの一生の宝になると思います。

今回の合宿で学んだ、身体の使い方、心のヨガ(ラジャ・ヨガ)
陰と陽の関係、一物全体、身土不二といった【食養生】
コンニャク湿布、生姜湿布などの【自然療法】などを生活に取り入れて
ぜひ、ヨガ的生き方を楽しんで欲しいと思います。

迷ったら、いのちに聴いてくださいね。

どうしたらいいのか

本当はどうしたらいいのか…

            いのちは知っていますから。

楽しかった合宿の様子を、纐纈カメラマンが撮り続けてくれていたので
ぜひ、みなさん見てくださいね。
楽しかった合宿が鮮明に蘇ってきますよ♪
カメラマンの彼は写真の中には存在しないですが
そこにそのまんま優しさとともに存在しています…。

感動の写真は、こちらから見れますよ〜♪♪

  合宿初日はこちらから
  2日目はこちらから
  最終日はこちらから

みなさん、「来年も絶対参加します!! 」 と 張り切っていたので
来年は定員を増やさないといけないですね。( 嬉しい悲鳴…)
楽しみに待っていてくださいね…♪

本当にありがとうございました。

 いつも支えてくれて、ありがとう!!

裕美子さん、きっといい先生になれるよ

 だぁ〜い好き!!

 みんなキラキラ…☆

 いのちと、いのちの合体

 出会ってくれて、ありがとう…



 4班集合!!




 5班だよ〜





親子で参加

 2班集合!!

雑魚寝組

 1班集合!!





施設の皆様


この合宿に関わってくださった全ての方に、心から感謝いたします。

                ― ありがとうございました ―
                        
                                       合掌

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感動の写真は、こちらから…♪

  合宿初日はこちらから
  2日目はこちらから
  最終日はこちらから

10月05日(金)
行法哲学、そして実践哲学

いよいよ、明日から待ちに待った 【半断食ヨガ合宿】 …♪

6月に告知をして申し込みを開始し、すぐに定員一杯になってしまうほど
みんなが、楽しみに楽しみにしている合宿。
まだまだだと思っていたけれど、もういよいよ明日から…。

私も楽しみで楽しみで…♪♪

7月頃からワクワクしながら準備を始め
準備している真っ最中の8月に、橋本指導員の足首骨折での入院があり
一時はどうなるものかと思っていましたが、しっかり合宿前に退院となり
準備も一緒に進めてくれました。

3度の飯より好きなサッカーで骨折
                                                        名誉の負傷?


 退院の日、いよいよ娑婆へ…


といっても、まだ松葉杖生活だから、事務的な仕事だけ。
いつもなら橋本指導員に頼んでいた力仕事も、今回は全部自分でしないといけなくなり
いかにいつも甘えさせてもらっていたかを実感し
橋本指導員に感謝の気持ちで一杯になりました。

感謝の気持ちを忘れていないつもりでも
やっぱり、いつの間にか当たり前にしてしまっているというか
傲慢になってしまっているんだなぁ〜と
まだまだ修業が足りない私です。

そんな気づきがあった、合宿準備でした。

さて、今日の夕方に 『八つ杉千年の森』 に大量の荷物を運び込み
ほとんどの準備を済ませたので
今は、明日みなさんに飲んで頂く 『甘酒』 を発酵させながら書いています。
順調に発酵が進んでくれたら、寝不足にならずに済むのだけど、どうなることか…。

どうか、美味しい甘酒が出来ますように…。

さぁ〜、明日からは、ヨガ合宿です。

【合宿のしおり】にも謳った通り
合宿は旅行ではありません。

合宿中は、全てがヨガ(行法)だと考えています。

沖ヨガは、生活ヨガ 【 行法哲学】 なのです。
生活の全てをヨガとし、全てが学びであり、訓練法であり、強化法なのです。

そして、【 実践哲学 】です。

実践あるのみ !!

聞いたことは、聞いたことでしかなく
人の経験であって、まだ自分のものではないのです。
自分で実際にやってみて、経験してみないと分からないのです。
経験して、体得して、初めて自分のものになるのです。

そうやって、自分のものを掴むのです。

沖ヨガでは、『 信じるな、疑うな、確かめよ 』 という大切な教えがあり
何事も 『 鵜呑みにするな !! 』 と教えられます。

  沖 正弘聖師の言葉です。

      今、起こっていることから逃げるな

      俺のことも、言葉も信じるな疑うな確かめよ

      騙すな

      騙されるな

      今日一日を生きろ

      明日の事を思いわずらうな

      日々の生活がヨガだ

  
 
 manaヨーガ学院で指導しているヨガは 
 ポーズを中心としたヨガではなく
 心、身、食、息、生活、環境のすべてを改善し
 生活全般のバランスを整え
 心身のバランスを回復し
 自己能力を開発するヨガです。

 合宿では、より深い体験が出来ます。

   明日からの3日間
         大いに楽しみましょう〜♪♪♪

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     今回は用事があって参加できなかったみなさんへ

           また企画しますからね…。
                      次回をお楽しみに〜♪


6月19日(火)
病気になるには、意味がある。

これは、ニューヨーク州立大学病院の壁に書かれていた落書きだそうです。

   大きなことを成し遂げるために
   力を与えてほしいと神に求めたのに
   謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった

   より偉大なことをできるようにと
   健康を求めたのに
   よりよきことができるようにと
   病弱を与えられた

   幸せになろうとして富を求めたのに
   賢明であるようにと貧困を授かった

   世の中の人々の賞賛を得ようとして
   成功を求めたのに
   得意にならないようにと
   失敗を授かった
  
   人生を享楽しようと
   あらゆるものを求めたのに
   あらゆることを喜べるようにと
   命を授かった

   求めたものはひとつとして
   与えられなかったが
   願いはすべて聞き届けられた

   神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
   心の中で言い表せないものは
   すべて叶えられた

   私はあらゆる人の中で
   最も豊かに祝福されていた



 私も二年前、死にたいと思う程の身体の不調と寄り添いながら
 さまざまなことに気づいた。

 自分の中の

     傲慢さ
          強情さ
              そして弱さ…。

 気づいたことで、手放せた。

 でも、まだまだ染み付いてしまっていて
 完全に手放せていないものもある。
 
 でも、気づいていたら大丈夫…。

 いつか手放せる。

 ふと膝が痛くなったり、手首が痛くなったり
 その度に教えられる。

 心と身体は繋がっているから
 身体の不調で、心のことを教えてくれている。
 
 調子が悪くなるのは、「心をお掃除しなさい」のサイン。
 だから、謙虚になり、素直な自分に戻れる。

 こうやって、ゆっくり、ゆっくり、成長していけばいいよね。

 生徒のみんなと共に、一歩、一歩、歩んでいこう…。

 手をつないで…。

 みんな〜、いつも一緒にいるよ…。
 

6月14日(木)
田舎暮らし 始まる

いよいよ 憧れの田舎暮らしが始まりました…♪

昔ながらの物や、古風なことが大好きな私は
いつか、古民家に住み、田舎暮らしをしたいと思っていました。

そして、それが こんなにも早く実現したのです。

昨年の暮れに、山里に引越してきて
早や 6ヶ月になろうとしています。

築100年経った古民家を買って、山里でのスローな生活の毎日…。

この 『diary』 も、昨年10月に更新したきりになっていましたが
引越しの為のアパートの片付け、年末の引越し、そして新しい生活への適応などで
なかなか落ち着いてPCの前に座れずいました。

今は、この田舎暮らしにもすっかり慣れ、存分に楽しめる余裕が出てきたので
そのスローな生活を紹介したいと思います。

朝は5時過ぎに庭に出て、朝日を浴びながらの庭の草むしり。
7時迄は庭でひと仕事…。
それから1時間ほど 自分yoga…。
そして 軽い朝食(日によって、果物を搾ったジュースだったり、軽く玄米とお味噌汁だったり…)。
その後、家の掃除や、サントゥール(インド楽器)の練習、事務的な仕事をこなして
9時半に家を出て、スタジオやレッスン先へ…。
テレビも見ず、新聞も来ない生活。

食べる物は、毎日裏の山や 庭から調達。
野草や雑草を美味しく料理して、自然の生命(いのち)を頂いて生活しています。


 朝摘みのノカンゾウ、タンポポ、菜の花


 ノカンゾウの酢味噌和え

 タンポポの葉っぱのサラダ(デコポン、塩、オリーブ油と和えて)

 菜の花のおしたし

 ヨモギの天ぷら (パリパリで最高 !!)


 5月の食事。主食はもちろん玄米


食物に内在している生命(いのち)と 自分の生命(いのち)が
最も正しく結ばれた食事が 【 ヨガ正食法 】。

感謝して自然の恵みをいただく。

生命(いのち)が喜んでいるのが、よ〜くわかります。

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引越ししてすぐに雪の季節となり
雪国育ちの私でも、この山里の雪の深さにはびっくり !!

築100年の家には、もちろんサッシなど入っていないので
廊下や部屋の戸やガラス窓の隙間からは
冷たい風はもちろんのこと、雪まで降ってくる環境…。
廊下はほとんど外と同じ。
トイレに行くにも気合が必要。
冬の寒さは覚悟はしていたものの、想像以上の寒さと雪の量に
しっかりと冬の洗礼を受けました。

当初は、ぬくぬく暖かかったオール電化アパートでの暮らしが懐かしくも思えましたが
冬は冬らしさを感じることが出来る 自然な環境での生活の方が
私の生命(いのち)が喜んでいるのが分かるのです。

やっぱり、自然なものには、アパートにはない
自然の【気】の流れがあるのです。

 ヨガとは…

   不自然な物や状態を、自然な物や状態に正すことであり
   その不自然さに気づく力をつけること。

   全てに自然性を追求すること。

   自然性とは、バランスのとれていることであり
   その状態が 本来のあるべき姿であり 真実そのもの。

   生命(いのち)が喜ぶ生き方をする、その生活そのものがヨガ。


この山里でのスローな暮らしが
ヨガそのものだと感じる日々・・・。

その穏やかな時間が流れる生活の中で感じるのは
ただ、ただ、湧き起こる感謝の気持ち…。

   まずは、この家にご縁を頂いた、公私共にお世話になっている【(株)オーケン】さんへの感謝。

   そして、私のことを家族のように心配して声を掛けてくれる生徒や仲間への感謝。
   いつも、「先生、無理したらあかんよ!」 「これ作ったんやけど、食べて〜。」
   「最近、先生ほんとに元気になったね〜。」 「先生、引越しした家には慣れた?」
   「先生、最近全然『diary』が更新されてないで、具合悪いんかと心配してたんやで〜」と
   飾らない愛と優しさで一杯…。
   
   無理をすると敏感に反応して信号を送ってくれる この健康な身体への感謝。

   私を生かしてくれる、この偉大なる自然の恵み。

   かけがえのない家族…
                 そして友人への感謝。

                       ほんとうに、ほんとうに
                                 ありがとうございます。

 母親として、妻として、嫁として 家族のために必死で頑張って生きてた時代があり
 二人の子供も社会人となり、その頃を懐かしく思う今…
 これからの人生は、自分の豊かな時間を大切にして
 生命(いのち)が喜ぶ生き方をしたいと思います。
 

    そして、今の私があるのは
    求道の道を歩むことを教えてくれた、師匠松下先生のお陰です。

    師匠のお陰で、今、私は
    真実(ほんと)の幸せを感じながら、こうして生かされています。


                   心からの感謝を込めて―。

                                            合掌

10月02日(日)
生き方としてのヨガ

朝から涙が溢れて止まらなかった。

私のヨガ修業生仲間のブログを読んで、感動したから…。

私には、名古屋の師匠の元で修業する(業を修める) 修業生仲間が沢山います。
その誰もが、多くを語らない師匠の その生き様をみて
師匠の云わんとすることを、己で悟り
【自他一如】 と 【慈悲】 の心で、生きていくのです。

そして、自分はまだまだだという、自分の足りなさに気づき
傲慢にならず、強情にならず
謙虚に謙虚に生きていくのです…。

そんな生き方をする、私が尊敬する友人が書いたブログ…。

彼女は、どんな時もきちんと地に足を付けて
浮かれず、有頂天にならず
決して目立とうとせず、淡々と自分のお役目を果たしている。

自分自身を知っている。

そんな彼女のヨガ教室での出来事…。

人は、同じ波動を持った者同士で強く引き合い
出会い、そして仲間(集団)となっていく。

きっと、彼女の講座だからこそ
素晴らしい人が集まってくるのだろうと、改めて 『 引き寄せの法則 』 を思い出した。

この話を、どうしてもより多くの人に知って欲しいと思い
名古屋に住む彼女に、『載せてもいい?』 と連絡した。
目立とうとしない控えめな彼女だが
私の気持ちを察して、快くOKをしてくれた。

ブログの途中からを抜粋。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  今日、ヨガ後のお茶タイムで
  生徒さんのお兄さんご夫婦(たぶん60歳前後)が
  養護施設から里子を引き取って育てているお話を聞きました。

  子供は小学1年生の女の子で、学習障害があるとのこと。

  自身の子供達はすでに成人を過ぎて独立しており
  その後の夫婦だけの人生を考えた時に
  将来の日本を背負っていく幼い子供達の
  助けになれることをしようと話し合って決め
  里子を引き取ることにしたそうです。

  年齢や性別、障害の有無など、一切の条件をつけない。ということも夫婦で決め
  なかなか引き取り手のなかったその女の子を引き取ったそうです。

  こまかい経緯などは省きますが、新しい生活が始まって数ヶ月
  本当に紆余曲折、厳しいこともある生身の話に、かなり衝撃を受けました。

  話を聞いて、生半可な気持ちではできないなぁと感心するばかりでしたが

  「また家の中が明るくなったなぁ〜」
  「子供の体力はすごいんだ〜」

  と笑って話すお兄さん夫婦の明るい性格と、まわりの親戚の人たちや
  近所の人たちのサポートもかなりあり
  あぁ、昔の日本人ってこうだったのかもなぁ、、と思ったのでした。
  自分ちの子供も近所の子供も皆、分け隔てなく、ゴハン食べさせたり
  面倒見たり、叱ったり、、貧しくても楽しい時代があったなぁと思い出しました。

  なにより素晴らしいのは
  お兄さんは、3歳くらいの知能だと言われているその女の子に

  「おまえはな、うちに来るために生まれてきたんだぞ。」

  と、いつもいつも話していることです。
  子供は、何気なく聞いているかもしれない。
  でも、この言葉ほど、安心できる言葉はないかもしれない。

  みんなでヨガをした後、自然にこんな話を聞かせてもらえたことに
  その場にいた全員の心がふわっと暖かくなった。

  人生は簡単なことや綺麗ごとばかりではないけれど
  真面目に生き、子供達が大人のせいで不幸にならない世の中にしていこう、と
  真剣に実行している人がいることに希望が持てた話でした。

  福島の子供達や、東北のみんなが、日本人全体が
  正しいことを知り、安心して生活出来るように、次につなげていけるように
  大人達は日本人としての誇りを持って、正しく行動しなければいけない。
  金や権力にまみれた人間は、不幸だ。

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 このブログを書いた彼女は、読書家であり、とても勉強熱心。

 でも、それをひけらかすこともなく、おバカな話もセンスが光るのです。

 バランスのとれた、素晴らしい女性…。
 
 そのバランスのとれた目で
 世の中のことも、いつもきちんと観ている。

 これこそが、ヨガだと思う。

 彼女の存在自体がヨガであり
 里子を引き取られたご夫婦も、生き方そのものがヨガ…。

 ヨガは、生き方…。

      私も、私の存在自体がヨガでありたいと思う。

      そして、生き方としてのヨガを指導していきたい。
 

8月28日(日)
聞と思と修

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 教えは、つねに聞き、つねにそれを心に思い
 つねにそのように実行してゆくのでなければ
 ほんとうに自分のものとはならない。
 まず聞くということが第一だ。

 聞こうとする、読もうとする心がなければ
 教えがいくら立派であっても 自分には伝わっては来ない。

 せっかく、よい教えが宝の山のようにそびえていても
 その山に一歩も足をふみ入れない人には
 その山の宝を手にすることはできない。
 次には、教えを聞くことができても
 どのようにその宝が役に立つか知らないようなものである。

 最後に、立派な宝だとわかり どのように役立つかを知っても
 ほんとうにこれを役立てなかったならば
 その宝はもちぐされである。
 このように、つねに聞いた教えを実行してゆかねば
 教えのもちぐされである。

 このように、つねに聞き、つねに思い、つねに実行に心がける。
 この三つがそろったとき
 はじめて ほとけの教えに遇うた人と云われるのである。

 これを 聞(もん)・思(し)・修(しゅう)の三慧(え)という
 三つの智恵なのである。

                          ― 新訳仏教聖典より ―

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 ラジャ・ヨガで学んだ 【 知行合一】 (ちごうごういつ)で生きる ということと同じだろう。

 知ったことを、直ぐ実践する。
 いいと思ったことは、直ぐ実践する。
 『 知った止まり 』 にならないこと。

 そして、進んでよい教えを聞こうとすること。

 聞くときは、聞く心得として
 抵抗せず、反発せず、ひねくれず
 自分の 『我』 を入れず
 素直に、そのまんまを聞く。

 先日、じっくりと師匠とお話ができる機会がありました。
 今の、私の状況、私の周りで起きていること
 そして、今わたしが抱えている苦悩について…
 いろいろ話しました。

 いつものように、師匠は、ただ黙って 『うん、うん』 と
 優しくうなずきながら聞いてくださいました。

 夜中に、突然目が覚めて
 とてつもない不安が押し寄せてきて
 動悸が始まり、呼吸が苦しくなり、【死】を意識してしまうことがあること。
 
 自分では、もう消えた(解決した)と思っていた
 【恨み】の感情が、まだ残っていることに気づいたこと。
 
 どんなに修業しても、まだまだ自分の中に残っている
 ドロドロとした醜い感情を
 師匠には、包み隠さず その全てを聞いてもらいました。

 きっと、誰かに聞いてもらわないと
 自分が壊れそうになっていたのだと思います。

 そして、自分を正したかったから
 師匠に聞いて欲しかったのだと思います。
 
 聞き終わると、師匠は 『 あのなぁ …』 と
 ゆっくりと、話し始めました。

     そうか、今、不安の中で生きとるみたいだなぁ。

     でもな、何も心配する必要はないんだよ。
     大丈夫だから、心配しなくていいんだよ。
     生命(いのち)は、ちゃ〜んと生かされているんだから。

     もっと、安心しなさい。
     【 大安心 】 の中で生きなさい。

     わたしはな、【 大安心 】の中で生きとるからな
     なにも不安が無いんだ。

     なぜだかわからんが、全く不安が無いんだ。

     これが 【大安心】 (師匠は、丹田に手を当てていました)の中で
     生きるということなんだ。

     もっと、宇宙と繋がりなさい。
     宇宙と繋がって生きなさい。

     そのためにも、今日講座の中でやった呼吸法をしっかりやって
     もっと、自分の中を浄化しなさい。

     そして、責めないこと。(これは、人に対しても、自分に対してもだと思います)

     責めない生き方をしなさい。

     それから、競争の無い世界で生きなさい。

     競争の世界で生きとるから、苦しくなるし、不安になるんだ。

     競争の世界から出なさい。

  私は、何回も ハッと気づかされました。
  そうか、そうだったのか。
  よし、今日から また生き直すぞ !! と、急に目の前が明るくなりました。


  私は、ちょっと意地悪に 師匠に聞いてみました。

  『 先生は、人に対して恨みを感じたり、不安になったり、悩みを抱えることはないんですか?』
                                                        

  師匠は

  『 ん〜、ないな。
   あったとしてもな、自分の力でどうにもならないことは、おまかせするんだ。
   そのまま置いておくんだ。( 師匠は両手の平を頭より上の方に差し出しながら )
   自分で何とかしようとせずに、おまかせするんだ。』

  これも、ラジャ・ヨガで学んだ 【 おまかせの境地 】 のことだ。

  今回、師匠から学ばせていただいたお話は
  考えたら、もう既に何回も学んでいたことだった。
  
  ただ、身についていないだけ。

  まだまだ本気さが足りないと、思い知らされました。

  充分に本気なんだけど、まだまだそれに勝る甘えがあるということなんだと思います。

  いつも、本気・本腰・真剣に
  【 知行合一】 で生きる師匠の背中を見続けていれば
  私は、どうしなければいけないかがわかります。

  こたえは、そこにあるのです。

  あったのです。

          師匠、ほんとうにありがとうございました。

          これからも、師匠の生き様で
          その背中で
          わたしたち弟子を 導いていってくださいね。

6月29日(水)
いのち



   
   


  突然、友人が亡くなった…。

  まだ、現実として理解していない自分がいる。

  友は、最後に何を想い、何を言いたかったのだろう?
  
  残された私たちは、今、自分の生き方を見直す機会を得た…。

  以下の文は、丁度、昨日の日付で更新されていた
                             師匠の言葉…。

  なんかタイムリーな更新と内容に、驚いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 
      心のヨガ

      心のヨガとは、心をコントロールすること。

      心からしたくってする。嫌々しない。喜んで、進んでやる。
      楽しむ工夫をする。
      そして、心が一番喜べるような生き方をすること。
      後悔しない生き方、心から安らげる生き方をすること。

      アホなことをして後悔した場合、そのまま落ち込まないコツ。

      それは、その間違った生き方を正すと心に決めることだ。
      心から謝ればいい。
      落ち込んでだままでいるのは、その間違った生き方のままで都合のよい事を望むからだ。
      
      そのままの自分でいたがる心=ずぼらな心があるからだ。

      「いのち」は、うれしい、楽しい、気持ちがいい、と喜びで生き方の正しさを教えてくれる。
      「いのち」は、苦しい、さびしい、気分がわるい、と不快で生き方の間違いを教えてくれる。

      「いのち」が喜ぶ生き方をしよう!

5月31日(火)
ヨガ入門心得 13

  

   私たちヨガ修業生は、自分の人生を自分らしく
   自分の生命(いのち)が喜ぶような生き方をするために
   日々修業しています。
   修業するための、【 ヨガ入門心得】 という20ヶ条があります。
   毎回、師匠と共にその20ヶ条を唱え
   自分の生き方を省みています。

   その13番目に
   
     13. 優しい自分、思いやれる自分、求めさせることのできる自分になりたい
   
   というのがあります。

   20ヶ条のうち、他の19の心得は、【 〜せよ 】、【 〜すること 】 という言葉で終わっているのに
   13番目の心得だけは、なぜか【 なりたい 】 で終わっている。

   それは、なぜか…?

      それは、それが生命(いのち)の叫び そのものであり
 
                       これが、生命(いのち)の声だから…ということ。

   人はみな、生まれながらに、この思いを持っているのだそうです。

   でも、育った環境や、出会う人たちの影響などで
   この思いに雲がかかり、もしかしたらこの思いを忘れてしまっているかも知れないけど
   本来、人は心の底に、この思いを抱いているのです。

   だから、東日本大震災が起こった日から
   こうして、みんなが 『 何か自分に出来ることがしたい 』 という思いを抱き
   『 果たして、自分に何が出来るだろう?』 と
   それぞれが、自分に出来ることを一所懸命に考え( 悩みながら、もがきながら )
   自分に出来ることを探して、一歩ずつ行動しているのだと思います。

   追われるように過ぎていく日々の生活の中で
   忘れかけていた、心の底にある思いを ( いのちの声を )
   みんなが、この震災によって思い出したのでしょうね。

   やっぱり 【生命 (いのち)】の力 は凄い !!
   
   ヨガは、その生命(いのち)の力を甦らせるものであり
   そして、その生命(いのち)の声に素直に生きることを教えてくれます。

   9月頃に、被災地で活動しているボランティアの人たちのための
   炊き出しボランティアに行こうかと計画しています。

   まさに、ボランティアして下さる方たちへの ボランティアです。

   なぜ、これをしようと思ったかというと
   先日、宮城県石巻市にボランティアにいった橋本指導員が
   その時に丁度 『那須塩原市』 から来て下さっていた炊き出しボランティアの人たちに
   食事のお世話になったという話を聞いたからです。

   その那須塩原の炊き出しボランティアの方たちは
   被災した人たちへの炊き出しではなく、ボランティア活動する人たちにボランティアするために
   石巻市まで来て下さっていたそうです。

   その時は、全国の自治体から派遣されて来ている人たちや、個人ボランティアの人たち
   【 ピースボート 】 の人たち、てんつくマン率いる 【 め組ジャパン 】 の人たち
   ざっと、500〜600人のボランティアの人たちが来ていたようです。
   
   ボランティアに来ている人たちは、もちろん 『自己完結』 が条件になっているので
   当然、レトルトや缶詰の食材を準備して行っています。
   でも、長丁場でボランティア活動されている人たちの
   栄養面や体力の消耗など、ボランティア活動を続けられる為の身体のことを考えたら
   確かに、食べる物って大切ですものね…。

   実際、過酷な作業だったといいます。
   かなりの体力が要ると…。( ボランティアの内容にもよりますが )
   疲労困憊になる為、慣れない初日は、現場で食べる昼食時間に食欲も湧かず
   でも体力が落ちないように、カロリーメイトを無理して食べたと言っていました。

   それにしても、ボランティアの人たちへの、炊き出しボランティアとは、思いつかなかったなぁ〜。

   お昼は、それぞれがボランティア作業している現場で、自分で持ってきた物を食べるので
   炊き出しは、朝食と夕食を作って下さっていたそうです。

   朝食は、ご飯もお粥もあり、豚汁、一夜漬け、生野菜サラダまであったそうです。
   夕食は、カレーライスに生野菜サラダなど。

   ボランティアの現場から戻った人たちから、順次食事になるので
   後のほうに帰って来た人たちには、もうおかずが無くなっていて
   白ごはんと漬物だけという時もあるそうです。
   でも、もちろん誰も文句言わないし
   自己完結を当たり前として来ている人たちにしたら
   温かい炊き立てのご飯が食べれるなんて、それだけで夢のようだったと言っていました。
   感謝しても感謝しきれないと…。
   
   しかし、そんなに沢山の人たちへの炊き出しとなると
   準備は相当なものだったと想像できます。
   電気も水も乏しい中での準備です。
   那須塩原の人たちに、ほんとに頭が下がります。

   本当に、ありがとうございました。

      専修大学構内の芝生に
                                                 自分でテントを設営

      那須塩原からの炊き出し隊

      
   で、橋本指導員から、その炊き出し隊の方たちにお世話になったという話を聞いていたら
   『 あっ、今度は、私たちがその恩返しをしに行こう !! 』 と、思い立ったのです。
   誰かにして頂いたご恩を、他の誰かにお返しする。
   こうやって、みんなの思いやりが繋がっていけばいいなぁ〜。

   丁度、料理を得意とする私には、ぴったりのボランティアかも…。

   でも、7月には高野山ヨガ合宿もあるし
   秋くらいまでは日程が厳しいので、9月頃に行けたらいいなと思っています。

   オーケンさんで、ちらっとこの計画を話してみたら、あゆみさんもTOYさんも
   即答で 『 先生〜、ぜひ 私たちも行きたいです !! 』 と、嬉しいことを言ってくださいました。

   みんな、生命(いのち)の声が聞こえているのだ…。

   こうして、いのちの声に従って生きていけば、間違いない。
 
   いのちは、もし生き方が間違っていたら、それも教えてくれるから…。
   
   また日程とか決まったら、みなさんにお知らせするので、待っていてくださいね。
   『 私も行きたい !! 』 という いのちの声が聞こえて
   時間の都合がついた人は、是非、一緒に行きましょうね。
   
   今日も、自分の生命(いのち)に感謝…。   

5月11日(水)
一人の百歩より、百人の一歩

  丁度 ひと月前…

  『 なにか、自分に出来ることをしたい!!お役に立ちたい!!』 との
  内側から湧き起こるエネルギーに導かれるように
  私は、岩手県宮古市に向かっていました。

  そして、避難所で精一杯活動させていただき( 活動の場を頂いたことに感謝しています )
  被災された方たちの生命(いのち)と、私の生命(いのち)の深い結び付きを感じて帰ってきました。

  私が福井に帰った後も、きっと、あの時にヨガを体験した方たちは
  胃と肝臓の刺激法、大腸刺激法、腰痛解消法、などで身体のストレスを癒し
  呼吸法、リラックス法で、心のケアをし
  避難所生活で生じる、心のストレス、身体のストレスを、軽減してくれていると信じています。

  ゴールデンウィークは、再度ボランティアに行こうと決めていたので
  スタジオも休みにして、橋本指導員と、うちの母も連れて行く予定でした。
  母は、福井県各地の施設を訪問し、ボランティアで手品を披露して喜んで頂いています。

  私が岩手に行こうと決めた時、私の身体を心配して反対されるかも知れない
  と思いながら、恐る恐る報告したら (といっても、反対されても行くつもりでしたが )
  『 お母さんも一緒に行くわ!もう充分したいことはしてきたし、子育てもとっくに終わったし
   もし、被爆しても悔いはないわ。
   でも、今から子供を産まないといけないような若い子らが、もし被爆したら大変やもんね。
   お母さんみたいな立場のもんが、今、お役に立たなあかんもんね…』 と。

  母の潔さと、お役に立ちたいと思う気持ちに、涙が出そうでした。

  でも、私の仕事が連休前にかなり忙しくなっていたので
  このまま予定通り ボランティアに向かえば、自分の身体に無理がかかると判断し
  連休のボランティアは諦めて、自分をケアする為の時間にしました。

  連休中のニュースでは、東北各地でボランティア活動する人たちを紹介していました。
  
  『 日頃は仕事があって、現地で何かお役に立ちたいと思っていても、それが出来ませんでした。
   だから、この連休を利用して来ました。
   泥かきや、お掃除をお手伝いさせてもらって、みなさんに喜んでいただきました。
   ほんとに嬉しいです。来てよかったです。』

  と、瞳を輝かせている若者を見ていて、ほんとに嬉しく、頼もしく感じました。

  私が諦めたゴールデンウィークは、全国から沢山の人たちが被災地に向かい
                                         頑張ってくれていました。
  
  そして、5月の13日(金)からは、橋本指導員が宮城県の石巻市に向かってくれます。
  ゴールデンウィークが終わると、一気にボランティア活動できる人が減ってしまいます。
  こんな時は、平日でも都合をつけられる人たちが頑張ればいいのです。
  橋本指導員が居ない間は、私がスタジオを守っていけばいいのです。

  長期間で行こうなどと思っていると、長期の休みを取ることは難しく
  行動が起こせなくなります。
  短期でも行ける人たちが、次々と現地に向かえばいいのです。
  例え一日だったとしても、誰かの大きな支えになり、お役に立つのですから…。

  一ヶ月は滞在したいとか、半月だけでもと欲を出さずに、サッと行動に移すことです。
  この復興には、相当の時間が掛かります。
  一ヶ月滞在して(無理をして休みを取り)、燃え尽きてしまうより
  短期間で何回でも継続して活動して、復興するまでず〜っと寄り添っていくことが大事です。


     ボランティアとは、自分を犠牲にしてするものでもなく
     無理をしてするものでもないのです。

     全てを自分が背負って、自分一人でしようとすると自分が壊れてしまいます。

     そして、無理をしてやってることは続かないのです。

     こういうボランティアは続けることが大事です。

     自分が進めない時は、他の誰かが一歩を進めてくれています。

         一人の百歩より、百人の一歩に大きな意味があるのです。

  橋本指導員は、東日本大震災が起こってから
  福井県の災害ボランティアが立ち上がるのを待ち
  立ち上がってすぐに、ボランティア登録をしました。
  そして、今回、鯖江市ボランティアセンターからの要請で、被災地に派遣されることとなりました。
  鯖江市の派遣する災害ボランティアの第一班となるそうです。
  鯖江市民の代表として、しっかりお役に立ってきてくれるものと信じています。

  今回の石巻市での活動は、泥出し、瓦礫撤去などだそうです。
  参加条件として、【長時間の移動、車中およびテントでの宿泊ならびに
  泥出し等のきつい作業であるため、健康状態に問題のない方に限ります】と謳われています。

  そして、連休中に同じ宮城県で泥出しのボランティアに参加していた
  名古屋のヨガ仲間から、メールがありました。
  
  『 昨日は、石巻で側溝の泥出しでしたが、原油混じりのため真っ黒で臭いもキツいです。
    荷物は粉塵だらけです。
   個人宅の床下泥出しも要請でありましたが
   場所によっては暗いので、ヘッドランプがあると重宝です。
   泥はスライム状のため、土嚢に入れにくいので、ソフトバケツがあると作業がスムーズです。
   手洗い等の容器は、ペットボトルより 酒とかのキャップ付き紙パックのほうが使い勝手いいです。
   僕も、継続して現地入りする計画中です。
   4日間怪我等無いよう、気をつけて下さいね。』

  と、現地からの有り難い情報を送ってくれました。
  彼も、平日はサラリーマンとして仕事をしているので、このGWを利用して参加した一人です。
  そして、この一回で終わらずに、継続しての現地入りを計画しているとのこと。
  頭が下がります。

  こうして、今、現地に向かえる状況にある人が現地に向かい
  自分が行けない時は、行ける誰かに任せ
  そして、向かってくれる人たちを応援し
  自分は自分の持ち場を守ることを大切にすればいいのです。

  私が岩手に向かう前日に、潟Iーケンのあゆ未さんとTOYさんが
  こんなに温かいメッセージと、餞別を下さいました。

    今、ご自宅のポストに、御餞別を入れさせていただきました。
    被災地の人のためというより、被災地のために私たちの代表として身を呈してくださる
    先生方のためにお使いいただければ、私とTOY は幸いです。

    行き帰りの食事代の足しにでもしてください。
    帰りに立ち寄り湯でもなさるなら、そうお使い頂いても結構です。
    どうぞ、先生方の体や心がホッとすることに…。

    気をつけていってらしてください。
    先生のご健闘とご無事をお祈りしています。

  私の行動を理解して、そして、応援してくれている、ということが
  被災地に向かう者にとって、どれだけありがたい支えとなることか…。
  その温かさが、心強いお守りになるのです。

  余震や、放射能への不安にも負けず
  ただただ 『お役に立ちたい!』 という熱い想いに集中できるのです。

  今回は、私はスタジオを守りながら
  橋本指導員の健闘と無事を祈りたいと思います。

  橋本指導員に届いた、鯖江市災害ボランティアセンターからの募集内容を紹介しますね。
  興味のある方は、是非、下記の【申込先】にお問合せ下さいね。

     ● 活動場所  宮城県石巻市
     ● 活動内容  家屋の清掃、泥出し、瓦礫撤去など
     ● 募集人数  20人
     ● 募集班    第一班 平成23年5月13日(金)〜16日(月)
                第二班 平成23年5月27日(金)〜30日(月)
     ● 宿泊先   石巻専修大学(石巻市南境新水戸1)構内に設営するテント
     ● 参加費   特に徴収する経費はありません
     ● 参加条件  福井県災害ボランティアとして登録された鯖江市民であること。
               長時間の移動、車中およびテントでの宿泊ならびに
               泥出し等のきつい作業であるため、健康状態に問題のない方に限ります。

     ● その他   現地での宿泊は、石巻専修大学構内の芝生に
               参加者自らが設営するテントです。

               活動期間中に必要となる食料や飲み物、寝袋、長靴、合羽
               ゴム手袋、軍手、マスク等は、各自で準備してください。

               強い余震が起きる可能性のあること、現地での安全管理や
               健康管理は自己責任となることなど、その点をよくご承知いただいた上で
               参加を決めてください。

     ● 申し込み先 鯖江市役所 市民協働課
                   п@0778−53−2214 または 53−2215
                 ※ 電話による受付けのみとさせていただきます。

  橋本指導員は山男なので、テント設営、テント・寝袋生活はお手の物!!
  お湯を沸かすコンロだけは5台用意されるということなので
  レトルト食品を幾つか準備していました。
  でも、断食にも慣れているから、もし食べれなくても大丈夫!!
  一つ心配なのが、腰にヘルニアをもっているから
  過酷な作業で、弱点の腰が悲鳴をあげないか…ということ。
  でも、先月から堤防を走ったり、自分で腰強化のトレーニングしていたので、きっと大丈夫!!

  ボランティアは誰にでも出来るものではないです。

  先月岩手県に行った時、ボランティアに参加する人たちを見ていて
  つくづく感じました。
  ボランティアに行って、ボランティアされていたのでは、本末転倒。
  そして、自分の思うようにいかなくなった時に
  サッと、気持ちを切り替えて 『やるべき事をやる』 ということが出来ないと
  結局は足手まといになってしまいます。

     まずは、自分をケアすること。

      
     自分をケアできない人に、人のケアは出来ないのです

     まずは自分をケアし、そして自分の身の回りの人たち(家族など)をケアし
     それでも余裕があったら、そこで初めて
     被災地で、人のケアができるのです。

     そして


     自立していること。
     不平、不満、愚痴を言わず、人の責任にせず
     全てを自分の責任とすることが出来ること。

     
  ボランティアの後、自分が壊れないように
  まずは、自分をケアすることを大事にしてください。
  今回私が、計画していたGWの活動を潔く諦めたように
  まず、自分の状態を知って、出来ない自分を許すこと。

  出来る時には出来るのですから…。

     焦らず、慌てず、はやらず、気張らず、淡々と
     そして、続けること…。


  これが、肝心だと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  前回の岩手県入りは
  全くの個人的なボランティアでした。
  
  行きは、15時間かけて、ダンプに同乗させてもらって行きました。

  でも帰りは、仕事が待っていた為、一人で、自力で帰ることとなりました。

  帰りは、相次ぐ余震でなかなか復旧できないJRを使うことが出来ず
  路線バスと高速バスを乗り継ぎ、花巻空港まで出て
  花巻空港から伊丹空港まで飛行機を使い
  空港から梅田までバスに乗り
  大阪からサンダーバードで帰ってきました。
  宮古市を出てから、福井に戻るまで13時間掛かりました。
  交通費は5万円掛かりました。

  その時はまだ、岩手県が県外の個人ボランティアを受け入れていなかった時だったので
  自己負担も大きくなりましたが、今は社会福祉協議会の受け入れ態勢も整っているので
  ボランティア団体に登録して参加すれば、自己負担も少なく、気軽に参加することが出来ます。

  帰りの花巻空港で、待ち時間に空港内をうろうろしていて
  下の千羽鶴を見付けました

 花巻空港に飾ってあった
                            ハワイの学校から送られた千羽鶴 …

   
     「 日本がこれから平和でありますように 」

     「 あきらめないで がんばってください 」

  などと、日本語で書かれたテープの下に見える黄色い物は、きれいに折られた千羽鶴。

  鶴の側には、ハワイの学校で色んな国の子供たちが一所懸命に鶴を折っている写真と
  ハワイからの手紙が飾ってありました。
  
  世界中のみんなが、 今、日本を想い、心配してくれている。
  その温かい想いと、思いやりの行動が、ありがたくて ありがたくて
  私は一人で、泣きそうになりました…。

  私は、もっともっと、岩手でお役に立ちたいと思っていました。

  でも、私には仕事が待っている。
  私が、今、しないといけないことは
  仕事を放棄してボランティアを続けることではなく
  自分の持ち場をしっかり守ること。

  そう言い聞かせながら、ず〜っと千羽鶴を眺めた後
  その手紙を必死に書き写していました。
  この 『diary』 で紹介したくて…。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  僕達はハワイの学校で募金活動を行い、そしてこの千羽鶴を作りました。
  この千羽鶴の色が黄色なのには意味があります。
  映画 「 幸福の黄色いハンカチ 」 をイメージして、被災者の皆様に
  幸せになってもらいたいと思い、黄色の鶴を作成しました。
  この度僕達は、千羽鶴完成後 祈願を行い千羽鶴にパワーを込めました。
  この千羽鶴を見て、被災者の皆様が元気を取り戻せます事を願っています。
  また、自衛隊の皆様、消防の皆様、警察の皆様、ボランティアの皆様を始め
  支援活動を行われている全ての皆様も鶴からパワーを得て御活躍される事を願っています。

  今回 鶴を作成するにあたり、日本人だけではなく、国籍の壁を超え皆で鶴を作成しました。
  国籍は違うけれど 「日本に元気になって欲しい!」 という気持ちは一緒です。
  また、僕達の様な海外在住の日本人も、被災者の皆様に協力し助ける事が出来るという事を
  学びました。海外に在住の日本人も日本を愛し、応援しています。

  僕達は日本人の底力と助け合い精神を信じています。
  日本なら必ず復興できます。日本は強い国です。 
  僕達は日本が世界一の国だと思っています。
  この度の地震と津波を教訓に今後の防災体制が強化される事を願っています。


                                 Saint Louis School
                                    Honolulu,Hawaii
                                       教員・生徒一同


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


      日本のために祈りを捧げて下さる 世界中のみなさんに
                              心から、感謝いたします…。
  
      被災していない私たちが、しっかりがんばっていきます。

      どうか、復興した日本をイメージしていてくださいね。
     
      そして、これからも 見守っていてくださいね。

                           ありがとうございます。
  

4月16日(土)
届けてきたよ…

  11日、岩手県宮古市に無事に到着しました。
  福井を出てから、15時間掛かっての到着となりました。

  みんなから預かってきた、みんなの温かい想いとともに
  宮古市に入りました。

  『 私も 現地に飛んで行って 何かしたいけど、仕事や家族のことがあるから 行けなくて…』
  という、みんなの気持ちが 痛いほど よ〜く分かる…。
  だって、私も嫁いでいた時や、子供が小さい時なら
  絶対に 現地に飛んで行くなんて出来なかった。
  まず、そんな余裕がなかった。

  でも今は、その頃とは全く状況が違う…。

  離婚し、子供も巣立ち、自由な一人暮らし。
  そして仕事は、安心して任せられる仲間がいる。

  今なら、行ける!!

  みんなの想いも一緒に届けることが出来る!!

  私は、そんな生徒み〜んなの代表として
  友人たちの代表として
  家族の代表として
  延いては福井県の代表として

  心と、物と、パワーと、笑顔を届けよう!!と
  しっかり体調を整えて、出発しました。
  
  そして、届けてきたよ〜〜〜 !!!



 みんなの募金で購入した救援物資を、宮古市の社会福祉協議会へ…。


 そして、今回の目的であった 避難所でのヨガ指導が実現しました。
 もしその場が与えられなければ、泥かきや、物資の仕分けをする覚悟と準備をしていた。

 避難所

 ちゃ〜んと周知して下さっていました


 さぁ〜、みんな集まれ〜!!



 続々と集まってきてくださいました

 さぁ、無理せずぼちぼちやりましょ〜♪

 まずは、足踏み(腿上げ)から…

 気持ちよ〜く 体を伸ばして

 まんまの自分を感じて…




 腿裏も腰も伸ばして

 お兄ちゃん、首も伸ばすよ〜

 おいっちにっ、さん、しっ…

 体をゆるめて、くつろぎのポーズ

 生きててくれて ありがとう を込めて…

う〜〜〜ん、伸び 伸び


 そして、私の想い、預かってきた想いを


 真剣に話し、真剣に聞いて下さいました


   突然現れた よそ者の私を 警戒することもなく、にこやかに受け入れてくださり
   そして、私のリードに合わせて体を動かし
   くつろぎのポーズでは、体をゆるめ
   呼吸法では、心を静め
   
   そして…

   私の想い、預かってきたみんなの想いを話す私の顔をじ〜っと見つめ

   うんうんと頷きながら、真剣に聞いてくださいました。

   マスクの向こうで、微笑んでくださっているのが見て取れた。

   心を込めて話すそのまんまの自分に寄り添いながら
   聞いて下さるみなさんのそのまんまに寄り添っていた…。
   
   気負っていない、気張っていない
   そのまんまの時間が 静かに穏やかに流れた。

   お互いが、お互いの気持ちを思いやり
   心と心が繋がった。

   被災したみなさんの生命(いのち)と
   突然よそから来た 被災していない私の生命(いのち)が結びつき

   みなさん、涙を流して喜んでくださいました。

        あ〜〜〜、来て よかった!!
                 ほんとに 来て よかった!!

                                心から そう思えました。

   辛いことを乗り越えようとする強さと
   悲惨な状況を受け入れようとする潔さを持った
   柔らかな心に、ただただ感動しました。



 出会ってくれて ありがとう

 ありがとう

 ありがとう

 ありがとう

 ありがとう

 ありがとう

 
       ず〜〜〜っと、みなさんのこと忘れないからね。
 
                  ず〜〜〜っと、応援し続けるからね。


 私は、『ヨガ』 に感謝していた。
 『ヨガ』 に出会ったこと
 『ヨガ』 の真髄を教えてくれた師匠に 感謝していた。

 私に 『ヨガ』 というものがあればこそ
 こうして 一瞬にして心と心を繋ぐことができた…。

 なぜなら…

 ヨガは、『愛』 を意味し、『調和』 であり、『自他一如』 であるから…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 追って、詳しい状況や、ボランティアについて思うこと
 そして、これからボランティアに行こうと思われている方へのアドバイスなど
                                   UPしていきたいと思います。
 

    取り急ぎ、無事に帰ってきた報告と

          みんなからの温かい応援に感謝を込めて…。
                                        合掌

   写真だけ先に、ここに→ UP しました。

4月9日(土)
みんなの想いも 届けてきます !!

  この ひと月余り、東日本大震災が起きてから…

  みんな それぞれに 様々な想いを抱いていると思います。
  そして、それぞれに行動を起こしていると思います。

  その想いや行動に、正しい、間違いはなく
  その想い、行動が、ただそのまんま そこに在る…。

  私は、東北に行く決心をしました。

  どうしても、その場に行き、そして そこで寄り添いたい!!
  インドから帰って(震災の次の日に帰国)、被災地の映像を見て
  その想いが湧き起こり、それがず〜っと消えることなく
  その想いは、段々大きくなっていきました。

  ここで行動を起こさなくては
             一生後悔する…。

  休みは取れないと、いつも仕事のスケジュールで一杯だったのに
  「その気」 になったら、人間なんとかするもんなんですね…。

  生徒のみんなには、私の今の想いを話して理解してもらい
  弟子たちには、私の居ない間の留守をお願いして
  いよいよ、明日から岩手県宮古市に行ってきます。

  宮古市の社会福祉協議会には
  「ヨガ指導、健康体操指導、二人組みのマッサージの指導」を特技として登録してあるので
  それを発揮できる場所が与えられれば、一所懸命お役に立ってこようと思います。
  今、避難所で生活する人たちには、こうした運動が必要だと思うから。
  ヨガの呼吸法も、きっと役に立つはず…。

  でも もし、そんな場所が与えられなければ
  『泥かき』や、お掃除や、何でも出来るように、準備も万端にしています!!

  私が行くと知った生徒のみんなからは
  ほんとに、ほんとに、温かい応援メッセージを たっくさん頂きました。
  
  そして、『 先生なら、行くと思っていました。
        気をつけて行ってきてくださいね。
        このお金、何かに役立てて下さい!』
  と、みんなが次々に募金をしてくれて
  そのお金が、なんと¥90,701−にもなりました。
  みんなの温かい気持ちが、被災地のみなさんに届くように
  そのお金で、救援物資を購入させて頂きました。

  そして、その救援物資の箱に
  みんなで、応援メッセージを書きました。

 みんなの募金から購入した救援物資


 心を込めてメッセージ書いてます




 みんな、ありがとう…。


 みんなの想い…

 私が確かに、届けてくるからね。

 みんな、ほんとにありがとう…。
  
  
  現地から帰ってきた人たちは、みんな一様に

  ニュースやワイドショーで報道されている状況とは全く違う
  本当のことを知って欲しいと、叫ぶように訴えています。

  『 ワイドショーのレポーターの人たちは【 段々落ち着きを取り戻しています 】 
   なんて言っているけど、被災地は、落ち着いてきてなんかいない。
   ほんとに大変なのはこれからなのに…。』 

  『 被災者の方たちは、自分たちのことが忘れ去られるんじゃないかという不安の中で
   必死に耐え、生活している。』
  
  『 この現状を、誰かが伝えなければ…。
   そして、より多くの人に その現状を知って欲しい』 と…。

  私も、この目で確かめてきたいと思います。

  そして、気張らず、無理せず、淡々と
  被災地の方たちに寄り添ってきたいと思います。

  帰ったら、また報告しますね。

  では、みんなの想いと一緒に
                  元気にいってきます !!

   
 
 それから、心理カウンセラーの阿部妙子さんが書かれた
 【災害時の子どもたちの心に寄りそう為の覚書】を紹介します。

 みなさん、それぞれに考えさせられることと思います。

 私は、これを書いて下さった安部妙子さんに
                     心から感謝いたします。

・・・・・・・・・・・・
【災害時の子どもたちの心に寄りそう為の覚書】は、現地の子ども達だけではなく、
多くのお母さん方や大人達にも必要なことではないかと思います。専門的な表現を削って解りやすく、そしてしつこく、しつこく、子どもの心に寄り添うことの必要性を書きました。一人でも多くの人にお役に立つならと。


 【災害時の子どもの心に寄り添うための覚書】2011・3・20

この国に住む全ての子どもたちを愛してます。子どもたちの心を守るために書きました

ふくおか「心の回復室・えがお」 安倍 妙子

人は衝撃的なできごとを体験すると、心や身体に様々な反応を起こします。

特に子どもはまだ心の発達が成長の過程なので大人以上に身体に色々な「ストレス反応」が現れます。大変な大災害でしたが、これらのストレス反応は、「異常な事態が起きた時に起こす正常な反応」です。心が正常に機能しているからこそ起きるストレス反応だとまず捉えて下さい。異常が起きたのではなく、とても正常な、ある意味健康的な反応なのです。

だからこそ、健康な反応のあるうちに、子ども達の心をケアしてあげましょう。

ストレスの反応はだいたい一時的なものです。この一時的なもののうちに、このストレスをしっかり受け止めてあげましょう。

大人も同様に衝撃を受けていますから、余裕がないかもしれませんが、子ども達は大人たちが支えです。今、大人たちがどう接してくれるか、心のうちで大人の心を覘いています。

自分はいたわってもらえるのか、愛してもらえるのか、じ〜っと、大人の顔色を伺っています。

大人が落ち着いて子どもたちに温かい態度で接していくうちに、子どもたちも少しずつ安定してきて徐々にその不安が治まっていきます。地震からもう 1 週間が過ぎました。これまでの災害だったら、一週間もすればある程度精神的に安堵できるものでしたが、今回の災害はその度合いを大きく超えています。

大人たちにも余裕がまだ取り戻せていない状態だし、大変な状況ではありますし、大人自身の不安も在るでしょうが、そこを、子ども達のために何とか乗り越えていただきたいです。

早く乗り越えられれば、後々、子どもの心の回復はめざましいものがあります。希望が持てます。

子ども達の脳はまだ大人達のような作りではなくて、生存に関する脳の部分が特化しているので、自分は安全なのかどうかいつもそのことでびくびくしています。

この部分を安定させてあげるためには大人たちのしっかりとしたケアが必要です。

ケアそのものの大部分は「愛」です。

そして「安全」である事を示してあげることです。

「愛」と「安全」はとても大切な子どもへのメッセージです。

ことあるごとに子ども達を抱きしめ、安全であることを伝えてあげて下さい。

※出来れば、ボランティアで「ハグしてあげ隊」または、「抱きしめ隊」なんてできるといいなぁなどと思ったりもします。

このケアは出来るだけ日々続けてあげてください。子どもの元気そうに振舞って見せる状況をつい安心して放っておくと、『大人は助けてくれない』 『自分で何とかしないといけない』という感傷を子どもが内面に取り込んでしまいます。

今回のことでは大人自身も心に傷を受けていますから、まず大人も自身の傷を癒すことが大切です。深呼吸などを日常に取り入れて落ち着くことを意識の中に取り入れましょう。子どもと対面する時も深呼吸などをしてできるだけ気持を落ち着けて、ゆっくりお話をしてあげてください。子どもの心は大人のそのような様子を見ることで少しずつ落ち着いてきます。とはいえ、大人が自分自身の感情を押し殺す様なことをしてまで子どもと向き合う必要はありません。一緒の体験を大人たちもしたのですから、子どもと同じように恐怖心はあったと思いますから、その時の感情を無理に押して隠す必要はありません。大人でも感情があふれて涙が出てくることもあります。

大丈夫。この感情は子どもに伝えてもいいのです。子どもと共にその時のことを感じることはとても大切です。「怖かったねぇ。」「助かってよかったねぇ。」という感動は、ずっと子ども達と一緒に出し合って下さい。大人は感情を我慢しなきゃいけないということはこんな大災害の場合には逆効果です。大人だってとても怖かった。その気持ちを子ども達と共有する事も必要なことです。

「怖かったぁ。」「でもよかったねぇ」と伝える感覚は大切です。怖いときや不安なときに親や大人が傍にいた、あるいは誰かが傍にいて、その同じ恐怖を共有してくれたということが、後々子どもが大人になるときに他者を支えられる人になれるのです。

そういう意味では、ことさら過剰に「大丈夫」という言葉は使い方を間違えないようにしないといけません。「大丈夫」「大丈夫」と安心させるつもりで言っても、子どもにはまだその意味は理解できない場合が多いのです。恐怖心を出しているときは恐怖に沿うように、痛みを出しているときはその痛みに沿うように接して欲しいのです。

子どもの心を置き去りにして「大丈夫」「大丈夫」といい続けると、こどもによってはどんな時でも「大丈夫」と思わないといけないのだと感じてしまいます。本当の感情を別のものに置き換えさせるようなことはしないほうが良いのです。子どもの本物の心に寄り添って、「今怖いんだね。」「一緒にいようね」と、応えてあげて下さい。怖い気持ちを素直に口に出せると自然に感情が開放されます。

非常時で大人も子ども達の心に寄り添うのは大変なことだと思いますが、でも、大人の皆さん、この国の未来を担う子ども達が安心安全な暮らしが出来るように、頑張って子ども達の心に寄り添っていきましょう。

※子どもたちは色々な反応を大人たちに見せます。

次に、必要な基本的な接し方を述べてみます。

●甘える行為が目立ちます。

甘えが出ることは恐怖を感じた後の子どもの行為としてとても自然なことです。

子どもの甘えを受け入れて子どもを安心の中に居させて下さい。

スキンシップ(じゃれあったりお互いにマッサージをしあったりなど)をしながら子どもと出来るだけゆっくり相手をしながら緊張感をほぐしてあげてください。

子どもはこの時間をとても楽しみにして大人に近寄ってきます。安心感を与えてあげてください。
大人に安心感をもらえた子は元気になっていき、心も回復していきます。

●食欲がなくなってくる子どもが出てくることがあります。

これも正常な反応なので無理強いをして食べさせる必要はありません。食糧配給が困難な状況を察して食べない場合もあれば、本当に食欲がない場合もあります。

その子の個性によってまちまちですが、「食べないとダメ。」「食べないと元気になれないよ。」などということは、逆にその後の摂食障害につながることが稀にありますから、「そうか、今は食べたくないんだね。」と受け入れ、食べたくなった時に摂らせてあげてください。

子どもは食べない自分を見せることで何かの反応を大人に期待することもあります。「今は食べたくないんだね。食べたくなったら教えてね。」と、かかわりを持ちながら言葉を返すことも大事です。

食べても食べなくても愛されているということを子どもが実感したい場合もあるのです。

●夜中に目を醒まして泣いたりする子には

「寝なさい。」などと急かさず、決して叱らないでください。

恐怖心に寄り添ってあげて下さい。

子どもにとって安心安全を確かめる手段はたくさん必要なのです。

おねしょにしてもそうです。「出ちゃったか。」くらいの対応で、決して叱らないで下さい。子どもは不意に泣いたり排泄をしたりしながら、自然に当時の恐怖心を回復させていきます。さっと対処する程度でいいのです。その分、昼間におおいに子どもとスキンシップをして関わってあげましょう。

●身体のあちこちの症状を訴えてくる子どもにはその部位に対して手当をしてあげてください。

手が痛いという子にはその部分をマッサージしてあげたり、頭が痛いといってくる子には情況によっては冷えピタ(または水で濡らしたタオルだけでも大丈夫です)などの処置をしてあげて関わってあげてください。

この場合お子さんが数人いると次から次に子どもが訴えてくることがあるかと思いますが、その様な、大人にとって多忙で大変な状態にならないように、訴えてきた子には、「あっち行こうか。」などと言って、他の子が見えないような場所でそっと処置してあげると、大人も多忙にならないかもしれません。また、大人と二人きりになる機会があると、子どもはとてもその特別なことを喜んで受け入れます。また、会話時に手を握ってあげていることも大切です。つながっているということは子どもに安心感を与えてくれます。

恐怖心が強かった子どもほど甘えたくてしょうがないので、時間と空間を見つけて大人に関わりを求めてくると思います。親や大人に甘えようとするその行為そのものが子どもの心を安全に回復させていきます。今この時期にたくさん関わってあげることで、子どもの回復が順調に進んでいきます。「守られている。」という安心感を子どもに与えてあげることは大切なことです。

大変ですが関わってあげてください。

●子どもが話し掛けてくるチャンスをできるだけ作ってあげるようにする。

子どもが「あのね、」と話しかけるチャンスを大人側が出来るだけ作ってあげることで、子どもは自然に話し出そうとします。その環境作りは大切です。

●子どもが繰り返し恐怖の時の話をする場合も、出来るだけゆったりとした大人の気持の中で聴いてあげて下さい。

聴く側にとっても苦痛が伴うことではありますが、話す側の子も当時の恐怖から逃れたいのです。

「うんうん、忘れたいのに思い出しちゃったね。」

「怖かったよねえ、あの時。」 「びっくりしたよねぇ。」

「あんなこと、もう嫌だよねぇ。」などとしっかり返事をしてあげてください。

繰り返し話しながら子どもは大人の反応をうかがっています。子ども自身が守られているか無意識に確認しようとしています。この行為は嫌がらずに受け入れてあげてください。

「また話したくなったらいつでも話していいよ。」と対応してあげてください。

こういう会話を繰り返してあげることで、子どもはさらに安心感を増していきます。

●「自分たちが悪い子だからこんなことになったの?」「○○県だからなの?」「○○人だから?」などと自分や自分に関わることを理由にして自分のことを責めてしまう。

「これはね、君たちがいい子だからとか悪い子だからとか、そういうことは何も関係ないんだよ。」と、客観的な事実を伝えて、その子の普段の良いところをほめてあげて、自信を取り戻すようにしてあげてください。この場合、今回の災害について具体的な説明をする必要はありません。TV は繰り返しの恐怖感を与えてしまうので見せないほうが安全です。

話を逸らすのではなく、「あなたたちが安全に過ごせるように、大人たちがよく考えて行動をしているからね。」ということを伝えて下さい。

そしてその言葉の後にはその子の良いところを引き出してあげる言葉かけをしてください。

「歌がとっても上手いんだってね、今度みんなに聴かせてくれる?」

「弟や妹の面倒をよく見てくれてありがとう。」

「ちゃんと自分で起きられるんだよね。」

「昨日は小さい子の面倒を見てくれてありがとう。」等など。


●自分より小さいもの(きょうだいやペット、小動物など)をいじめようとする。

この行為は、本来は被害を受けたことや恐怖を感じたことに向けるべき不安や怒りを、自分にとっては安全な人やものに向ける行為で、決して珍しい行為では有りません。

もしこれまで下の妹や弟をいじめたりしていなかった子がそういうことをするようになったら、その子どもははけ口が無くて苦しんでいるので、やはりスキンシップの回数を増やし、傍で見守ってあげる必要があります。

●自分たちの受けた恐怖体験を「ごっこ遊び」として再現する。

大人から守られていることを確認したり、安心安全の中に居ることを確認できるようになってくると、子どもたちの中には「ごっこ遊び」と称して、自ら受けた恐怖体験を遊びの中に取り入れてくる子どもが出てきます。これも、自分を安心させようとする子どもの、回復へ向かうための心の素直な行動です。無理にやめさせるのではなく、遠巻きに見ながら怪我をしたり泣かされたりする子がいないかどうか見てあげてください。

「ダメ!」とその子を叱るのではなく、その子の気持を汲み取る工夫をしてあげてください。この時期の子どもたちに禁止事項を与えることはよくありません。早くそれらの恐怖から脱出できるように運動やお話、皆で出来るゲームなど、身体を動かしたりして心の中に溜まっているものをアウトプットさせてあげてください。

●これとは別に、やたらにはしゃいだり、あるいは何もなかったように無表情な態度をとる子もいます。

これもその子どもにそのことへの注意を促す必要はありません。あまりに大きなショックだった場合、子どもの小さな心では受け止めきれずに、どうやっていいのか分らないまま、それでもなんとかしてその子なりの恐怖を消化しようとしている状態です。

また、急に大人びた話しかたをして大人に気持ちをあわせようと背伸びをする子も出てきます。そのような場合でも、その子が本来の自分の言葉で話が出来るようになるまで笑顔で優しく見守ってあげてください。

また、子どもが無謀にとる行動について顔で叱ったような態度はとらないように心がけてください。
視覚から来る恐怖は子どもには大変なストレスの追い討ちになります。「メッ!」というような怖い顔は無しです。また、顔を横に振って「ノー!」というサインもしないようにして下さい。今はバランスを崩している状態なので、あらゆる行為を受け入れてあげることが大切です。

見守られていると感じると子どもの心は落ち着いてきます。子どもが自分らしく話が出来てなくてもゆっくりと聴いてあげてください。子どもはきっと、「子どもらしくしてていいんだ」という感覚をまた取り戻してきます。

●また、この時期安全の意味でスタッフや大人たちは突拍子も無い大声や音は出来るだけ気をつけてあげるようにしてください。子どもによっては当時の恐怖がトラウマ化し、大きな音や大きな声におびえることもあります。急に泣き出したり怖がったりした場合は、テレビの音か、画面などで影響を受けたりしていることもあります。周りの情景を見て、環境に配慮してあげましょう。

●子どもたちの反応は個人差がありますが、ここに表したものは大体1〜2ヶ月くらいで少しずつ治まってくると思いますが、今回の大災害はとてつもなく大きかったので、余震の状況や原発炉の不安状況の持続によっては長期間の不安の持続が考えられます。専門医の受診が必要な場合もありますから大人たちは注意して子どもに変化がおきているかどうかを見守ってあげてください。

●遊びやお話し、お絵かき、歌をうたうなどの時間を増やし、全体でまぁるくなるように集まって、隣にお友達がつながっていて相互間の連帯を深めるような交流の仕方を続け、お話や音楽の合間に、「さぁお隣の人としっかり手を握り合いましょう。」などと声を掛け合うようにして、折に触れてふれあうようにしていくとよいでしょう。描く絵に色や表現などの変化が現れたり、言葉が少なくなったりする事で大人たちが不安に感じることはやめましょう。これまで健やかに育っていたからこそ、このような反応が起きているのです。子どもの今の状況を受け入れてあげることで、子どもたちの心はだんだん明るさを取り戻していきます。見守られているということは、子ども達には本当に大切な安心感なのです。元気になると共に明るい色を使うようになりますから一過性のものとして理解してあげて下さい。心配や不安な行動を繰り返しながら、子どもたちの心は少しずつ改善していきます。

そしてみんな一緒にいるという安心安全の感覚を確かめ合っていきましょう。サークルに入れずに親や大人達から離れてしまうことの恐怖を持った子どもは、親から手が離れることを不安に思い、仲間に入ることを怖がることもあります。そういう場合は無理に仲間に入れようとせずにしっかり抱きしめてあげて下さい。サークルの傍で一緒に参加をしてあげて下さい。守られているのかどうかを子どもはいつも確認したいのです。

心が回復していくにつれて、みんなで協力し合うことは何かということがわかるようになると、子ども達はすすんでお手伝いが出来るようになります。体験を経て心の回復ができ大人達のお手伝いが出来るようになった子どもは、本当にたくましく育っていき、やがてあらゆる場面でリーダーシップが取れるような人に成長していきます。

大災害に向き合うことは苦しいけれども、その為に得る勇気や優しさは他の子ども達には得られない素晴らしいギフトになれるのです。

以上、カウンセリングをする立場で、一通りお伝えしてみました。

専門的な表現を一切省き、多くの皆さんに解り易い様にまとめてみました。

拙いですが是非共有していただきたいです。

(PDF が必要な場合はお知らせ下さい。最新のものをお渡しします)

【文章責任】  安倍妙子  ふくおか「心の回復室 ・ えがお」

全日本セラピスト協会会員
交流分析士一級
うつ病支援セラピスト
ヒプノセラピスト(エリクソン催眠)
TFT(思考場療法)アルゴリズムレベルセラピスト
見方道アドバイザー
傾聴ボランティア(福岡市内)
精神科系看護師暦 通算 10 年



3月4日(金)
卒業
 
 今年の成人式に娘が出席し
 これで、息子も娘も無事に成人となりました。

 親として、ここまでこれたことは この上ない喜びであると共に
 ここまでくるには、沢山の人に迷惑や心配を掛け
 そして、助けて頂いたり、支えて頂いたことへの
 感謝の気持ちで一杯です。

 きっと、子供たちも同じ気持ちでいることだろうと思います。

 これからの長い人生において
 誰かを助けたり、支えたりして
 その恩返しをしていって欲しいな と願っています。
 
 親である私に対しては、子供たちはいつも

   『 おっか、ありがとうな…。』
   『 お母さん、ありがとうね。』

           と、素直に伝えてくれます。

 親として、あの子たちに何をしてやれたか…。
 どんな子育てをしてきたか…?
 
 その答えは
     あの子たちが30歳を過ぎた時に、どんな人生を送っているか…
                          きっと、それが答えなんじゃないかな と思っています。

 今、卒業式シーズンです。
 卒業に関する記事や映像を見ると
 我が子の制服姿を思い出し
 高校の卒業式の映像が蘇ってきたりして
 ジ〜ンと、胸が熱くなります。

 もう戻ってこない、あの子育てに必死だった頃の時間…。
 必死過ぎて(生活することに必死で)
 子供には 寂しい思いや、辛い思い、苦しい思いをさせてきたことだろうと
 後悔の念で、泣けてくるのかも知れません。

 でも、あの状況の中で、私も子供たちも、よくやった!!と
                             拍手をおくりたい気持ちもあります。

        ありがとう 盛範…
           
              ありがとう 美佳…

                   そして、

                      ありがとう わたし…



  卒業式に因んで、感動したお話を載せますね。

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   「熊本の名校長・最後の授業」
      
               大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)


私が考える教育の究極の目的は
「親に感謝、親を大切にする」です。
高校生の多くはいままで自分一人の力で
生きてきたように思っている。
親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、
私は卒業式の日を選びました。

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
私が最後の授業をするんです。


そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
生徒をその横に正座させる。
そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。


「いままで、お父さん、お母さんに
 いろんなことをしてもらったり、
 心配をかけたりしただろう。
 それを思い出してみろ。
 
 交通事故に遭って入院した者もいれば、
 親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと
 お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」
 

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。



「おまえたちを高校へ行かせるために、
 ご両親は一所懸命働いて、
 その金ばたくさん使いなさったぞ。
 
 そういうことを考えたことがあったか。
 学校の先生にお世話になりましたと言う前に、
 まず親に感謝しろ」


そして


「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、
 いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
 その手ば握ってみろ」
 
 
と言うわけです。

すると一人、二人と繋いでいって、
最後には全員が手を繋ぐ。
私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。


「その手がねぇ! 十八年間おまえたちを育ててきた手だ。
 分かるか。……親の手をね、これまで握ったことがあったか?
 おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。
 
 いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
 おまえたちを育てるために
 大変な苦労してこられたからたい。それを忘れるな」


その上でさらに


「十八年間振り返って、親に本当にすまんかった、
 心から感謝すると思う者は、いま一度強く手を握れ」
 

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は


「よし、目を開けろ。分かったや?
 私が教えたかったのはここたい。
 親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
 
 
と言って部屋を出ていく。
振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ※ 3/5〜3/13迄インドへヨガ修行に行ってきます。
    その為、メールの返信は14日以降になります。
                  どうぞ、よろしくお願い致します。

  

1月18日(火)
そのまんまを生きる

 2011年、新しい年…。

 昨年末から、橋本指導員と一緒にワクワクしながら準備を進めていた
 年に一度のビッグイベント(毎年クリスマスパーティーですが今年は新年会)を終え
 その後片付けもようやく終わり、今、一息ついています。
 その準備や後片付けでバタバタしていたので
 遅ればせながら、新年のご挨拶です。

         ― あけましておめでとうございます ―

 新年会には沢山の人に集まって頂き、大いに盛り上がり、最高の一日となりました♪
 今、その達成感と、充実感を味わいながらPCに向かっています。
 
 毎年、新しい年を迎えたからといっても
 これといった明確な目標も持たずに過ごしているのですが
 昨年体調を崩した経験から、今年ばかりは
 『 無理をせず、気張らず、ゆっくりいこう 』 という目標が出来ました。
 
 昨年末、師匠からこんな言葉を掛けて頂きました。

   例え病気になっても
   生命(いのち)は大丈夫だから、安心しなさい。
   生命(いのち)は絶対大丈夫だから、心配要らないんだよ。
   ただ、病気になるということは
   生活の仕方に誤りがあるということを教えてくれているんだ。
   その誤りを正せばいいんだよ。
   しっかりと、正していきなさい。

   そして、決して無理をしないことだぞ。
  
   それから、自分の本音が喜ぶことをしなさい。
   本音が喜ぶことをすれば、どんどん元気になるから…。


 いつも弟子のことを気に掛け
 遠くからそっと見守っていてくれる師匠の言葉…。

 いつも私のこと、全てお見通し…。
 やっぱり師匠だな!と、実感。

 この師匠の言葉は、今まで学んできたことなのに
 実践できてないんだろうなぁ〜。
 ダメだなぁ、自分…。

    死なないために、バランスを取ろうと病気になる。
    これが、生命(いのち)の働き。
    私の生活(食べ方、働き方、考え方)の不自然さを知らせてくれている。
    あぁ〜、いのちの働き(病を得ること)に感謝…。

    そして、『建て前』ではない、本音が喜ぶことをする。
    建て前で生きない。
    ほんとうに生命(いのち)が喜ぶことをする。

 さぁ〜、2011年が楽しみになってきました♪
 
 でも、あまり張り切り過ぎず、気張らず
 そのまんまに寄り添いながら
 自分の人生をじっくり味わっていきたいと思います。

 「ダメだなぁ〜自分」と感じても
 ダメな自分を否定せず、理想じゃない自分を追い出そうとせず
 そのまんまの自分に寄り添いながら…。
 

 ゆりえちゃんが貸してくれた、超〜お勧めの本です!!


 昨年、体調を悪くして落ち込む私に
 「 これ、以前も先生に貸してあげたと思うんだけど、また読んでみてくださいね。」
 と、貸してくれた 『ブとタのあいだ』 。
 大好きな 『ブッダとシッタカブッダ 』 のシリーズ本です。

 その中からあとがきを抜粋しますね。

 
    そのまんま讃
 
   悟っていようと
   悟っていまいと
   そのまんま
 
   泣いてそのまんま
   笑ってそのまんま
   歩いてそのまんま
   立ち止まってそのまんま
   友と語ってそのまんま
   子どもが生まれてそのまんま
   父が逝ってそのまんま
   母が逝ってそのまんま
   友が逝ってそのまんま
   行きも帰りもそのまんま
 
   泣きたいときは泣けばいい
   笑いたいなら笑えばいい
   泣くときはしっかりと泣き
   笑うときはしっかりと笑い
   食べたいときはしっかりと食べ
   茶を飲むときはしっかりと飲む
 
   自分を知らぬと迷っていく
   迷うからこそ気づきがある
 
   騒ぐ心を御(ぎょ)そうとすれば
   心はますます暴れてく
   騒ぐ心に目をやると
   心の正体見えてくる
   見られた心はかたちなく
   確かなものはどこにもない
   ふりまわすのは心なのか
   ふりまわすのは自分なのか
   心は自分ではなく
   自分は心ではない
 
   自分をさがしても見つからないが
   見つけようとする自分がいる
   あるはない
   ないはある
   内は外
   外は内
   踊りをやめると踊りは消える
   眠りから覚めると眠りは消える
   自分が消えると世界も消える
   世界がなければ自分はない
 
   この世はふたつに分かれていない
   ひとつは全部で全部はひとつ
   分別があっては全体が見えない
   自分にとらわれてはますます遠のく
   悟ろうと思う前は悟っているが
   悟ったと思えば悟りはない
 
   昨日は死んだ時間
   明日は生まれてない時間
   今だけがただそのまんま
 
   そのまんまに気づき
   そのまんまを知り
   そのまんまを喜び
   そのまんまの覚悟が生まれ
   そのまんまを生きる
 
   今ここがそのまんま
   そのまんまがあるだけ
   そのまんまを生きるだけ                    
 
                      こんなことが書ける著者に、会ってみたいな…。


    


    ※新年会の模様は、近日中に報告しますね。
               楽しみにしていて下さいね〜♪(纐纈氏が写真520枚撮ってくれたそうです)
          
         その前に、参加して下さったあゆ未さんが早速ブログにUPしてくれてました〜。
                                      あゆ未さん、ありがとうございます。

12月31日(金)
愛に包まれて…

 今年一年を振り返って…

 今年は、体調を悪くしたことで ( 病を得たことで )
 沢山の愛に気づき、たくさん大事なものを得ることが出来ました。

 よく、必要なことしか起こらないとか
 起こることには全て意味があるとかいうけれど
 
 ほんとにそうだなぁ〜と
 改めて、強く実感しています。

 病を「得る」とは・・・
 宝ものを得るということなのだろう。

 病気という、一見不幸に見える出来事の中に
 気づきというものすごい幸運が実は隠されているのです。

 といっても
 自分の調子が最高に悪い時には
 「 どうしてこんなことが起こるの?」
 「 なぜ、私なの?」
 「 神様、どうして私をこんな目に遭わすの?」
 と、答えの出ない苦しい自問自答でもがいていました。
 
 でも、その一見無駄にみえる
 答えの出ない自問自答にこそ
 気づきの種が隠されているのです。

   深く 自分を観察し
         自分を理解し( 許し )
             今、起こっていることを否定せず
                           そのまんまに寄り添う

   そして、周りの人たちの優しさに寄り添う…

   みなさん、優しい言葉をありがとう…。

    「 先生、元気になるまでゆっくり休んでくださいね。」

    「 先生が元気になるまで私たちは待ってるから、安心して休んでくださいね。」

    「 今まで、先生にはいつも元気をもらっていました。
     先生のお陰で、今の私があるのです。
     今度は、私たちが先生に恩返しをしないとね…。」

    「 先生〜、私よりは長生きしとっけや。
      私、死ぬまでヨガやるでの…。」と、私より人生経験もヨガ歴も長い生徒さん。

    ほんとにみんな家族のように温かい…。

             ― ありがとう ―
     


  直美さんが「先生、元気になって下さいね」と作って下さった
                                     心のこもった『 アップルパイ ♪』
            

  息子ぐらいの歳の郁史君が
                        「先生が元気になるように、僕、念を込めて搾ったんです。」と
                                          持ってきてくれた人参ジュース

  辻本さんが一所懸命本を見て作ってくれたブラウニー
                         「ゆっくり治してくださいね。」と、お手紙と共に…。
  

  みなさんの愛に包まれて
  今年はじっくりと自分に寄り添うことができました。

  親の愛に包まれた子供が
  安心して伸び伸びと冒険し、成長していくように…。

  安心の中で、ほんの少しだけだけど、自分の本質に近づけたような気がします。

       今年最後の日となる今日…

            今年一年で経験したこと
                      出逢った人
                          起こったことがら
                                 掛けていただいた言葉…
              
                その全てに
      
                     心からの感謝を込めて―。

                                            合掌
                                        

12月1日(水)
こんなにも支えられて…

 10月にこの『diary』で、体調の悪さを初めて告白し
 その翌日の講座で、直接私の口から生徒のみなさんにカミングアウトしました。

 その日は、偶然にも私のヨガの生徒だけではなく
 福井県内でフリーで活躍するヨガの先生方や
 石川県のヨガの先生、そしてヨガの先生を目指し勉強中の卵ちゃんたち
 そして、名古屋のヨガの先生など
 沢山のヨガを愛する人たちが私の講座を受けに来てくれていました。

 私が今回の調子の悪さから学んだこと、気づいたことを話するのは
 勇気の要ることでもありましたが
 「ヨガ」を伝える絶好のチャンスだと思いました。

 なぜなら、ヨガとは、体を動かすことだけをいうのではなく
 自分を知ること、自分に寄り添うこと
 素直になること、気づくこと、感謝することを教えてくれるものであり
 人生そのものがヨガ指導に活かされ
 ヨガが人生を支えてくれるということを
 私の体験から、より分かり易く理解してもらえそうな気がしたからです。

 ヨガは、自分の不自然さを教えてくれます。
 
 足りないもの、余分なものを教えてくれます。

 手放さないといけないもの
 削ぎ落とさないといけないものを教えてくれます。

 私は、今回のことで
 自分の不自然さを、強情さを、頑固さを、囚われを、執着を
 これでもか、これでもかと思い知らされたのです。
 その全てをみなさんに話し、そこから気づいたことを話しました。

 話しながら涙が溢れ、聞いてくれているみんなも一緒に涙を流してくれました。

 いつも元気一杯のイメージがある私の口から発せられる
 「うつ」という言葉や、「死ぬ」ことも意識した瞬間の話は
 かなり衝撃だったことと思います。

 でも、それが事実であって
 いつも元気一杯に見え、どんなことも笑顔で乗り越えているように見えている私も
 ほんとは弱く、愚かな人間であるということ
 実は、小動物のように震えていることもあるということ。
 
 みんなが真剣に、真剣に、私の気持ちに寄り添うように聞いてくれました。

 そのみんなの表情を見ていたら
 あ〜、私はひとりではないんだ !!
 こんなに沢山の人が、いつも私を見守っていてくれるんだ…
 一緒に涙し、私に寄り添ってくれているんだ…

 と思い、みんなの優しさと温かさが有り難くて有り難くて
 気弱になっていた私は、たくさんの勇気をもらいました。
 
 今回の不調から得たものは沢山あります。

   数え切れない程の気づき

   人はひとりで生きているのではないということ
   病気は、ひとりでは治せないということ
   必ず、誰かが支えてくれているということ
   周りの人たちから与えられる無償の愛
 
 どの気づきも、私の宝物です。

 そして、この宝物を与えてくれた不調こそが
 一番の宝物なのかも知れません。

 この時期に、きっと気づかないといけないことだったのでしょうね。

   調子に乗るなよ。
   浮かれるなよ。
   有頂天になるなよ。
   お前はまだまだ未熟なんだぞ。
   もっと、周りの人たちの愛に気づき、感謝しないとダメだぞ。
   そして、自分を大事にして、周りの人を大事にしなさい。

 と、神が囁いてくれたのだと思います。

 

 私のことをいつも心配してくれる
 心優しいゆりえちゃんがくれたメールの言葉です。

    穏やかな水溜まりに小石が一つ飛んでくると
    水面は波立って景色がぶれて
    何とかその波を止めようと手を触れても波立つばかりで‥
    そんな時はただただじっと‥波がおさまって行くのを待つしかないのですよね‥
    いつかは穏やかな景色が必ず水面に映っているのですから。

    頭では分かっていても、苦しみの渦中に居る時は
    どんなにいぃ言葉や教えもなかなか受け容れられる余裕がなかったりします‥

    だから、そんな時こそ、冷静な目で判断出来る家族や友人だったり
    第三者が周りに居てくれるのだと
    やっぱり人は支えあって生きているんだって思います。
    隣に人が居れば憂いは優しさに変わります。

    先生、ありのまま、等身大の先生でいぃんですよ〜

    心の中の柵 ( こうあるべき ) を外して、気持ちらく〜になっていぃんですよ〜

    ゆっくりでいぃんですよ〜

    歩くという字は少し止まれば歩くとも読めます。
    みんなで歩んで行ければ素敵なことじゃないですか☆

 
 なんだか、生徒の方が先生みたいですね。
 だから、私の先生は、生徒のみんななのです。
 ありがとう、ゆりえちゃん…。


 そして、ゆりえちゃんが教えてくれた、ちょっと得するいぃ話♪


   人は悲しい時シクシクと泣きます‥

   人は嬉しい時ハハハッと笑います♪

    シクシク 4×9=36
    ハハハ  8×8=64

   36と64を足すと100になります

   人生100とすると笑う人生の方が多いんです♪

   これを知ってるとちょっと得した気分になりませんか(*^o^*)

   ゆりえより

    

10月19日(火)
調子の悪さと寄り添いながら…

 前回の 『diary』 で、寄り添うことの大切さを書きながら
 自分の、このところの体調の悪さに寄り添うということが
 ほんとに辛くて、苦しくて
 「生きる」ことさえ手放したくなるような思いで
 このひと月程、必死にもがいていました。

 四六時中襲うめまい、後頭部の痺れ、起きていられない程の体のだるさ…。

 そして、それが原因で夜も眠れなくなり

 夜中に眠れなくなると

 「 一体、私はこの先、どうなるんだろう?」
 「 何の病気?」
 「 もうヨガが出来なくなるんだろうか…。」
 「 スタジオはどうしよう?」
 「 生徒のみんなに何て言おう…。」

 という、不安ばかりが襲ってきて

 そして

 「 この苦しみから、何を学べばいいの?」
 「 何がいけなかったの?」

 と、自問自答が続くのです。

 夜中に真っ暗な部屋でパニックになり、救急車を呼ぼうかと考えたり
 いやいや、こんな時こそヨガを実践しないと!と思い直して
 めまいの中で何とか布団の上に座り、座法を組み
 いつものように瞑想をして、呼吸を整えようと必死になる。

 でも、必死になればなるほどパニックに陥る…。

 こんなことがひと月程続いて
 今、ようやく、その症状から解放されつつあります。

 だからこそ、こうして 『diary』 にも書くことが出来たのです。
 渦中にある時は、調子の悪さを悟られないようにと必死でしたから…。

 このひと月の間
 この症状を打ち明けた師匠や美枝先生(師匠の奥様)には、大変な心配を掛けてしまい
 そして、ひとかたならぬお世話になりました。
 不甲斐ない弟子で、情けないです。

 かなり弱気になっていた私に、美枝先生は
 「 私もそうだったのよぉ〜。今の上野ちゃんと同じ歳の頃、調子悪くてね…。おんなじ症状だったよ。
  でもね、絶対に良くなるから大丈夫!!焦らないで、ゆっくり治そうね。
  そして、み〜んなが助けてくれるよ…。」
 と言って、弱気になっている私に 優しく寄り添って下さいました。
 もう、涙が出そうでした。
 
 そして、名古屋の指導員仲間にも支えられ
 その温かさと愛の力で、ここまで回復することが出来ました。

 今、私は気づかないといけない時期にきているのだと思います。

 この不調が、生き方を正すチャンスなのだと…。

 いつも講座の中で自分が発している言葉や
 この 『diary』 に書いている事が
 実は、今の自分にとって一番必要なことであり
 自分には欠けていること、足りないことなのだと思います。

 身に付けていかないといけないことなのです。

      無理をしないこと。

      頑張り過ぎないこと。

 離婚して5年…。

 結婚生活も必死だったけど
 離婚してからも、様々な事を乗り越えるために
 知らず知らずのうちに無理をしてきたのだろうと思います。

 いつも、家族や仲間から
  「無理しないで 」 と言われ続けてきた。

 息子からのメールには、いつも
  「 おっか、人に任せるということも必要なんやぞ。
   何でも自分でしようと思わずに、おっつぁ(元旦那)の楽天的なとこも見習えよ。
   とにかく無理すんなよ!」
 と、私の無理してしまう性格をわかっていて、必ずこんな言葉が書かれているのです。

 それでも、私は無理しちゃうんですよね…。
 これが、正さないといけない大きな課題です。

 そして、いつも言っているように
 病気は、神様からのサインです。

 病気になるには、必ず原因があります。
 病気になるには、病気になれるための < 資格 > が要るのです。

 病気になるような、食べ方・動き方・ものの考え方をしているということ。
 それを、病気が教えてくれているのです。
 
 師匠が言います。

    「人は、死なない為に病気になるんだよ。」 と…。

 そして、師匠の師匠・沖正弘聖師の書かれた
 『 ヨガの喜び 』 にも、こう書いてあります。


    悪い癖や悪い習慣を、そのままにしていればどんどん病気になってしまう。
    それでも人間は、それを訓練によって克服できる。
    訓練で心と体に、いちばん自然な状態を覚えさせれば
    人間はその通りに動くことができる。
    ヨガ行法は、こうして自分を自分で支配する。

    アメリカの航空宇宙局は、宇宙飛行士に訓練をさせるとき
    古今東西の訓練法を調査した結果
    ヨガ行法をもっとも役立つものとして採用したそうだ。
    ヨガが人間の心身のしくみを、いちばんよく知っていたからである。

    ヨガでは、「生命(いのち)は絶対に冒されない。いつも健康でいられる。」
    と信じている。
    生命の働きは、健康を守り、維持し、回復することをくりかえしているのだから。

    人間は病気になるはずがない。
    病気は健康を守る生命の働きの現れである。

    しかも、生きていることは、それだけで自然なこと、
    バランスのとれていることだ。

    野生の動物には寿命があっても、人間のような不自然な病死はない。
    われわれが患うということも、じつは自分の生命力が不自然さをきらって
    自然を取り戻そうとする バランス維持の働きだ、と思うべきだ。

    病気にかかったら、自分の不自然状態を教えてくれる、生命の働きに感謝しよう。

    ヨガは、このような人間が本来もっているバランス維持の力を
    最大限に高め、生活の中で実行する行法だ。

    バランスを 心と体にわからせれば、
    人生はこれまでの数倍楽しいものになる。

                              ― 「 ヨガの喜び」 から抜粋 ―

 実際に、この不調のお陰で、様々なことに気づきました。

 周りの人たちの、私に対する深い愛を知り
 これまで、どれだけ支えられ、助けられていたのか…
 そして、どれだけその思いに甘えさせてもらっていたのか…
 改めて気づかされました。

 これからは、その恩返しをしていきたいと思います。

 こうして、この不調の中で、もがきながら気づいたことが
 これからの人生のお守りになっていくのだと思います。

 そして、いつも色んなことを教えて下さる長谷さんに

 「 先生…、お辛いでしょうね。
  今、先生の魂の成長の為に
  何か手放さないといけないものがあるのでしょうね。
  それを手放した時、体調も良くなるのだと思います。
  その気づきの為に、今の不調があるのかも知れませんね…。」

 と、教えられました。

 きっと、「 ヨガの先生だから、健康でないといけない 」
 という思いこそ、手放さないといけないのだと思います。
 もっと、自然でいいのだと、自分に言い聞かせて

   調子がいい時も
   調子が悪い時も

   あるがままの自分に寄り添っていくこと

 
 みなさん、本当にありがとうございました。

         言葉では言い尽くせない感謝を込めて…。

                                       合掌
    

8月27日(金)
いい時も、悪い時も、ただ寄り添う

 『 今の自分にOKを出そう !! 』
 
 今、学んでいるチベット・ハート・ヨガのmasa先生
 いつも、そう語りかける…。

 自分に寄り添うというのは
 常に自分にOKを出し続けることなんだと思う。

 調子のいい時も、悪い時も
 ず〜っと自分に寄り添う。

 そのまんまの自分を何も変化させず(無理に変えようとせず)
 ただ、じ〜っと今の自分と一緒にいるということ。

 調子の悪い時
 現状を変えようとしても、現状は変えられない。
 だって、今、起こっていること(現状)は、過去の結果だから…。

 だから、現状を変えようとあがかず(変えられないのだから)
 「まぁ〜、こんな時もあるさ…」と
 現状にOKを出す。
 
 今の完璧じゃない自分も否定せず
 「完璧じゃなくたっていいじゃん!」
 と、今の自分にOKを出す。
 
 足りないところがあっても
 だからこそ、学び続けられるのだから
 足りないところもOK !!
 
 未熟な自分も大歓迎 !!

 いい人じゃない自分もOK !!

 否定していても、何も始まらない。

 
 だから、今の自分を、しっかりと肯定した上で
 今、出来ることを精一杯やる。

 そしたら、現状は変えられなくても
 未来は、知らないうちに変わっていくのだと思うのです。

 変えよう !! 変わらなきゃ !!と必死にならなくても
 それに気づいた時点で
 もう変わっていると…。

 そして…

 自分にOKを出せるようになると
 人にもOKを出せるようになるのです。
 人にも優しくなれるのです。

 優しい生き方が出来るようになるのです。


 
 それを教えてくれたmasa先生に
                   心から感謝いたします。

 自分を肯定し
 現状を肯定し
 運命を肯定し
 人生を肯定し

 そして

 同じように、人を肯定して

 優しく、優しく、生きていきたい…。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


          「 運命は変えられるか 」
                             天外伺朗 ( ソニーでコンパクトディスクや
                                     ロボット犬「AIBO」の開発に携わるなど
                                     エンジニアとして第一線で活躍しつつ
                                     精神世界の研究を通じて
                                     人生を追求している )
 

   運命を変えたいという人はたくさんいらっしゃいますよね。
   講演なんかで例えば200人の方が集まっていたとして、
   運命を変えたいと思っている人はいますかって聞くと、
   大抵30〜40人は手を挙げるんです。

   私がそこで考えるのは、
   その運命を変えたいという思いの裏に、
   いい運命と悪い運命を区別しようとする心がある
   ということなんです。


   でも、それは本当に区別できるんでしょうか。
   ここが一番大きなポイントなんですよ。


   いま、私は医療のことをやっていますが、
   うちのお医者さん方は腕がいいので、
   難病がどんどん治るんです。

   そうすると、病気が治ってよかったって皆喜ぶわけですね。
   それは当たり前の話なんですけど、
   なかには病気になってよかったという人がいるわけです。


   病気になったおかげでこんな気づきが得られた。
   いままでの人生と180度変わったと。


   これは「実存的変容」というんです。


   そうすると、病気が治ったことよりも、
   その実存的変容のほうが
   人生ではずっと大切なんじゃないかと私は思うんです。
   病気という、一見不幸に見える出来事の中に、
   気づきというものすごい幸運が実は隠されているのです。


   それは病気に限らず、あらゆる出来事が
   そういう具合になっています。
   これを昔の人は「人間万事塞翁が馬」と言ったわけですね。

   ですから、幸運と不運というのは
   本来は分けることができないはずで、
   幸運でも不運でもないものが、
   ただひたひたと押し寄せてくる。
   これが人生なんじゃないかと私は思うんです。


   このことを私はよく波に喩えるんです。
   波というのは山があったり谷があったりして、
   エネルギー的に見ると、
   山のところは位置のエネルギーが最大で、
   スピードのエネルギーがゼロです。

   そして谷のところはスピードのエネルギーが最大で
   位置のエネルギーがゼロ。

   その両方を足し算すると、
   どこでも同じだけエネルギーがあるのです。

   運命を変えたいという人は、
   その波の谷を逃れて
   山だけに行きたいと思っているのです。
   それは無理な話で、山だけの波というのは
   存在しませんよね。

   そういう具合に、われわれは
   いろんなエネルギーといろんな出来事を、
   宇宙の計らいとして
   受け取っているだけなのではないかと思うんです。


   もちろん、そのことを理解したからといって、
   すぐに人生が変わるわけではありません。
   やはり地道に自分の心を開発して、
   運命というものに対する受け止め方を
   少しずつ変えていくしかないでしょうね。

 

8月24日(火)
出逢い…

 
 初めて出逢った人なのに

 何年も前から知り合いだったような…
 なんだか懐かしいような…
              と、感じたりすることがあります。

 不思議と、今、新たに出逢う人たちに
                それを強く感じるのです。

 そして、私だけがそう感じているのではなく
 相手も、そう感じてくれています。

 そんな出逢いが続いています。

       それも、絶妙なタイミングで…。

 
 今年の1月清澄寺にて、ご来光…

 
 そして、その出逢いによって

   知らなかったこと
   知りたかったことを教えてもらっています

   それが、どんどん新しい扉を開けてくれるのです

   そして、私の人生がどんどん豊かになっていきます

   そして、それがまた、次の新たな出逢いへと繋がっていくのです…


 出逢いは偶然じゃないというけれど

      きっと、ほんとにそうなんだと思います…。


    森信三氏の言葉・・・


         人間は一生のうち 逢うべき人には必ず逢える
 
         しかも 一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に


                       という言葉を実感しています。


       この素晴らしい出逢いとご縁に
                  心から感謝いたします…。

                            人生ってほんとに優しい…。
  

8月20日(金)
ノンベエ ヨギー

 お盆に泊まった山小屋で
 真夜中に、外から聞こえてくる何かの鳴き声が
 かなり大きな鳴き声で
 それも、あちこちから聞こえてきて
 ず〜っと鳴いている。
 止んだかなぁ〜と思うと、またどこからか聞こえてきて
 そこからまた賑やかに鳴き始める。
 真っ暗の闇の中で、動物達は何を話してるんだろうなぁ〜と
 人間達がよくやる井戸端会議なんかを想像して
 なんだか微笑ましくなって、一人ニヤニヤしてきた。
 それが、鳥たちなのか、四つ足動物たちなのか・・・
 きっと夜行性の動物なんだろうなぁ〜とか
 いろいろ気になり出したら
 なかなか寝付けなかった。

 で、思い出したのが、今年6月に行ったインドネシアでの夜のこと。
 ジャングルのような大自然の中で迎えた夜…。
 とにかく聞こえてくる、自然界の在りのままの息づかい。

 木々の間を、物凄いスピードでピュ〜〜〜っと吹く風の音
 そして、その風に揺れる枝や葉っぱのザワザワ〜、ゴソゴソ〜っとした音
 地面が鳴る、ゴ〜〜〜っという ちょっと不気味な音
 夜中におしゃべりを始める鳥や動物の話し声
 
 それは、それは、夜中とは思えない賑やかな音…。

 その大自然と一体にならない限り、到底寝付けない。

 という、自然は決して静かではないという話をしていたら
 橋本指導員が 『 あっ、ちょ〜ど俺が今読んでいる本にも、そんなことが書いてあったなぁ〜。』
 と、ワクワクした表情で、カバンの中からサッと単行本を取り出した。
 ほんとに、さっきまで読んでいたという感じで…。

  椎名 誠の 『 ひとり ガサゴソ 飲む夜は…』 というタイトルの単行本。

  ん〜〜〜、お酒をこよなく愛する橋本指導員らしい本だな
  と、妙に納得して、帯の言葉に目をやると
  「 ノンベエ 必読 」と…。
  ますます納得 !!

  ノンベエ ヨギーかぁ…
  いかがなものかと思ったけど
  そうだ!!
  沖正弘聖師も、ノンベエだったというし
  我が師匠もノンベエ ( ノンベエじゃないぞ!と師匠の声が聞こえたような )
  そして、私も量は飲めないけど、お酒は好きだし
  ということは、しっかり受け継がれているということ…(?)
  ノンベエの師匠でよかった♪
 
 旅慣れたバックパッカーの
                                     橋本指導員(今年3月インドにて)


 椎名 誠に憧れるノンベエ ヨギー


  橋本指導員が、「 ほら、ここ…」と、ページをめくって見せてくれた。
  その「 ひとり ガサゴソ 飲む夜は…」の中に
  「オアシスの夜はけっこううるさくて ついついウイスキーがすすんでしまうのであった」
  という章があり
  その章の中に 「うるさくて睡れないオアシスの夜」 という短いエピソードがある。
  ノンベエは、なにかに かこつけて「飲む」。
  そこがなんか憎めなくて可愛い…。
  椎名 誠のお茶目なエピソードが可笑しくて
  読んでいたら、またどこかに旅をしたくなってきた…。

  その部分、抜粋しますね。

  なんか、笑えます♪

 椎名誠さん、かなり面白いです !!


        うるさくて睡れない オアシスの夜

   僕の好きな旅の名人に 蔵前仁一さんがいる。
   いわゆる筋金入りのプロのバックパッカーで ( プロというのも変かなあ )
   1年とか2年とか、平気でずんずん世界中を旅していく。
   著書も一杯あるが ぼくの1番好きなのは 『ホテルアジアの睡れない夜』(凱風社)である。

   バックパッカーは基本的にドミトリーという、まあ日本ふうにいえば
   相部屋木賃宿に泊まっていき、いかに安く長旅を続けるか
   というのがテーマになっている。

   その中で、ヒマラヤ山麓や南の島などの夜はけっこううるさい
   ということを書いた一節がある。
   そんな場所の夜というと、人工的な音はほとんど聞こえないというのは本当だが
   かわりに非人工的というか、むしろわかりやすくいうと自然の音が強烈に聞こえすぎるのだ。

   たとえば彼が書いている。ロバやニワトリなどが夜中に鳴いたり叫んだりする声が
   もろに聞こえてきて、それが強烈である。

   本当にそうなんだよなあ、とその一文を読んでぼくも大きくうなずいたものだ。
   ヒマラヤの山麓ではないが、たとえば西域のいくつかのオアシスの村に
   ぼくも泊まったことがあるが、ロバというのは真夜中に無意味に いなないたりする。

   ラクダの鳴く声はある種 悪魔的に異様で
   聞いているとウナされそうである。

   月が出ていると、犬があちこちで叫びまくる。
   オオカミの野生の本能がそうさせるのだろうか。
   どこかで一匹が吠えると、それに呼応して いたるところで遠吠えが始まる。
   ニワトリが怯えて鳴きまくる。

   とにかくうるさいのなんの。
   風のない月夜が一番うるさいということを実感した。

   風があるとポプラの木などがあちこちで激しく枝葉を揺らせて
   オアシス全体が風の音の中にくるまれるような状態になる。
   そうするとロバや犬の吠え声もあまり気にならないのだ。

   だから慣れないうちはオアシスで寝不足になる。
   明日の行動があるので、睡るためにサケの力を借りる。
   砂漠だから、ほんの少し非蔵品として持ってきたウイスキーなどを
   ベッドの上に座ってぐびりと飲む。
   あまり飲んではいけないと思いながらも
   そのぐびりが もうひとつのぐびりになり、さらにまた次のぐびりにつながってしまう。

   人工の音が聞こえないオアシスの中でウイスキーを飲むと
   不思議なことに酔いはじめの当初
   かえってその五感が研ぎ澄まされてくるようなところがあって
   ロバやニワトリの鳴き声の他に
   おびただしい虫たちの鳴き声が新たに加わってきたりする。

   「 しまった 」 なのである。
   それを笑うように隣の馬囲いの中にいるロバが
   バスンとおならをする音なども聞こえてくる。
   おかしくなって、また一杯ぐびりと飲み、一人で笑ってしまう。

   オアシスの闇の中で、自分はいったい何をばかなことをしているのだろうか
   と思いながら、ウイスキーの酔いが眠気につながってくるのをじっと待つ。
   そのうちに尿意を催してきて外に出ると
   待っていました、とばかり、そこいら中の犬が鳴きまくるのである。


 という一節…。

 なんだか、ノンベエを愛おしく感じてしまう。

 そして、インドネシアには行けなかった橋本指導員は
 『 いいなぁ〜。俺も、そんな寝付けない夜を体験してみたいなぁ〜。』
 と、すねていた。

 ノンベエ ヨギーは意外に駄々っ子でもあるようだ…。
   
  

7月31日(日)
冥加と知る

 


                                     今年3月、ガンジス川のほとりにて…

     『 冥加(みょうが) と知る 』

  いつも静かに物事を観、出会う人や物をこの上なく大切にし
  その感性で優しい言葉を掛けてくれる
  そんな友人からのメールの中にあった「冥加と知る」の言葉…。
  彼が20代の頃に本で読んだ言葉だそうです。

    風に揺れる木々の枝葉が目に見えるのならば
    同時にそれらを揺らす風にも思いを馳せよ

             という文脈で出てきた言葉だという…。

  目に見えるものの中に、目に見えない大いなるものの働きを感じ取る
  そして、その大いなるものに感謝する

  それは、まさにヨガ…。

  彼は、私が話す私の過去の話(辛い事も悲しい事も)を聞きながら
  その悲喜それぞれの記憶が、私にとっての風なんだと思ったという…。

  今の私を作っているのは(揺れている枝葉は)、今までの私の経験(揺らす風)…。

  なるほどなぁ〜。

  その風に乗って、今の私がある。

  そして、その風に乗って、私はどこに行くのだろう…。

  私は、その風( いい事も悪い事も過去の経験全て )に感謝している。

  彼がくれる文学的なメールは
          いつも優しい風となって,、優しく私を抱きしめてくれる。

                        −ありがとう−

  


7月6日(月)
「神々の島」 バリ島にて…

   「神の宿る島」バリ島

   「神々の島」バリ島

 旅行のパンフレットでよく見かける、この言葉…。

 今回バリを訪れてみて、なぜこう表現されるのかよ〜く理解できました。

 ご縁を頂いて、6月の末からインドネシア(Bali)に
 ヨーガと瞑想の勉強に行ってきました。


朝日を浴びながら、朝の瞑想…


 みんなで感謝の祈りを…



 大地のエネルギーを感じて

 大地と繋がり、大地に感謝…


   今回は、小学校の頃からヨガを続けている娘も一緒にBaliに…。


 感謝の祈りを捧げる娘(美佳)


  ヒンズー教を信仰するバリの人々は
  毎日お供え物をして、神に感謝し、神に祈りを捧げている。
  島のいたるところで、そんな光景を目にする。

  そして、島の人たちはヨガ的生活を送っている。

  そこに居ると、ヨガとは日常の行いの中にあるもの、特別なことではないということを
  改めて感じさせられる。
 
  そこに居ると、「生きる」本当の意味を、生々と感じさせられる。
 
  バリ・ヒンズー教の真髄とは、「調和」。
  自分の中の小宇宙と、自分を取り巻く大宇宙との調和
  喜び・悲しみなどの対極の要素の調和
  地・水・火・風・空間の5大自然元素の調和など
  生活のあらゆる局面で調和を求める、バリヒンズーのスピリチュアルな教え。

  今まで、私はスピリチュアル的なものがよく理解出来なくて
  何となく今まで避けてきた世界でありました。
  というか、あまり興味の湧かない世界でもありました。

  でも、この部分の理解が出来たら
  私のヨガが、瞑想が、もっと深まるんじゃないだろうかと気づき始めていたことも事実です。

  やっぱり、気づくと、ちゃ〜んとその機会が与えられるものなのですね。

  名古屋に住む娘から、突然
  「 お母さん、私のヨガの先生から 『美佳ちゃん、お母さんと一緒にBaliに行かない?』
   と誘われたんだけど、一緒に行かない?」 との電話…。
  日程を聞いたら、丁度スタジオの休講日が入っていて
  なんとかスケジュール調整の出来る一週間。

  これが、タイミングというか、ご縁なのだと確信して
  急いで準備を進め、今回の旅が実現したのです。
  
  今回の旅で、ちょっとだけ理解できた魂の世界…。

  でも、まだまだ深くは理解出来ていないし
  今は、この位の理解で、今の私には丁度いいような気がします。
  きっと、時期が来れば ( 私にその準備が出来た時 )
  またその機会が与えられ
  どんどん深く理解できていくものなんだろうなぁ〜と思っています。
 
  今までも生徒に伝えてきた
    
     ― ヨガは魂を磨き、輝かせるもの ―
    
  ということが、これからはもう少し明確に伝えられるような気がします。

  宇宙の道理、法則を知ること
  永遠、無限に成長を続ける魂のこと
  そして、その神の導きに気づくことで
  私たちはもっと豊かに自由になれると思うのです。

    私たちは、大いなるものから愛された存在であるということに気づき
    その大きな愛に、安心して身をゆだねること
    そして、その愛に感謝すること
    愛と感謝の祈りを捧げること

  神の宿る島で、神の愛を知り
  神の愛に包まれた、柔らかで豊かな時間を過ごすことが出来ました。
  
  このご縁に、心から感謝いたします。

 村の風景





 村の市場

 市場でお祈りのお供え物を売っている

 みんな頭の上に物を乗せて運んでいる

 私たちに手を振る子供達



 

 娘とバリの子供たち

 ゴミではなく、洗濯物を干してます


 富士山みたい…、キンタマーニ高原



  バリの家は、間取りが決まっているそうです。
  神々の島バリでは、バリの神々に守られてこそ家も家族も安泰でいられるという考えから
  バリヒンズー教にもとづいた家づくりをするために、間取りも配置も決められているのです。
  山とはバリの聖山である「アグン山」のこと。
  神々の宿る山は、人々に恵みをもたらす
  つまり、人々の糧となる水が流れてくるありがたい方角が「山」であり
  逆にその水が汚れて流れて出ていく方角が「海」というわけ。
  このバリヒンズー教の考え方をもとにして
  家の中で一番大切とされる両親の部屋や家族の寺を「山側」に
  そして汚れやゴミの出る台所を「海側」に配置したのがバリの家である。

  案内して頂いたこの家は、一般の中流家庭だそうです。

 各家の敷地の中に、お寺があるのです

 「家族の寺」は敷地内でも神聖とされる「山側」に。家族が祈りを捧げる場所


 これは両親の部屋

 「両親の部屋」は大事な部屋だから敷居もちょっぴり高め。


 中央の部屋で娘さんが作業しています

 宗教儀式の棟「バレ・ダンギン」は敷地の中央に。
 ここではお供えもの作りや、様々な儀式が行なわれる


 これは台所の棟

 中は薄暗く、昭和初期のような風景

 これは家畜の餌を煮ているところ

 バリでは、かなり時間を掛けて丁寧に食事を作ります。
 でも、一日に一回しか食事を作らないそうです。
 その一回で作った物を、朝、昼、夜と分けて食べるそう…。
 で、テーブルを囲んで一家団欒で食べるという風習はないらしく
 この薄暗い台所で、土間にしゃがんでそれぞれがコソコソと食べるそうです。
 意外な食文化に驚き…!!
 

 籠の中には一羽ずつニワトリが…

 これ、何の部屋だったっけなぁ〜?



 インドネシアといえば、ヤシの木


 空港前で、美しい夕陽を…

 
   バリにて学んだ、愛と感謝の祈り…。


    祈りは、私たちの人生を導いてくれます。
    祈りは、私たちの魂を目覚めさせてくれます。

    祈りは、私たちの日常そして人生の
    その尊き意味に気づかせてくれます。

    祈りは、自分自身との真剣勝負です。
    愛と英知を輝かす、自らの心との真剣勝負です。
    その気合と構えが、いかなる場をも神聖な場へと変えるのです。


    最後に、愛する娘に感謝…。

                                   合掌

 美佳、ありがとう…。

                                            
  


5月21日(金)
我が人生に 悔いは無し

宇宙も応援してくれているかのような青空


   5月16日(日)  快晴 !!!   越前市 御誕生寺


   天を味方につけたかのような、この快晴の中
   これまでの我が人生の中で、一大イベントとなった 『GATE』 上映会が幕を開けた…。

   『GATE』 を自主上映しよう !! と思い立ってから
   9ヶ月間温め続けた熱い想いを持って、当日を迎えた。

   そして、その9ヶ月間の中で
   不思議な出会いや、ご縁があった。
   全てがここに繋がっていたのだと確信できた。

          ヨガ

          沖正弘聖師

          牟尼

          釈迦牟尼仏

          仏道

          禅
          
   なぜ、これほどまでに(自分の全財産を投げ打ってもいいとさえ思っていた)
   『GATE』を上映したいと思ったのかが理解できた。

   ヨガと 『GATE』(禅の道) は深いところで繋がっているから…。

   当初は100名を定員に考えて計画を進めていました。
   映画上映に適した映画館や、大きなホール(フロアに傾斜がある)でやる訳でもなく
   お寺の本堂で上映するために、入るだけの人数全てを受け入れていたら
   全く映画が観えなくなってしまいます。
   そこで、100名が妥当だろうということで、定員を100名としたのです。

   そして、上映のチラシをスタジオに通う生徒のみなさんに配りました。

   そしたら、あれよあれよという間にチケットが全て売れて
   最終的に、ご招待させて頂いた御誕生寺の雲水さんや参禅会に来られている方も合わせると
   150名の方が集まることになったのです。

   150名の人を満足させたい !!
   「観えなかった」 「聞こえなかった」は許されない。
   どの人も(御誕生寺の方も)、みんな私を信用して来て下さる。

   チケットを買って下さった方たちのほとんどが
   「 どんな映画か分からんけど、上野先生がそんなにいいって言う映画なら
    きっといいんやろで、いっぺん観てみようかのぉ〜」
   という思いだったそうです。

   本堂での試写や、何度もの打ち合わせを終えて
   いよいよ、当日の会場設定が始まりました。

   「 先生、上映会のお手伝い私にもさせてくださいね。
             何でもしますから遠慮なく言ってくださいね。」
   と、沢山の生徒たちがボランティアでお手伝いを買って出てくれた。

   ほんとにみんなみんな、温かい…。
   

 手作りのスクリーン

 チュンチュンさん、さすが職人 !!

暗幕は借りると高いから、ごみ袋で手作り

途中で出入りしても光が入らないように
                                       入り口は幾重にも重ねて入念に…

 いよいよスクリーン吊るしの作業



 雲水さんたちも、お手伝いくださいました

 ドキドキの映写準備をする橋本指導員

 座布団50枚、椅子100席を準備

 スタッフと細かい打ち合わせ

長谷さん、あゆみさん、啓子ちゃん
                                    恵ちゃん、祐子ちゃん、本当にありがとう

 雲水さんが案内係をして下さいました

今回の企画を喜んで受け入れて下さった
                                               板橋興宗先生(右端)

 スーツに着替えて
                                     駐車場係りをする橋本指導員

慣れた手つきで誘導するチュンチュンさん

 いよいよ開場の時間…

 続々と集まってこられました

 みんな笑顔でお出迎え…♪

 さぁ〜雲水さん達も入場です

 150名の方が集まりました

 心を込めて、挨拶をさせて頂きました

 込み上げる感謝の想い…

橋本指導員が映写開始のボタンを…



    そして、いよいよ『GATE』 は始まりました。

    何度も、何度も、会場にはすすり泣く声が響いていました。
    
    みなさんの心に、人の温かさ、一歩を踏み出す勇気、一人ひとりの心の平和の大切さ
    様々な感動と気づきを与えて、幕を閉じました。

    ナレーターの松嶋菜々子さんが
    最後に、みなさんに投げ掛けた言葉・・・

    「 今、あなたに何ができますか…。」


無事に『GATE』上映は終わりました

 娘と一緒に、感謝の気持ちを込めて
                                              みなさんにご挨拶を…

 みなさんと何度も温かいハグを…

 どんな時も優しく私を支え
                                    私と共に奔走してくれた橋本指導員

今回の『GATE』上映の企画を
                                     お寺をあげてサポートしてくださいました

 お寺の廊下から眺めたお庭


  スタッフとしてお手伝いをしてくれながら、カメラマンもして下さったトイさん
                     思い出に残る写真を、本当にありがとうございました。


 
  こうして、沢山の人たちに支えてもらいながら無事に終えることが出来た自主上映会…。

  私は、一人でも多くの人に『GATE』の感動を伝えたいと思い、ここまできましたが
  いざ終わってみると、私の方が沢山の人から
  沢山の 『愛』 を与えられたのだと実感しました。

  人は、こんなにも優しくて温かで
  誰かの為に一所懸命になれる
  支えているようで支えられていて
  支えられているようで支えていたり
  人は、お互いに支え合える存在であるということ

  私は、ほんとに沢山の人から愛され、支えられ、信頼してもらっているんだなぁ〜と実感し
  心の底から、温かいものが込み上げてきました。

  『GATE』を上映してよかったと、ほんとによかったと
                            心からそう思います。

  いつ死ぬかわからない、我が人生…

  今日、今、この瞬間も

           ― 我が人生に悔いは無し ―

                    正に、この心境を噛みしめています。


         本当に、本当に、ありがとうございました。

                     言葉にできない感謝の気持ちを込めて―

                                                  合掌

  

4月28日(水)
静かな場所に行く


 
 これは「曜日めくり」 の金曜日の言葉…

      
  
          楽寂静 (ぎょうじゃくじょう)    

                     道元禅師 最後の説法「 八大人覚」の一つ


  世の中の雑音から離れて
  静かな所に行って
  自分が生きていること、いや、生かされていることを
  しみじみと味わう…。

  

          
  ヨガを学ぶことで、自然と行き着いた
   『禅』 や 『仏道』 …。

  その『禅』や『仏道』を、体得するために

  今年のゴールデンウィーク( 5/1 〜 5/5 の5日間 )を利用して
  大野の「宝慶寺」に入山させて頂き、 『摂心』(弁道 禅修行)の行に入ろうと思います。
  

 修行の寺 寶慶寺(ほうきょうじ)


  毎朝4時に起きて、まだまだ寒い冷え切った僧堂で坐禅を始め
  5時頃、山の鳥たちが起きる頃(鳥の鳴き声が聞こえ出したら)
  坐禅をやめ、次は読教を始めます。

  こうして、修行の一日が始まります。

  インドでも、4時に起きて夜明け前の瞑想から一日が始まりました。

  やはり、夜明け前の静かな時間が
  一日の中で、最も豊かな時間のような気がします。



  『坐禅』とは…。

     「坐」は、坐ること。

     「禅」は、もともとは巴利語で、静慮(静かに思う)、静観(静かに観る)のこと。

     では、静かに坐って、何を思い、何を観るのか…。

     深〜く息を吐いて、吐いたら、自然と今度は吸っている。
     意識していなくても絶え間なく息をしている自分…。

     その息が出入りしている鼻を思う。
     鼻は縦についていて、穴はちゃんと二つある。
     その鼻の穴を思う。
     その穴から出入りする空気を思う。

     そのどれもが、自分で作ったものではない。

     では、誰が??

     宇宙の生命の創造であることに気づく。

     そして、人は寝ていても(無意識でも)呼吸をしている。

     なぜ…??

     それが、自分は生かされているということを教えてくれる。
     
  私たちは、宇宙の一部であり、宇宙の力で生かされているのです。

  ヨガでも、大宇宙と自分(小宇宙)が繋がるイメージしながらポーズをとり
  その宇宙のエネルギーに感謝をしながら礼拝法を行います。

  今回は、『摂心』というの修行の中で
  「禅」を通して宇宙を感じ、宇宙に感謝と祈りを捧げたいと思います。

  そして、禅の本来の形式に則った作法で( 応量器を使い、僧堂で頂く )食事をし
  一口一口噛み締めて、多くの生命(食べ物)の命をいただいて
  今ここに自分の命があるということを、しっかり心に刻んでこようと思います。

  どうしても 『摂心』 に参加したいと思い、自ら宝慶寺の僧侶様に願い出たものの
  入山の日が近づくにつれ、厳しい修行についていけるか
  ちょっと不安になってきました。
  きっと、女性は私一人…。
  でも、自分の力を信じて、自分の思いに素直に
  この環境に身を置けることに感謝しながら
  心静かに、その日を待ちたいと思います。

  私を受け入れることを承諾してくださった
  宝慶寺の皆様の慈悲のお心に、深く感謝いたします。
  
  
  5/1(土)〜5(水)の間、電話も携帯のメールも繋がらなくなりますが
  ご了承の程、よろしくお願い致します。

  PCへ頂いたメールに関しては、6日以降にお返事致します。

  どうぞ、よろしくお願い致します。

                                          合掌

4月19日(月)
曜日めくり より

 今日、「月曜日」の言葉…

  
     そう、自分は変われる。
     自分を変化させる力をつけよう!!
 
     変化するとは…

             柔らかく

               しなやかだということ。

     その為に、心と体をゆるめよう。

     『許す』 の語源は、『ゆるます』

     ゆるめるとは、許すこと。

     人を許すには、まず自分を許すこと。
     自分に厳しいと、人にも厳しくなって(自分の正しさや、正義感を振り回して)
     許せないことが多くなっちゃうから
     まず自分に優しく、未熟な自分を許してあげよう。

     そして、ゆるめば
  
            柔らかく、しなやかになって

                      変化していけるから…。
     


3月26日(金)
BE KIND BE COMPASSIONATE

 シヴァナンダヨ−ガ・アシュラム











 私たち一行15名 暫し瞑想…

 ここは、瞑想ホール


  朝4時に起きて、この瞑想ホールにて瞑想…。
  この写真は昼間に撮ったから明るいが
  夜明け前は真っ暗…。

  現地の人たちに混じっての瞑想。
  雑念ばかりで「今、どの位経ったかなぁ〜。」
  「あとどの位坐り続けるのだろぉ〜。」
  「ん〜、動きたいなぁ〜。」
  「みんな、何考えているんだろぉ〜?『無』になってるのかなぁ〜?」
  「あっ、あの人はきっと寝ているぞ。」
  などと、全く集中できずに、体をゴソゴソと動かしていた。

  それも、よき思い出…。


 シヴァナンダヨーガ・アシュラムにある塔

 塔の下部の言葉にハッとした



                  BE KIND

              BE COMPASSIONATE


                   優しくありなさい

                   慈悲の心で…


   いつも、そうありたいと思っている。

   なぜなら…
         ヨガとは

           優しくあること、慈悲の心を持つこと

         ヨガ道とは

           それを体得することだと思っているから…。

   それが、ヨガが目指す『自他一如』 なの だと…。

   

        【慈悲】とは

             仏教における もっとも基本的な論理項目で
             “ 慈 ”とは 相手に楽しみを与えること
             “ 悲 ”とは 相手から苦しみを抜き去ることである
             これを体得して、対象を差別せずに慈悲をかけるものが
             “ 覚者 ”(かくしゃ)すなわち仏(ほとけ)であり
             それを象徴的に表現したものが、観音・地蔵の両菩薩である。
             やさしくいうと、慈悲とは
 
             『 相手と共に喜び、共に悲しむ 』 ということになる。

                                           「仏教聖典」より―
     

3月22日(月)
ヨガ道の目指すもの





夜明け前、ガンジス川に祈りを捧げる女性



   お陰様で、体調を崩すこともなく、元気にインドから帰ってきました。

    「気をつけて行って来てくださいね。インドのお土産話楽しみにしています。」
    「インドで無理しないでくださいよ。慎重に行動してくださいね。」
    「梅干し、忘れずに…。」
   と、優しい声を掛けて下さった、生徒のみなさん
                         ありがとうございました。

   そして留守中、講座の代行をして下さった
   野坂指導員、バヤルマ先生…
                本当にありがとうございました。
               

   沢山の思い出を持って、帰ってきました。

   何からお話しようか、迷ってしまいます。
   これから、何回かに分けて
   ぼちぼちお話していきますね。

   今回のヨガの旅では
   7つものアシュラムを回ることができました。
   そして、それぞれに、そこの最高責任者にお会いさせて頂くことができました。
   グルと言われる人たちです。

   今回のこのヨガ修行の旅をコーディネイトして下さったインドの方が
   以前NHKで放映され、物凄い反響を呼んだ
   「菅野美穂インド・ヨガ 聖地への旅」をコーディネイトされた方だったのです。
   その為、普通の旅ではなかなか体験出来ないような
   貴重な体験をさせて頂くことが出来ました。
   最高責任者(グル)に、優先的に会わせて頂くこともその一つでした。

   シャンティクンジ アシュラムでは
   全てが無料で運営されています。

 シャンティクンジの最高責任者(グル)


   インドの人たちは、グルに一目だけでもお会いしたいと
   行列を作り、自分の順番を待っています。
   この行列が何列にもなり、何時間も待つのです…。(でも、面会できるのは、一人2〜3分程度)
   それでも、毎日、毎日、行列ができるというのです。


  グルに一目会うため、列を作る人たち


   そして、グルは毎日、毎日、 朝から晩まで
   沢山の人々と面会し、「体調はどうですか?」「お身体を大切に」「ご家族を大切に」と声を掛け
   問題解決のアドバイスをしているのです。


  グルの前では涙する人も…

 一人ひとりに温かい言葉を掛けるグル

  師匠夫妻も声を掛けて頂いている

    最初は、グルに会うための物凄い行列を見て
    なぜ、こんなに何時間も並んで、グルに会いたがるのか不思議だった。
    でも、私もグルにお会いして
    その訳がよ〜く分かりました。

    グルに会うだけで、みんな癒されるのだと…。


  
    そして、ジャイナヨーガセンターにて…。
    ここにも、病気の人たちがグルを頼りに治療にやってきます。

  ジャイナ教の瞑想と
                                            ヨガを教えて下さったグル

  グルのラフティーヨガ(笑いヨガ)

  グルは日本の沖ヨガ道場で
                                      一月間過ごした事があるそうです

  ジャイナ教の最高責任者

  優しく私たちを迎え入れて下さいました



   以前、ヨガスートラのワークショップに参加した時に
   講師の先生からジャイナ教の興味深い話を聞いたことがありました。
   呼吸する時、小さな虫を吸って間違って殺生しないように常にマスクをして生活し
   歩く時には、虫を踏んで殺生しないように
   ホウキで足の前を掃きながら歩くということ。
   寝る時は、寝返りをうった時に虫を潰すことがないように
   寝返りもうたないと…。
   「へぇ〜!!ほんとにそんなことしてる人たちがいるのぉ〜??」
   と、ちょっと信じられませんでした。
   でも、今回それを目の当たりにすることに…。
   「わぁ〜、ほんとだ!!マスクしてる〜!ホウキある〜!」


  横にはちゃんとホウキが…


   
  グルの突然の希望で
  私たちは、グルの前でアサナを披露…。
  そして、一人ひとりに拍手を下さいました。

 美枝先生のシルシ・アサナ

 まみちゃんのダヌラ・アサナ

 橋本指導員のトリコーナ・アサナ

 しまださんのマツヤ・アサナ

 うさみさんの開脚前屈

 ゆかちゃんの鳩のポーズ



 そしてグルに面会するインドの人たち
 
    

   今回、何人ものグルにお会いして感じたことがあります。

   それは、全てのグルに共通していること…。


       包み込むような優しさ

       穏やかさ

       安心感

       受け入れること

       与えること

       溢れる笑顔

       そして、それが作られたものではなく
                         あるがままであるということ…。

       そこに存在してくれるだけで、癒される…。
                        

     業を修めながら、ヨガ道を歩み続けていくということは
     そこに向かっているんだろうなぁ〜と強く感じました。

     ヨガ道が目指すものを見たような気がします。

     私のヨガ道はまだまだ続きます。
     まだまだ、まだまだ…。
     まだまだ続くことが、嬉しいなぁ〜と感じました。
     そして、その道を歩くことが楽しみで、ワクワクしているのです…♪

     それが、今回のヨガ修行の旅で学んだ
                        最高のお土産かも知れません…。

身近でそれを教えてくれる私のグル

 いつまでも見守っていて下さいね…

     

2月12日(金)
自分を知れ

 自分を知れ!とばかりに
 毎日様々な言葉が目に飛び込んでくる。

 必要な時に、必要な言葉が現れて
 ハッとさせられる…。

    自分の欠点に一つでも気づくことは
    他人の百個の欠点に気づくことより
    ずっと有益なことです
                      ダライ・ラマ14世の言葉より

 そう、常に自分に意識を向けること
 人を思い通りにしようとしないこと
 いつも自分に言い聞かせている。

 人を責めない。

 責めない生き方を目指していきたい。

 もっと、もっと柔らかく生きていこう…。

 

2月9日(火)
人間関係

 ヨガを実践し、ラジャ・ヨガを学び
 師匠の生き様を見ること
 それをず〜っと続けてきたことで
 ちょっとした悩みや問題は自分で解決できるようになってきた。
 もちろん解決する為には、自分自身を変えるという作業をしないといけないので
 かなり時間が必要であったり、大きな痛みを感じる時もある。

 でも、解決した時(自分が変わった時)には
 今まで見たことのない世界を見ることが出来るし
 乗り越えた者にしか味わえない爽快感を味わうことが出来る。

 といっても、相手のある人間関係での問題を解決するのは
 なかなか容易ではない。
 
 昨年末から燻り続け
 なかなか解決出来ない問題を抱えて年を越した。

 今年、師匠に誘って頂き
 伊勢神宮に初参拝させて頂いた。

 その時に目に飛び込んできた言葉にハッとした。
  『 これだ!!』 『 そうか、これなんだ!!』
 と、ハッキリ気付かされました。


                 人間関係

           この世で何が一番難しいか!

                自分を知ること

           この世で一番容易なことは!

                他人に忠告すること

  
                          今年は、この言葉が私のお守りになりそうです。
 

1月18日(月)
キズナヅミ (絆積み)

 新年を迎えてから、もう随分経ってしまいましたが

 あけましておめでとうございます。
 今年もどうぞよろしくお願い致します。

 なんとなくバタバタしていた年末年始は
 あっという間に過ぎていきました。

 芸人になりたいと吉本養成所に通っていた息子も卒業し
 「メジャーになるには、やっぱり東京やっ!!」と
 一旦大阪から帰ってきて、しばらくの間福井でバイトをして
 少しばかりのお金を貯めて、今度は東京に旅立った息子が
 今年の成人式に出席する為に帰省してきていました。

 金髪に染めた頭に、じいちゃんの古〜い羽織・袴を着て成人式に出席した。
 キンキンに輝く金髪の頭からは、成人式に暴れてニュースになる子らを連想してしまうけど
 息子を見ていると、つくづく「外見で判断してはいけないなぁ〜」と、考えさせられます。
 
 金髪で心優しきサムライ


 成人式の3日程前に、息子と7時間位語り合った。
 「おっかと、こんなに話し込むのは何年振りかなぁ〜」と
 息子がしみじみと言った。
 息子が高校に入学して間もなく離婚した私は
 娘を連れて家を出た。
 自分の意志で「俺は家に残るわ」と言った息子だけど
 どれだけ寂しい思いをしてきただろう…。
 私が家に居る頃は、夕食の後、緑茶を何杯も飲みながら
 夜中までよくしゃべって、よく笑って、ほんとに仲のいい親子だった。

 あれから5年振りくらいだろうか…。

 さすがに昔とは話題にする内容も変わっていた。
 夢や生き方、人生について語り合った。

 やはり、社会に出た息子は以前より大人になっていた。
 物凄く『我』 が強い子だったが、少しだけ丸くなっていた。
 
 『我』 を押し通しているだけでは、生きていけないということを
 社会に出て、周りの人たちから教えられたのだろう…。

 人と同じことはしたくないという思いの強い息子は
 いつも、物事を斜めから見ていた。
 きっと、それが「俺流」みたいな感じで
 なんかカッコイイと思っていたのでしょうね…。
 そして、そんなことから天邪鬼なところもあった。
 
 今、言っても聞かないだろうけど
 きっと社会に出たら、色んな人と出合い、触れ合う中で
 意見が衝突したり、とことん話し合ったり
 怒ったり、怒られたり、挫折感を味わったり
 我慢したり、助けてあげたり、助けてもらったり
 様々なことが起こるだろう。
 そんな日々の生活の中で
 もっと「素直」に生きればいいんだと
 いつか気付くだろうなぁ〜と思っていた。

 親ではない、周りのひとたちが
 きっと息子を育ててくれるだろうと…。

   バイト先の先輩や上司の方々
   学校時代の先生方
   友達
 
 成長した息子は

 『 今の俺があるのは、おっかのお陰なんや。
  おっかの頑張る後ろ姿を見て育ってきたからなぁ。

  小さい頃からおっかを見てきて
  おっか、辛いことも多かったやろうに
  今まで、よ〜やってきたな。

  歯を食い縛って
  よ〜がんばったな。

  おっかの苦労は、俺らが一番知っている。

  それから比べたら、俺はまだまだ甘いなぁ〜と思うんや。
  何一つ、頑張り抜いたということがないもんなぁ〜。

  これではあかんと思うんや。

  俺は、おっかを尊敬してるんや。
  俺もおっかの子やで、頑張るでな !!』 と、目を輝かせていた。

  私は、嬉しかった。
  泣きそうなくらい嬉しかった。

  頑張り抜いたことがないと言う息子だが
  立派に、親の離婚を乗り越えてくれた。
  
  どんなに辛く、寂しかったことだろう…。

  極道の道に入りそうになったこともあった。
  
  おっかの顔が浮かんできて、極道にはなれなかったという。

  これが、幼い頃から培ってきた親子の 『絆』 なのだろう…。
  『絆』 とは温かさなのだと思うのです。
  その温かさが、子供の生きる糧になるのではないかと…。

  1月30日(土)に、そんなお話をさせて頂こうと思います。
  こんな未熟者の私ですが、未熟だからこその気付きなど
  お話できたらいいなと思っています。
  もし、よかったら聴きにきてくださいね。

  『キズナヅミ トーク』
  

12月31日(水)
責めない生き方を目指して…

 去年の忘年会で、今年一年の目標として
 師匠が私たち指導員に言った言葉。

 「 みんな、稼ぐ力をつけなさい。
   稼ぐ力とは、人を喜ばせる力のことだよ。
   いかに生徒を喜ばせるか…。
   人を喜ばせた分、喜びとなって自分に返ってくる。
   それが、稼ぐ力なんだ。
   ヨガによって生徒を喜ばせ、生徒のお役に立ちなさい。
   そんなヨガ指導を目指しなさい.。」

 今年一年、私は、この師匠の言葉を胸に
 精一杯やってきました。

 お陰様で、沢山の生徒に恵まれ
 みんなで、いい事も悪い事も一緒に味わい、支え合い
 そして、いい事にも不都合な事にも感謝の出来る柔らかな心で
 ほんとに幸せな一年を過ごしてこれました。

 今年一年を振り返って、感謝の気持ちしかありません。


 そして、今年の忘年会での師匠の言葉は…。

 「 人を責めない、いつも笑顔でいれる人を増やすために
  一人でも多くの人に、ヨガを普及しなさい。
  ヨガには、その力があるから…。」

 確かに、ヨガには身体だけではなく心を柔らかくする力があります。
 それは生徒の変化を見ていれば分かります。

 心が柔らかくなるということは、物事をしなやかに受け止められるということ。
 
 それは、人や物や、相手を責めなくなるということだと思うのです。

 私が指導員養成を続ける中で
 行き詰ることもあります。
 有り余る自信の中で弟子を育てている訳ではないので
 迷い、悩み、苦しい時もあります。

 弟子との間で誤解を生じることもあります。

 「 私なんかに、人を育てる資格があるんだろうか…?」
 「 人を育てる力なんて、私にはないんじゃないだろうか…?」
  弟子たちに、どの言葉を使い、どういう言い方で話すのが誤解なく伝わるのだろう?
 どう導いていったらいいのだろう…?

 さまざまな葛藤の中で生きています。
 
  きっと、私が育てているのではなく
  私が育てていただいているのだと思います。
 
 行き詰った時、師匠に相談すると必ず言われる言葉があります。

  「 責めてはダメだぞ!! 」 と…。

 そうなのです、何があっても相手を責めないこと。
 責める言葉を使わない。
 責める言い方をしない。

 相手にあったタイミングで、相手にあった言葉と言い方で
 相手が分かるように、より分かり易いように話す。

 頭では充分に分かっていても、実践はなかなか難しく
 私なんかは、まだまだです。

 しかし、師匠は責めない生き方を本気で実践している人です。

 師匠の生き方を見習って
 私も、自分自身が 「相手を責めない、そして笑顔でいれる生き方」を目指し
 それを、ヨガによって一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。

 今年も、私のこと、学院のことを支えて下さったみなさんに
 心から感謝いたします。

 いつも私に、沢山の気付きや学びを与えて下さり
 私を育てて下さっている、師匠や、可愛い弟子たち
 そして、貴重なお金と時間を使って学院に足を運んでくれる生徒たちを
 尊敬し、感謝いたします。

 まだまだ道の途中の未熟な私ですが
 これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

             2009年、最後の日に
                       心からの感謝を込めて…。

                                        合掌

  

11月20日(金)
学び続ける…ということ

          己を尊び、人におよぼす

 師匠と話しをしていたら、その会話の中で
 「あれっ、師匠はどこかで、何か勉強をしているんだろうか?」
 と感じるところがあったので
 「先生、何か勉強しているのですか?」と聞いてみた。

 そしたら、「うん」との返事…。
 週一回、朝6時から勉強会に参加しているらしいのです。
 そして、鞄の中から使い込んだその教本を出してきて、見せてくれた。

 「ここなぁ、ちょっと読んでみ…」 と。



        【 己を尊び、人におよぼす    尊己及人(そんききゅうじん) 

   人は案外、浅知恵(あさぢえ)である。
   世の中にたった一つしかない宝を一番粗末にしている。
   その宝は、己(おのれ)自身である。

   着物や金などは、大切にする、けちけちする。
   又、人から悪く言われたりすると 腹をたてるが
   その実、自分自身はいっこうに大切にしておらぬ。

   人は働けば 健康である。
   怠ければ 体は弱る。

   それに、何とかして仕事をすまい、うまい物は食べたい
   楽はしたいと願う。
   これは 命を縮めたいという事になるのである。

   とりわけて、恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、不足不満の心
   それはただに、一切の病気の原因になっているだけではない。
   生活を不幸にし、事業を不振にするもとでもあり
   己の不幸をまねく 根本原因であることを知らぬ。

   最も己を大切にすることは、自己の個性(たち)を出来るだけのばして
   世のため 人のために働かすことである。

   それには、仕事をなまけ、研究を怠り
   身をおしんでいては、とても出来ることではない。
 
   己の一切を学問にささげ、事業に傾け、仕事に没頭してこそ
   はじめて異常(ふしぎ)の働きができる。

   己の、大きな向上、躍進、完成は、己を空(むな)しくすることである
   身をささげることである。
   ここに必ず真の幸福が添うのである。

   己を尊ぶの極は、ささげるにある

   ここに 人を尊ぶと 己を尊ぶと、一如(いちにょ)の絶対境(ぜったいきょう)が現れる。
   ささげ尽くして己がなくなった時
   一切が己となる、天地が己となる。
   自他一如(じたいちにょ)、捨我(しゃが)の絶対境である。
 
   人の喜びが、まことの我が喜びである。
  
   世(よ)と共に喜び、人の悲しみを我が悲しみとする。

   小さい己は、消えうせて
   天地と共に生きる不死永遠(ふしえいえん)の絶対境である。


 この章を読み終えた時、思わず
 「 え〜〜っ、これって
  私たちが学んでいるラジャ・ヨガそのものじゃないですか!!」 と言った。

 すると、師匠もニッコリ笑って、一言
 「そうだな、真理は一つだからな」 と…。

 師匠は、多くを語らない ほんとに寡黙な人です。
 寡黙というか、口下手(くちべた)というか…。
 口下手っていうと、なんかマイナスのイメージかも知れないけど
 師匠の口下手さは、弟子たちから慕われている部分でもある。

 師匠に、直接 「先生って、口下手ですよね?」って言ったことがある。
 そしたら、「うん、そうだな。」と、深く頷いていた。

 でも、だから、いいのです。
 多くを語らないところから、私たち弟子は
 自分の力で、多くを学び取ろうと、力をつけていく。
 ポツンと発した一言から、何が言いたいのかをくみ取ろうと
 聴く力、観る力をつけていくのです。

 その寡黙な師匠は、今も自分自身が学び続けているということを
 自分から弟子に言うことなど、まずない。
 だから、ずっと知らなかった。

 私は、驚いた。
 師匠のような魂の成長を遂げた人でも
 まだ、どこかに赴き 学び続けているということに…。

 そして、その教本に書かれている17か条が
 どれも、師匠が私たち弟子に教えてくれているラジャ・ヨガそのものであり
 もう、師匠自身は既に体得していることばかりなのだ。
 
 それでも、学び続けている。

 また私は、寡黙な師匠から
 その生き様で、学ばさせていただいた。

 師匠の学び続ける姿こそ
 この中に書いてある
 
 己の一切を学問にささげ ということなのだろう。

 今年の4月にインドに行った時
 インドの先生が同じことを言っていたのを思い出した。

       グル(先生)とは…

       『 私がグル(先生)だ !! 』 とか
       『 私が最高師範だ !!』 とか
       『 私の真似をしなさい !! 』 と言うものではない。

       グルとは、グルという資格を持つことではない。
       
       資格ではなく

       経験をすること。
       訓練をすること。

       経験がないと、教えられない。

       グルである、自分自身が
       毎日の生活の中で
         
         勉強する。
         研究する。
         体験する。
         実践する。
       
       一生、学び続けること。

       そして

       その学びの中から自分を成長させ
       人生の様々な壁を乗り越えた時
       その壁の上に立って
       「ここへ、おいでぇ〜」と叫ぶのではなく
       壁から下りて、登ってくる人の側に行き、寄り添い
       どうしたらその壁を乗り越えられるかを
       「私はこうして登ったよ」
       「私はこうして登ったけど、こんな登り方もあるよ」
       と、自分の経験を活かして優しく導き
       ただ、手を引っ張るだけじゃなく
       まだその時期じゃない人には(他のことを考えている人には)
       その時期が来るまで、じっと一緒に待つ。

       これがグルであるということ。

       そして
        
         与えて
         与えて
         与えて
         与え続けること…。

  
  師匠が、会話の最後に ニッコリ笑って

  「 生き方のヒントが4つあるんだよ。

   それはなぁ〜

   早起きすること。 (目が覚めたら、サッと起きる )
   知ったことをすぐにやること。 (知った止まりにならない、すぐに実践)
   よく働くこと。 (フットワーク軽く、体を動かすこと。わがまま、ズボラにならないということ)
   そしてなぁ〜
   夫婦円満に暮らすことなんだよ 」 と…。
   
  ん〜、惜しい !!

  夫婦円満だけは、実践できなかったなぁ〜。
  独身の今、実践のしようがないし
  もし再婚したら、その時は心して実践しよ〜♪

  夫婦とは、お互いがお互いを磨く存在であると聞いたことがある。

  やっぱり、人生とは
  学び続け、磨き続けるものなのだろう。

10月27日(火)
ゆるす

 啓子ちゃんからの贈り物…
 

 いつも優しくて、細やかな心配りをさらりとやってのける
 可愛い啓子ちゃんが

   『 これ、私の大好きな本なのです。
    先生が行きたがっていた、野町和嘉さんの『聖地巡礼』写真展を観に行って
    あれっ?どこかで見たことのある写真だなぁ〜と思っていたら
    私の好きなこの本の写真、野町和嘉さんが撮った写真だったんです。
    この本を、先生にもプレゼントしたくって…。』
                            と言って、プレゼントしてくれました。

  前回の 『理解する力』 にも書いたように

  自分が自由に、そして柔らかくなるには、理解する力が要る。
  そして、「理解する」とは、「許す」こと。

  なんじゃないかなぁ〜と思い至っていたところに
  ダマイ・ラマ14世の書いた 『ゆるす言葉 』 のプレゼント…。
  なんだか、凄いタイミング !!

  本の大部分を、野町氏の撮った写真が占めていて
  その写真の美しさに感動…。
  写真から伝わる、大自然の物凄いパワー。
  造られたものにはない雄大さと、例えようのない美しさ。
  そして、その大自然の中で生きる人々の
  「生きる」という覚悟を持った気迫が伝わる。

  そして、ダライ・ラマ14世の言葉の中に
  私が思い至ったことが
  間違ってはいなかったと確認出来る一文があった。


     ゆるしとは 「相手を無罪放免にする手段」 ではなく、
     「自分を自由にする手段」 です。


  「ゆるす」ということで、自分が自由になれるということは
  私が、私の人生の中で体得したことの一つなので
  講座の中でも、よく話をしています。

  誰かに対して、何かに対して
  恨みや、妬み、嫉妬、憎しみを抱えていては
  どんどん自分が硬くなり、不自由になるのです。
  そして、自分の中でいつも戦いや競争が起こっている状態だから
  いつも、戦闘態勢でいることになります。
  心の平和や、安らぎがなくなってしまうのです。

  意識の中で、どれだけ「私は自由だ」「私は自在に生きている」と思っていても
  無意識層では、いつも戦い、無駄に身構え、不自由になっているのです。
  在るがまま(自在)に生きることから、かけ離れていくのです。

  本当は、自分でもそのことに気付いている筈…。

  では、そのマイナスの感情(負の感情)を手放すには
  自分を解放するには
  どうしたらいいのか…。

  許すしかないのです。

  相手も、そして、そんな感情を抱いている自分自身も…。

  許し、認めるのです。

  許すために、理解するのです。
  自分や、相手を、色んな方向から見て
  自分の「ものさし」や「価値観」に囚われず
  客観的に見る力、理解する力を付けるのです。

  私は、この作業を繰り返し
  自分を解放し、自由になったからこそ
  世の中を、少しずつ優しく見れるようになってきたのです。

  ヨガの目指すものは、自分が自由に生きること。
  そして、その自由なお互いが調和し、自他一如の境地で
  最終的に世界平和を目指しています。

  その世界平和を目指す者が
  地球の裏側までもの平和を目指す者が
  自分自身の中に戦いを抱いて
  世界の平和なんて、到底口にできないですよね…。

  まずは、自分の内側を平和にすること。

  全ては、そこから始まるのだと思います。
  いえ、そこからしか始められないのだと思います。
  
  大きなことを言う(願う)前に、まずは、するべき事をしよう !!


  永平寺に参拝した時に、廊下で見つけた言葉…。
 

10月09日(金)
理解する力

 私が日々生活している中で
 一日に何度も何度も 「あ〜、幸せだなぁ〜」 と感じる瞬間を味わえるのは
 
 きっと、自分自身が解放されていて、自由だからなのかも知れないと
 最近気付いたのです。

 嫌いな人、憎たらしい人もいないし
 恨みに思うこともないし
 何より、後悔というものがない。

 以前は、嫌いな人も、憎たらしい人もいたし
 嫉妬する相手もいたし、恨みに思うことも沢山あったし
 後悔することもありました。
 
 でも、もう何年前からか、そんな感情が無くなっているのです。

 無くなり始めた頃から
 「幸せだなぁ〜」という思いを
 深く味わえるようになってきたのです。

 昔から、「幸せだなぁ〜」と感じることは多かったけど
 それは、美味しい物を食べたり
 旅行に行って新しい発見をしたり
 いい映画を観たり
 そんな時に感じる「幸せ」であって

 今、感じている、その「幸せ」とは
 質が違っていました。

 今は、自分が解放されていて、自由な中で感じる
 生きていることの喜びであったり、面白さだったり…。

 以前の、嫌いな人がいたり、嫉妬する相手がいたり
 恨みに思うことや、愚痴をこぼす事があった頃は
 いくら外で笑顔を振りまいていても
 どんなに幸せの瞬間を味わっていても

 いつも、心のどこかが硬く固まっていたのだと思うのです。
 柔らかくないから、しなやかに受け止められないのです。
 もちろんその頃は、それが当たり前の状況だから
 硬い部分があるなどとは、全く気付いていなかったけれど…。

 今、ヨガを通して、師匠の教えや生き様を通して
 自分の内側が柔らかくなってきたからこそ
 その頃の硬さ、頑なさが、よ〜く分かるようになったのです。

 じゃあ、どうやって、その思いから解放され
 自由になれたのか…。

 どうやって柔らかさを手に入れたのか…。

 それは、ただ、「理解」 しただけのことだと思うのです。

 人はみな、自由であるということを…。

 人が
 何を思おうと
 何を考えようと
 何を言おうと
 どんなことをしようと
 
 人は、自由だということを…。

 だから、自分はただ、ただ
 意識を外に向けず
 自分自身に向けて
 自分の生きる姿勢を正していけばいいだけだと
 それが、腹に落ちたのです。

 人が自由だということが腹に落ちれば
 自分自身が解放されて
 自分自身が自由になれるのです。

 そうすると
 自分と思いや考え方が違うといって
 いちいち腹を立てることもなく
 人を批判することもなく
 悪口を言うこともなく
 戦うこともなく
 
 そのまんまを受け止めることができるようになるのです。

 ありのまま(在りのまま)
 
 そのまんまを…。

 人は自由だということを
 本当の意味で腹に落としていないと
 批判をしたり、妬んだり、悪口を言ったり
 物事を、自分の思い通りにしようとか
 相手を自分の思い通りにしようとか思い
 「我」を張ってしまうのです。

 いつも、怒りの中で、何かと戦い
 自分の意見を正当化するとに必死になり
 それが、また更なる硬さを作ってしまうのです。

 
 「理解」するということは
 「許す」ということなのかも知れないとも思います。

 まずは、自分を理解して
 自分を許す…。

 そして、相手を理解して
 相手を許す…。

 師匠が言っていました。

  「 問題を解決するには、自分に力を付けるしかないんだ。
  
   まずは、理解する力を付けること。

   そして、自分を変化させる力を付けること。」 と…。

  人は、自由であるということを
               理解し、腹に落としてみよう!!

  きっと
    自分自身が解放されて、自由になれるから…。
    
                            柔らかくなるから…。
 

9月25日(金)
目指す「道」がある…

  
  宝慶寺での 『禅とヨガ』 合宿から戻って

          もう 2週間になろうとしています…。


 修行の寺 寶慶寺




  
  この2週間…
  宝慶寺のことを思い出さない日はありません。

  それほど強烈に、私を感動させ
  計り知れない喜びを与えてくださった
  宝慶寺での2日間…。
  
  宝慶寺のことを思い出す度に

  どんなことも許せそうな
        穏やかな、優しい、寛容な気持ちになれるのです。

  そして

  どこからともなく
  「今日もがんばろ〜 !!」 という 清々しい力が湧いてくるのです。
 
  宝慶寺で過ごした静かな時間は
  
     優しさ

     穏やかさ

     寛容さ

  を与えてくださいました。


  そして、和尚様や、若き雲水さんたちの生きる姿に

     下座道

     懺悔道

     感謝道

  の道を生きる

  「求道者」としての本物の生き方を

  その後ろ姿で、教わったような気がします。





  合宿初日は、雨…。

         雨の宝慶寺。

  着いてすぐに、一人ひとり、全員が焼香し
  本堂にて開講式が始まりました。

  静けさの中、降り続く雨音だけが広い本堂に響き渡り
  今日までの私たちの汚れを、雨が洗い流してくれているかのようでした。

  その雨音が、いつしか自分の呼吸音と一体化して
  大自然と繋がっていくのを感じていました。

  日頃、大きな声でペチャクチャしゃべり
  ゲラゲラ笑い、足音も気にせずドンドンと歩き
  自分流の食べ方でガツガツ食べる。
  そんな生活をしている私たち…。

  「ここでは、静かにしゃべってください。」と
  お寺に着いてすぐに注意され、ハッと我に返った。
  そうだ、私たちは禅寺に修行にきているのだった…。

  注意されてからは、自然と無駄なことは話さなくなり
  必要なことも、小声で話しているうちに
  なんとも言えず、心が穏やかになってくるという
  不思議な感覚を味わいました。

  人の迷惑にならないように小声で話し
  廊下を歩く足音にも気を配り
  食べ方も、ゆっくりと、噛みしめて
  食材の「いのち」に感謝して
  作って下さった人に感謝して
  生かされていることに感謝して
  味わいながら静かに食べる。

  これは、修行のようであり
  ほんとは当たり前のことなのだと思った。

  「坐る」ことで、何か大切なものが見えてくるかも知れない
  何か気付きがあるかも知れないと
  そんな期待から 「禅とヨガ」 を企画したのだけれど
  「坐る」こと以前の、日常の作法の中にこそ
  大切なことが沢山あるのだと気付かされました。

  今回のような企画を受け入れるということは
  お寺にとって、前代未聞のことであります。
  
  前代未聞のことを受け入れる決断をした
  和尚様の寛大さ、寛容さに
  暖かい慈悲の心とはどういうものなのかを
  教えられたような気がします。
  
  そして、私たちを受け入れる準備がどれだけ大変であったかは
  今回の合宿のお願いや、打ち合わせの為に、何度か宝慶寺を訪れていた私には 
  そのご苦労が痛いほど理解できます。

  しかしながら、和尚様たちも、雲水さんたちも
  そんな苦労は一切顔に出さず、口にもせず
  自分のするべき事として、ただ黙々と、淡々と
  自分のお役目を果たされているのです。

  これこそが「無我」なのだと思いました。
  

  真海和尚様は、合宿最後の閉講式の時に

  「 この合宿の話を聞いた時、みんなで話し合いました。
   そして、みなさんを受け入れようということになりました。
   それからは、精一杯、心を込めてお迎えしようと
   準備をしてきました。
   そして、出来る限りの全てのことをして
   みなさんを接待させていただきました。」
                         と、誇りを持っておっしゃいました。
  

  本当に、この2日間、修行に来たにもかかわらず
  私たちはもてなされているという感覚でした。
  それも、最高のおもてなしを受けているという感じでした。

  禅寺での作法や修行について教えて下さる時も
  間違ったことをして注意される時も
  厳しさの中に、優しさ、暖かさ、思いやりの心が溢れていて
  そのお姿に、これが、修行の末に行き着く姿なのだと
  改めて「禅」の意味するものを学んだような気がしました。

  この2日間を通して
  私には、「感謝」という
  この思いしかないのです。

    坐ること
    悟ること
  
  最初の目的だったことは、どこかに消え失せていました。

  もっと大切なもの
  ヨガ行者として、求道者として、極めようとする

    感謝道

    下座道

  宝慶寺には、本物の「道」がありました。


    沖正弘聖師が説く

         『感謝・懺悔・下座・奉仕・愛行』 とは…。

   心に一番よいのは喜びであり
   喜ぶためには感謝心が必要です。

   自然心とは、全てのものに感謝できる状態をいう。
   どんな状態でも感謝できるのが
   心が柔らかいといいます。
   
   多くの人は、自分にとって調子のよいことでもしてくれたり
   欲しいものでも頂いた時だけ、ありがとうと
   偏った感謝の仕方をするので、その反対の時には
   腹を立てたりする偏執した心になってしまうのです。
   このように偏った心では、本当の感謝心は生まれません。

   たとえば、あなた方が私の話を聞いてくださろうが
   聞いてくださるまいが
   とにかく私は感謝させていただきますが、私の心境です。
   私は、あなたにお目にかかっただけで
   有り難いと思っています。
   聞いて下さればさらに有り難いし
   聞いて下さらない時には
   まだ聞いて頂けるだけの資格がないということを
   あなた方が教えて下さっているものとして感謝いたします。

   私の心には、いかなる事や状態に対しても
   感謝する心以外は持っておりません。

   この心が解脱道の心です。


   しかし、本当の意味の感謝生活に入るためには
   まず懺悔道を通らなければなりません。
   
   懺悔道というのは、すべての責任は自己に在りという考え方と
   一切のものは私のためにという受け取り方であります。
   すべてのことを、自分のための教えとして受け取る感謝心が
   懺悔道の心です。

   「 懺悔道は他を非難しません 」 

   あなた方は懺悔道を通らないから
   感謝道がわからないのです。

   都合のよいことだけに、ありがとうございますと言うから
   心が片寄ってしまうのです。

  「電柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも
   私のせいでございます。」
  とまで思えたら、懺悔道の極意です。
  しかし、なかなかこの心にはなりえません。
  しかし、この自他差別の対立心を持っている限り
  絶対に懺悔道には入れません。
  懺悔道に入れない限り
  絶対に、おかげ道、すなわち感謝道に入れないのです。

  懺悔心のない者はヨガ行者ではない。
  
  懺悔心ができてくると、感謝心が生まれてくる。

  感謝心が生まれて、今度は懺悔心が更に清くなる。

  お陰だなぁ、とこうなる。

  いいか、お陰だなぁ、有り難いなぁ、すまないなぁ、となると
  これが下座、奉仕の心になる。

  懺悔道に入るためには、下座の心が必要です。
  
  あなた方が上座道におる限り
  絶対に懺悔心は起こりません。

  恩を売る心は上座の心です。
  無理にこうなって欲しいと思うのも
  上座の心です。

  お詫びと、お陰を感じたら
  そのプラスに対してお返しする
  マイナスの生活をさせていただきますが必要です。

  この心が下座奉仕の心です。

  下座道に入る第一の練習は、馬鹿になりきる練習をすることです。

  下座道の反対を、やくざ道といいます。
  恩義や義理や人情を相手に売ったり、押し付けたりして
  俺がこうしてやったのにと脅迫することを
  やくざ道というのです。
  ほとんどの人の心が、やくざ道です。

  『 万物に合掌礼拝する涅槃道 』

  下座の心の者が、はじめて奉仕道に入れるのであって
  ただ単に奉仕するのではなくて
  さらに無条件の感謝の心を込めることができた時
  これを無の境地とか、離の境地とかいいます。

  更にこの上に、万物に対して合掌礼拝するという境地が加わった時
  そこに 「 涅槃道 」 があるのです。




  閉講式の時
  
  和尚様は、こちらがお世話になったにもかかわらず
  私たちに対して
  「ありがとうございました」と言って
  深々と頭を下げてくださり

  最後の最後、お別れの時には
  真海和尚様は、私たちに向かって
  最高の礼拝を表す礼拝法を行い
  私たちに敬意を示してくださったのです。

  言葉に出来ない、感動でした。

  私が44年間生きてきた中で
  一番感動した瞬間でした。

  師匠が代表として挨拶をし
  その後、私が生徒代表として挨拶をするようにと師匠から言われていました。

  何を言おうか、色々考えていたのだけれど
  口から出る言葉は、ただただ感謝の言葉でした。
  もう、感謝の気持ちで一杯だったのです。
  それも、涙が溢れ出てきて
  言葉になりませんでした。

  泣いて言葉にならないながらも
  必死で、感謝の思いを伝えました。 
  「気持ちは、よ〜く伝わりましたよ。」と
  真海和尚様は、優しく言ってくださいました。


  閉講式も終わり
  いよいよ宝慶寺を去る時が来ました。

  みんな、それぞれに荷物を持って外に出て 
  本堂をバックに、和尚様たちと一緒に写真を撮りました。

  いよいよ、お別れです…。

  私は、もっと、ずっと、ここに居たいと思いました。

  名残惜しいけど、でも、帰らないといけません。

  心の底から、感謝の気持ちが溢れてきて
  気付いたら、持っていた荷物も地べたに放り投げ
  砂利に頭を付けて、「本当にありがとうございました。」と
  和尚様に礼拝していました。

  頭を上げると、真海大和尚様が

  「 あなたのように、人のためになることを出来る人のことを

   菩薩と言うのですよ。」

  と、勿体無いお言葉を掛けて下さいました。

  私は、新たに、「菩薩道」の道を歩いていこうと
  その時、心に強く誓ったのです。

  目の前に、目指す「道」がある…。

  こんなに幸せなことはありません。

  
  この宝慶寺で学んだことは
  一生、忘れません。
  
  


 合掌礼拝をする和尚様
  
 典座寮にて食事を作る典座さま

 
  典座(てんぞ)とは、禅寺で、食事などをの事をつかさどる役僧。
  六知事の一つ。
  とても大切で、重要な役。

  全ての物を無駄にせず(前日蕎麦を湯がいたお湯で、胡麻豆腐作り。青菜の湯がき汁もお出しに)
  活かして用いて、料理されるお姿に
  私たちの日常が、どれ程勿体無いことをしているか
  恥ずかしくなりました。
  見習わなくては…。


 師匠もお給仕のお手伝い


 心のこもった、美味しい薬石(夕飯)
                                     ご飯は炊き込みご飯という豪華版♪

  
 どのお野菜も、そのものの味を大切に
 薄味で、優しく炊いてあり
 精進料理の極意を味わった気がします。

 
 どのお野菜をどこに置くかの細かい指示もあり
 見た目にも美しい盛りつけ方、配膳を追求する
 見事なまでの心配りに感動 !!

 それは… 
 そのものを最大限に活かすこと
 相手を喜ばせること
 
 ヨガ指導で求められることと同じ。

 
 主婦として、母親として、料理講師として
 今まで、食というものを追求し続け
 料理することを楽しみ

 趣味が「おもてなし」ということもあり
 沢山の人に料理を食べて頂く機会を持つ私にとって
 ほんとに、素晴らしい貴重な経験になりました。


 食べることは、「いのち」をいただくこと。
 「いのち」と「いのち」が結び付くこと。

 これからも
 最高に「いのち」が喜べる食べ方をしていきたい。



 小食(朝食)の玄米粥

 中食(昼食)は玄米ご飯
                                    机の端に写る白い小さい物は7粒のご飯
                                   

   この7粒のご飯は
   目に見えない、飢えに苦しむ「餓鬼」に与える為に
   自分たちが口を付ける前のご飯から
   7粒程を取って、お膳の前に並べて置く。

「餓鬼」に与えたみんなのご飯を集めて
                                     お湯に浸す

   そのご飯を、川に流すそうです。
   「魚たちの餌になりますから…。」と、雲水さん。

 行茶といわれる、お茶の時間。
                                     作務の後、ほっこりと嬉しい…。

  バターやミルクも使った甘くて美味しいお菓子と( 私たちの為に、用意して下さいました )
  お椀には、3種類の葡萄を1粒ずつと(雲水さんのご実家からの頂き物だそうです)
  皮を剥いて半分に切って食べ易くして下さった無花果(いちじく)。


 女性陣の作務は、草むしり


  和尚様も作務衣に着替えられ
  寂円禅師様のお墓周りや
  樹齢700年の義雲杉の周りを一緒に草むしり。
  雨上がりの、濃い緑の中
  偉大なプラーナに包まれながらの草むしりは
  なんと贅沢で、有り難いことか…。
  作務ではなく、ご褒美のようでした。



 晩課(読経)

 師匠の息子さん(最年少13歳)も参加

 坐禅の作法を学ぶ

 トリコーナ・アサナ

 ブジャンガ・アサナ

 サラブ・アサナ


 ダヌラ・アサナ


 バストリカ呼吸法


 福井から参加の私の生徒たちと


 
 名古屋から参加の修業生仲間


 男性陣


 ヨガ暦30年の維那和尚様


 ダウンドック


 太陽礼拝法


 維那和尚様の見事なダヌラ・アサナ


 そして、完璧な開脚前屈


 稔君は合宿で何を感じたかな…


 典座寮にてつまみ食いのお許しが…


 優しい典座さま

 
 残った料理を、みんなでパクパク


 典座寮に貼ってあった紙
                                    さすが、残った物を活かす技…


 男性陣が相撲してます



 さぁ〜、座禅巖に行くぞ〜 !!


歩くと、思いの外遠いなぁ…


  寂円禅師が18年間坐り続けたといわれる
  「座禅巖」が、お寺から30分程登ったところにある。

  私は、三回目の座禅巖…。

  前回は、先月師匠夫妻が福井に来られた時に行っている。

  最初に宝慶寺を訪ねた時
  維那和尚様が「そこに行けば、なぜ、寂円禅師が18年間坐り続けたが理解できますよ」
  と、おっしゃっていたので、帰りに車で寄ってみた。
  その日は、あいにくの曇りだったので
  景色はハッキリしていなかったけれど
  望郷の念を抱きながら、どんな思いで坐っていたのだろうと考えたら
  ジ〜ンとしてきた。

  座禅巖から眺める銀杏峰の眺めが
  寂円禅師の祖国宋の風景に似ていたからと、維那和尚様が教えてくださいました。

  寂円禅師の臨終の言葉は
  「ああ、祖国に帰りたい」のひと言だったという。

  なんだか、胸がキュンとなる…。

  


 時間が無いので
                                     一人20呼吸だけ瞑想


 今度はゆっくり坐りたいなぁ〜


 その時、何を感じるのだろう…


 発声行法、大声で何か叫んでから下山





 維那和尚様と

 
                                                 真海大和尚様と


                                                 師匠と弟子




                                                 師匠親子






                                             ありがとうございました
 

   一緒に参加した、生徒のあゆ未さんのブログ
  
   そして、その第二弾…。

   あゆ未さんをはじめ
   参加した人みんなから「また宝慶寺に行きたいです !!」との声が
   ぞくぞくと私の元へ届いています。

   きっと、みんなの心にも
   暖かい感動と、優しい思い出が蘇ってくるのでしょうね…。

   また行きたくなるお寺…

   宝慶寺は、そんな魅力があるお寺なのです。

   宝慶寺様との、このご縁に
                 心から感謝いたします。

                                  合掌
 

9月14日(月)
尊い生き方

 今日も、カーテン越しに射し込む優しい光で目が覚めた。

 また新たな朝が来た…。

 いつもと同じ部屋で、同じ布団に寝ていたのに
 全てが新鮮に感じられる。

   この温かな布団

   吸う息

   吐く息

   この手

   この足

   起きれる

   歩ける

 当たり前にしていた全てに
 「あ〜、ありがたいなぁ〜」と
 心の底から感謝の気持ちが湧いてくる。

 昨日までの一泊二日の宝慶寺「禅とヨガ」合宿で
 私は、また深く 「感謝道」 に入らせていただいたようだ。

 宝慶寺から戻った昨夜
 寝ようと布団に入ってからも
 今朝、目が覚めてからも
 住職様や、僧侶様、若き雲水さんたちのお顔が一人ひとり浮かんできて
 私を幸せな気持ちにさせてくれる。

 今すぐにでも、会いに行きたい。

 そんな衝動に駆られています。


 沖ヨガを学び出して、もう何年経つだろうか…。
 
 沖正弘聖師が説いた「求道実行」の教義を学び
 日々実践しながら、求道の道を歩み続けている。

 宝慶寺には、その道の目指すもの
 目指す生き方の全てがあった。

 自他一如の生き方。

 ― 沖正弘聖師のラジャ・ヨガより ―

 「愛」というのは「思いやり」です。
 しかもこれは、人間同士にのみ向ければよいものではありません。
 地球上に棲むすべての生物は等しく生きる権利を持っているのです。
 ですから1本の草にも、そこを這っているアリにも
 米一粒にも思いやりを示すのです。

 ヨガでは、正しさを与える心と行を 「愛」 といっています。

 「愛」 とは生命が最高に喜べるように協力すること
 相手にとって、あるいは自分にとって
 一番良いものを捧げようとする行為が愛なのです。
 自分が一番に喜べる自分になれるように努力すること
 これが自分に対する愛です。
 同様に、他に対してそうした場合は他への愛です。
 すべてのものを愛するとは、すべてのものの生命が
 最高に喜びを発揮できるような生き方ができるよう 
 お互い同士協力し合うという意味です。
 生命の喜んで下さる生き方を
 自分の心、自分の体、自分の生活にさせるには一体どうしたらよいかを
 研究して実行すると同時に
 他の人にも研究し実行してごらんなさいと教えてさしあげ
 そのことをお互い同士が協力する
 これがヨガである。

 一番尊い生き方とは、自分が喜べると同時に
 他の人に喜んでいただく生き方です。
 愛とはこのように、自分も喜べ
 同時に他も喜べる生き方の
 最上の努力を尽くすことなのです。
 この愛を実行することが ヨガの考えの目的です。


 
 それを、住職様や、僧侶様が生き様で見せてくださったのです。

 住職様や、僧侶様、若き雲水さんたちは
 私たちを、最高のおもてなしで迎えて下さったのです。
 檀家でもない、一般の私たちに
 どれだけ心を込めて尽くして下さったことか…
 愛(喜び)をお与え下さったことか…
 とても、言葉で表現出来るものありません。
 
 でも、どうしても、伝えたい。
 
 宝慶寺の素晴らしさを伝えたい。

 少し、今の興奮が落ち着いたら
 この「diary」 に書こうと思います。
 
 今日は、溢れ出す感謝の気持ちで一杯になってしまって
 上手く言葉に出来そうもないので…。

 
 ずっと寝不足続きなのに
 今朝も朝早くに目覚めた。
 布団の中でゴロゴロせずに
 さっと起きて、玄米を炊いて
 体に優しい材料で、おかずを作り
 一人静かに、一口一口50回噛んで
 味わって食べた。

 宝慶寺で学べたこと
 今日も、生かされていることに感謝しながら…。


 今朝作って、味わって食べた朝食

 ・ 雑穀入り玄米
 ・ じゃが芋とみょうがの味噌汁 ( じゃが芋、みょうが、葱、味噌 )
 ・ 胡麻豆腐( 白胡麻、本葛、味噌、砂糖 ,みりん、付け合せ大葉 )
 ・ お漬物( きゅうり、なす、瓜 )これは市販品
 ・ 梅干( 実家の母作)

※今日食べた胡麻豆腐は胡麻を練る時間を省いて ( 胡麻を炒って、練り上げるのに1時間は必要 )
  市販の練り胡麻を使用。
  何事も、無理せず、出来る範囲で取り組むのが
  楽しく、長続きする秘訣です。
 

9月11日(金)
宇宙いっぱいの坐禅

 今朝6時から、西山公園にて早朝ヨガ…

 大地を感じ、大地に感謝…

 昇る朝陽に感謝…

 逆さに見える風景…


 自然と一体になりたくて
 今朝は、西山公園の芝生の上でヨガ…。

 朝5時に起きて、玄米お握りを作り
 師匠のところに勉強に行く準備を済ませ
 6時から、大地と宇宙の間でヨガ…。

 昨夜、外での早朝ヨガの計画を話したら
 弟子たちも「一緒にやりたい !!」と言うので
 3人でのヨガとなった。

 広〜い芝生を、3人占め…。

 思い切り 深呼吸…。

 吸う息

 吐く息

 自然と繋がる…。

 足の裏から、手のひらから、大地と繋がる…。
 
 空に向かって伸ばした頭のてっぺんから
                      宇宙と繋がる…。

 「ありがたいなぁ〜」、その言葉しか浮かんでこない。

 私たちは、宇宙の一部なのだと、改めて感じる。

 生かされている、この生命(いのち)に感謝…。


 いよいよ明日から、待ちに待った「禅とヨガ」の合宿…。


 宝慶寺の僧侶さまに頂いた「宇宙いっぱいの 坐禅」


 「 正しい坐禅 」に親しむための手引書


  
  大野の山奥で、ひっそりと、でも確固たる決意を持って
  凛として立つ「宝慶寺」にて
  師匠や、名古屋の修業生仲間、そして私の生徒たちと
  同じ時間を共有できる…。
  
  そして、宝慶寺の僧侶村山様や、若き雲水さんたちに
  再びお会いすることができる…。

  この上ない嬉しさが、込み上げてきます。

  この前、宝慶寺にお伺いした時に
  僧侶様が気を利かせて下さり
  「今度の合宿の時に、この本をもとにして、みなさんに坐禅の仕方を説明いたします。
   一冊、差し上げます。どうぞ…。」
  と、おっしゃって、「宇宙いっぱいの坐禅」を下さいました。(もちろん非売品です)

  丁寧な説明と、写真入りで
  正しい坐禅の仕方を、誰にでも
  分かり易く解説してくださっています。(日本語の下に、英語にも翻訳されています)

  正しい坐禅を広めたいとの強い思いが込められいます。

      ― 発刊にあたって ―    ( 「宇宙いっぱいの坐禅」より )
  
  初心の時にどういう坐禅指導を受けるか
  それが坐に親しくなるか否かの鍵(キーポイント)である。
  初心の坐禅の大切さは常に強調せらるべきであろう。
  初めのボタンの掛け違いが、坐禅に対する姿勢を一生誤らせる。
  初心者が「正しい坐禅」に親しむためには
  分かりやすい手引き書が必要である。
   しかもそれは国際化の今日
  日本語のみならず英語にも翻訳されていることが望ましい。
   この書によって坐禅を始め、そして本格的には
  道場に赴いて指導者に従って指導を受けて頂きたい。
   またさらに、この書を読み正しい坐禅を再点検し
  宇宙いっぱいの坐禅「只管打坐(しかんたざ)」を深めて頂きたい。
   真の安心のある日々の生活を、仏を、菩薩と共に楽しんで頂きたい。
   以上のような観点から、本書を編集し発刊した次第である。

  僧侶様が静かにお話してくださった中で
  こんなことを言ってらっしゃいました。

  「 ここには、資格を取る為に
   全国からたくさんの若き雲水たちがやってきます。
   でも最近は、坐禅が苦手だと言う雲水が多くてね…。
   ここでは、修行のために、一日に何度も坐らなくてはならないのですが
   どうしても、最後まで坐ることが好きになれない雲水もいるのです。」

  と、苦笑しながらも、優しく、静かにお話される僧侶さまは
  きっと、若き雲水さんたちの憧れであり
  慕われているのだろうなぁ〜と思いながら聞いていました。

  私も、弟子たちのことを、こんな風に優しく見守っていきたいなぁ〜
  と、しみじみ思いました。

  宝慶寺では、4時起床です。

  そして

  4:40〜5:25 まで  坐禅
  5:50〜7:00 まで  お勤め(読経) 

  僧侶様がお話下さいました。

  「 天地の動きと一緒に坐禅をやめる。
   動物が目を覚ます頃、読経を始めます。
   動物たちと一緒に動き始めるのです。」

  このお話を聞いた時、なにか背筋がピンとしたのを覚えています。

  他にも、道元禅師の修行の方法や
  食事に対する考え方や、食べ方など
  インドのこと、仏教のこと、お釈迦様のこと
  他にも、深いお話をしてくださいました。

  師匠がどうしてもと希望していた
  「精進料理を食べさせて頂けるところでの合宿がしたい」との思いも叶い
  僧侶さまの温かきお計らいによって
  明日は、本格的な(略式ではない)精進料理を出してくださいます。

  沖ヨガでは、生命(いのち)が本当に喜びを感じ
  食べ物の「いのち」と、食べる者の「いのち」が正しく結び付く
  生命(いのち)に従った食べ方を説いています。

  生命(いのち)に従った食事をするには
  正しい生命(いのち)の声を聞かなくてはなりません。

  そのために、心を鎮め
  頭で考えるのではなく、感じることが必要です。

  正に、禅の食事法であります。
 
  坐禅の後の、食べるという行為で
  何を感じるのか、今から楽しみです。


  静かに坐ること。

  静かに、自分を見つめること。

  考えるのではなく、感じること。

  囚われることなく、流すこと。

  青空に浮かぶ真っ白い雲が流れるように。

  車窓から見る景色が、流れていくように。
  

  明日また、宝慶寺のみなさまにお会いできる嬉しさと
  「禅とヨガ」を企画した者としての
  少しの緊張を感じながら

  今夜は眠れるだろうか…。

 

9月06日(日)
支えられて…

 先週、名古屋に住む娘がインドに旅立った…。
 もちろん、私は仕事で、見送りには行けなかった。

 でも、親としては心配で心配で
 出発の日まで、メールや、電話で何度もやり取りをして
 色んなアドバイスをした。
 私が今年4月にインドに行ったばかりなので
 その経験を活かしてのアドバイスが出来た。
 出発当日には見送りに行けないけれど
 出発前に、どうしても娘の元気な顔が見たくて
 仕事の合間をぬって、滞在時間2時間だけだったけど
 名古屋まで行き、娘に会ってきた。

 『 インドで、精一杯お役に立っておいで。
  そして
  たくさんの人やものに触れて、たくさん感じておいで。

  きっと、この経験が
  これからのあなたの人生に
  大きなものを与えてくれると思うよ。

  マザーハウスでは
  厳しい現状を目の当たりにして、戸惑うこともあるかも知れないけど
  あなたの笑顔で、周りの人たちを癒してあげてね。』
                             と、エールを送ってきた。

 もし、万が一、億が一にでも、何かあったとしても悔いがないように
 きつくハグをして、笑顔で別れてきた。

 今頃、娘はインドで何を感じているだろう…。

 体調を崩さず、しっかりやってるだろうか…。

 
 きっと…
   大きく、強く、優しくなって帰ってくることだろう。

 前回の 『娘の決意』 を読んだ人たちから
 沢山の応援のメッセージを頂いた。
 私にだったり、直接、娘にお手紙やメールを送ってくださったり…。

 ほんとに、みなさんの優しさが嬉しくて、有り難くて
 感謝の気持ちで一杯になった…。

 娘は、力強く言った。

 『 お母さん、私たち親子はほんとに幸せだね。
  いつも、どんな時も、周りの人たちが優しく見守っていてくれてる。
  みんなに支えられて、私、安心して行ってくるね。
  この恩返しを、今度は私が、インドでしっかりやってくるね…。』 と…。

 いつも、私たち親子は、沢山の人たちに支えていただいている。
 私も、娘も、それを強く感じながら生きています。

 私は若い頃、「一人でも生きていける !!」 などと生意気にも思っていた。
 私が娘の年頃の時にもは、確実にそう思っていた。
 その上、幼い頃からかなり自立心の強かった私は
 高校を卒業して、勘当同然で大阪に出て生活した。
 そして、自分の力で(自分の力だけで)生きているなどと思っていた。(真剣に、そう思っていた。)

 その頃は、何も見えていなかった。

 考えてみると、勘当同然で出ていった私に
 母親は「お父さんには内緒だよ。」との手紙を添え、封筒に入った一万円と共に
 梅干や海苔やお惣菜などを送ってくれていた。
 今、思い出しても、涙が溢れてくる。

 私が都会での生活に疲れ、弱気になっていたのか
 「もう、死にたい…。」と、実家に電話をかけてしまった時があった。
 次の日、母がアパートの前に来ていた。
 「えっ、お母さん、どうしたの?
  どうして、ここに居るの?」と、びっくりして聞くと

 「 だって、手遅れになったらあかんで、飛んで来たんや…。」と。

 私は、一人でなんて生きていなかった。
 いつも、家族や、周りの人たちに支えられ、助けられ
 今日まで生きてこれたのだ。

 人は一人で生きているのではないということを知り
 「人に迷惑をかけずに生きるんだ」と意地を張って生きるのではなく
 人に迷惑をかけながら生きていることを素直に認め
 迷惑をかけている全ての人に感謝して
 支えてくれる人たちに恩返しをしながら
 謙虚に生きていきたい…。
 

 以前、エアロビクスのインストラクターをしていた頃も
 ヨガを指導させていただいている今も
 たくさんの生徒が、私を支えてくれている。

 そして、その生徒たちは
 逆に私に支えられていると、勿体無いことを言ってくれる。

      支え…
            支えられ…

 お互いが支え合っているということなのだろう…。

 これこそが、『ヨガ』 なのだと思う。

 いよいよ、秋の匂いがします。
 私は、秋の匂いが好き。
 
 特に、夕暮れ時に、秋の匂いを感じると
 胸がキュンとなる…。
 涙が滲んでくる時もある。

 きっと、若い頃、大阪で感じた様々な感情を思い出すからかも知れない。
 
 なぜ、それが、秋の匂いとリンクしてくるのかは分からないけど…。

 秋を感じながら
 今年の夏も、みんなに支えられていたと
 感謝の気持ちで一杯になる。

 手塩に掛けて育てた
 愛情いっぱいの、お野菜や、果物をたくさん頂いた。
 その 「いのち」 を頂いて
 今の、私の 「いのち」 がある。
 健康な私がいる…。


 保子さんから頂いた
                                     畑で採れた無農薬の枇杷とすもも

 
 吉田さんから頂いた夏野菜を
                                     酢で漬けて、さっぱり味のピクルスに…



 石川さんから頂いた
                                     生まれて初めて見る「白なす」。
                                    皮が柔らかくて、田楽にして皮までペロリ


 金沢や名古屋から学びに来ている
                                     勉強熱心な心優しい仲間たちと…
 

 みなさんから頂いた、無農薬・減農薬の
                                    夏野菜を使った手料理でおもてなし〜♪



 みなさん、ほんとうに、ありがとうございます。

                            感謝を込めて…。

                                             合掌
  

8月20日(木)
娘の決意


 今年3月に高校を卒業し
 夢を追いかけ、4月から名古屋で暮らす娘から電話があった。

 「お母さん、相談があるんだけど…。」

 私に似て、いつもハイテンションな娘が
 いつになく静かに語りかけるので
 一瞬、「まさか… ?? 」と、色んなことが頭をよぎった。

 「 どうしたの?」と、恐る恐る聞くと

 「 私、インドに行きたいんだけど…、いいかなぁ〜?」と。

 えっ、私も行きたい!!と、思いつつ
 なぜインドに行きたいのか聞いた。

 「 マザー・テレサの施設でボランティアがしたいの。」と…。

 それは、以前からの私の夢…。
 でも、娘にはハッキリと言ったことはなかった。
 ちょっとびっくりした…。

 「 わぁ〜、素敵だね。
  ぜひ、行っておいで!!
  しっかり、お役に立ってきなさい。
  お母さん、応援するよ。」と、答えた。

 娘は、ホッとしたのか
 急に、元気な声になり

 「 よかった〜、お母さんに相談して…。
   お母さんなら、きっと、そう言ってくれると思ってたよ。
   ありがとう!!
   いつも、私のやりたいことを、どんなことでも
   ダメって言わずに、やってごらんって言ってくれて…。
   ほんとに、ありがとう〜!!」

  ほんとに嬉しそうな娘の声を聞きながら
  一番嬉しかったのは、私かも知れない。

  ず〜っと、海外に行きたい!! と言っていた娘。
  高校も、国際科だったから尚更…。
  海外の都会に憧れていた娘。

  その娘が初めて自分の稼いだお金で行く外国が
  まさか!インドとは…。

  そして、若い子たちが好みそうなショッピングや観光でなく
  ボランティアとは…
  全く想像していなかった。

  立派になったな!と、嬉しかった。

  娘は、考えに考えて決意したのだと思う。
 
  4月から社会人になり、4ヶ月で貯めたお金を全て使うことになるらしい。

  名古屋に行ってしばらくしてから
  泣きながら電話してきた事が何回かある。

  「 お母さん、私、何してるんやろ〜。
   夢を追いかけて、名古屋まで来たけど
   今はまだ、ただバイトしてるだけの生活。
   夢が叶うか分からない私に
   お父さんやお母さんは、反対もせず
   引越しのために色んな準備してくれて
   沢山のお金も使わせちゃった…。

   周りの友達は、ちゃ〜んと大学に行って勉強してる。

   なのに、私、何やってるんやろ〜って考えたら
   辛くて、苦しくて…
   お父さんやお母さんに申し訳なくて…。」

  と言って、受話器から電話の向こうの嗚咽が漏れていた。

  いつも、私は子供たちに

  「 やりたい事を精一杯やりなさい。
    今しかできないことを、やれる時に精一杯やりなさい。」

  と、言い続けてきた。

  やりたい事が見付かっただけでも素晴らしい。
  失敗なんか恐れなくていい。
  失敗したら、そこからやり直せばいい。
  何も怖がることはない。
  怖いのは、やらなかった後悔。
  やってみないと分からない。
  物事、どうにかなる。
  なるようになる。
  いつか必ず道は開ける。

  私の人生こそが、そんな感じだった。

  そして、いつも、必ず道が開けていた。



 マザー・テレサ

 マザー・テレサ施設

 
  娘にとっては
  初めて行くインド…。
  初めてのホームステイ。

  今年4月に、私もヨガの勉強で行ったインド。
  日本人には想像もつかない
  貧しさ、不衛生さに衝撃を受けた。

  娘は、不安も一杯あると思う。
 
  マザー・テレサ施設でのボランティアには危険も伴う。
 
  【注意事項】 にも書いてあります。
 

     施設で働いている時、HIV /エイズ、 結核や
     他の病気でも、知らないうちにさらされている時があります。
     手袋、マスクなどの着用、頻繁に手を洗うようにしましょう。
     また一部、患者さんの暴力などに注意する必要もあります。


     排便介助の後は必ず手を洗うようにしましょう。
     ゴム手袋、マスクは施設に置いてありますので利用するようにしましょう。
     仕事が終わったらまずシャワーを浴びましょう。
     日本ではなじみのない病気、シラミ、皮膚病などの感染を防ぐため厳守してください。
     
     水、食べ物には十分注意しましょう。
     4〜5月の酷暑の時期は1日2リットルを目標に水分補給をしましょう!
     知らぬ間に脱水症状になっていることがあります。
     施設の行き帰りは特に熱射病に注意しましょう。
     知らぬ間に倒れていることがあります。


  娘は、全てを知った上で決断した。

  娘の中にある

  勇気
  優しさ
  思いやり
  慈悲の心

  が、決意させたのだろう…。
      
                          
  早生まれだから、この3月に18才になったばかりの娘。
  あと一週間遅く産まれていたら、まだ高校生。

  この若い時期に
 
  インドという国に触れ
  インドの人たちと交流し
 
  そして、マザー・テレサの施設
         「孤児の家」
         「死を待つ人の家」
         「身寄りのない老人の施設」
         「平和の贈り物」 ( 多くの精神障害または捨てられた女性のためのホーム )

  での、ボランティア活動をすることで

  彼女のこれからの人生に、大きな宝物(気付き)をもたらすものと信じています。

  私は、44才にしてインドを訪れて
  考え方、生活の仕方が変わった。

  インドの貧しい状況の中で、必死に、たくましく生きる人たちを見て
  自分の甘さに気付いた。

  そして、豊かさの中で生きている自分に
  貧困の中で生きる人々に何か出来ることはないかと考え
  今、静かに活動しています。
  

  娘に
  「 美佳、よく決心したね。」 と、言ったら

  こんな答えが返ってきました。

         「 だって、お母さんの生き方を見てきたから…。」
        
                                      
  ヨガと一緒で
  やっぱり、伝わるものは

             言葉ではなく、生き方
                         だった…。


8月15日(土)
坐る

 宝慶寺の樹齢700年の杉と師匠


  
  先週の日曜日は、永平寺で上映される 『GATE』 の最終日でした…。

  師匠夫妻を、どうしても 『GATE』 に招待したいと思っていた私は
  ずっと、『 是非、宝慶寺参拝も兼ねて、『GATE』 を観に来てください。』 と
  熱いラブコールを送っていました。

  念願が叶って、超多忙なお二人を
  福井にお招きすることが出来ました。

  でも、お盆前の日曜ということもあり
  名古屋からの高速が混んでいたようで
  福井に着いて、急いで永平寺に向かったけれど
  映画は多分20分位は過ぎていました…。

  それでも、観終えたお二人は
  『 よかった〜 !!! 感動したよ。』
  『 素晴らしい映画だね。観れてよかった。』
  と、感動してくださって
  私は、感動を共有できた喜びを感じていました。

  なぜ、こんなに師匠夫妻に観て欲しいと思ったのか…。

  『GATE』 で、ただひたすら歩く禅僧の姿が
  ヨガという 『求道(ぐどう)』 の道を歩く
  私たちの姿に見えたからかも知れない…。

  師匠夫妻は
  世界平和を願って、様々な活動をしています。

  師匠から、師匠の師匠・沖正弘聖師の話をよく聞きます。
  沖正弘聖師も、世界平和に命を捧げる覚悟で
  世界各国を回り、人生最期の瞬間までヨガの普及活動をしていました。

  『GATE』 で伝えていることが
  求道(ぐどう)の道を行く私たちに
  大きな希望と勇気を与えてくれたのです。
  
  『GATE』 は、自主上映も可能なようです。
  
  私は、自主上映に向けて準備していこうと思っています。
  そんなこと、もちろん未経験です。
  一体、どのように準備していったらいいのか、費用がどの位掛かるのか
  皆目、検討もつかないのですが
  いろいろ勉強して、いつか必ず実現させたいと思っています。

  詳しく決まりましたら、告知しますので
  興味を持たれた方は、是非、観に来てくださいね。
 
  先日、名古屋に行った時、師匠夫妻も
  『 日曜日に永平寺で「GATE」という映画を観てきたんだけど
   素晴らしい映画だったよ。
   ぜひ、名古屋で自主上映会しようと思うから
   その時、観るといいよ。』
  と、ヨガに来ている生徒たちに、話をしていました。

  私は、「お二人に観てもらえて、ほんとによかったぁ〜!」
  と、心から嬉しく思いました。

  『GATE』 を観た後、来月 『禅とヨガ』 をする予定の
  大野市の宝慶寺に行ってきました。
 
  今回は、前回応対してくださった僧侶様(村山様)はお留守ということで
  違う僧侶様が応対して下さいました。

  そして、再び僧堂や裏のお庭などを案内して頂きました。

修行の誓いを立てた者しか入れない僧堂
                                    ここの畳 一畳分で生活している

  案内して下さったのは、慈覚様という若い雲水さんです。

  質問に対して、一所懸命に、そして分かり易く、丁寧に
  お答えくださるお姿に、心がほんわかしました。

  慈覚様から、修行のお話を聞きました。

  お寺には、もちろんテレビなどありません。
  携帯電話も、もちろん繋がりません(山奥のため、圏外です)
  新聞も、配達圏外のため、郵送で何日か後に送られてくるそうです。
  土曜、日曜は、その配達もお休みだそうです。

  マイケル・ジャクソンが亡くなったことも
  二週間位してから、参拝に来ていたから人から聞いて知ったそうです。
  もちろん、酒井法子容疑者が覚醒剤で捕まったことも知らなかったようです。

  毎日4時に起き、一日に何度もの坐禅、お勤め、そして作務の日々。
  食事は、私たちのように食を楽しむ為にするのではなく
  生きる為、坐る為(修業する為)に食べさせて頂く。
  もちろん、修行の期間が修了するまでは
  下山する(お寺を出る)ことは許されない。

  慈覚様は遠い昔のことでも語るように、ゆっくりと
  
     「 私は、この3月まで大学生で、一人暮らしをしていました。
       毎日、ただ、ボ〜っとテレビを見たり
       暇つぶしでインターネットをしたり
       無駄に時間を費やしていました。

       そして、4月にここに上山して参りました。
       今までと全く違った環境で
       そして、一人暮らしから集団生活に…。
       初めは、戸惑っていましたが
       今では、この環境での生活にも慣れ

       すると・・・

       いかに今までの生活が
       毒された生活だったかと
       思い知りました。

       ここでの生活が、人間本来の生き方なのでしょうね…」 と。

   24歳の若者が、噛み締めるように
   こんな深い言葉を吐く姿に、感動しました。
 
   若き修行僧 保坂慈覚様
  

  写真を撮ることを許してくださり
  私の『diary』に載せることを
  はにかみながらも許して下さった、慈覚様です。

  ご実家は、秋田県で、お父様がお寺の住職様だそうです。
  その後を継ぐために上山されたようです。

  幼い頃から坐っておられたそうです。

  『坐る』 ことが好きだと…。

  9月に、慈覚様と一緒に坐ることが出来ること
  一泊2日という短い時間ですが
  ほんのひと時でも、一緒に修行できること
  この上なく光栄に思います。

  息子くらいの若き青年が悟ったことを
  その二倍もの時間を生きている私が
  一体、どこまで感じることができるか…

         静かに坐りたいと思います。

                                合掌
  

8月08日(土)
『 GATE 』




  今日は、待ちに待っていた
  映画 『 GATE 』 を観に、永平寺に向かった。

  映画館ではなく、永平寺での上映とは
                     この上ない贅沢…。
                           この上ない幸せ…。

  以前から観たくて観たくて仕方なかった映画。 
  かなり期待していたが
  期待以上に素晴らしい映画だった。

  感動した。

  物凄く感動 した。

  魂が揺さぶられるような感動だった。

  ただ、ただ、涙が溢れた…。

  きっと、人間、誰しも本来持っている

   平和への思い

   優しさ

   正しさ

   思いやり

  を、静かに呼び起こしてくれたのだろう…。

  みんな、すすり泣いていた。

  この映画は、真実の物語。
  3人の禅僧が「原爆の火」を持って
  サンフランシスコからニューメキシコまでの
  灼熱の2,500kmを25日間かけて
  平和への祈りを込めて、ただひたすら歩く記録映像である。


  広島の原爆で起きた火を、60年もの間、燃やし続けていた奇跡に近い事実。
  その火を、原爆が生まれた場所であるアメリカへ戻し
  そこで消し去ることで、負の連鎖を絶ち永遠に眠らせたいと
  この世に同じ悲劇が繰り返されることのないことを祈りながら
  ある僧侶たちが立ち上がった。

   何か派手な演出がある訳でもなく
   ただ、ただ、事実の記録映像。


  その中で、私は、多くのことを学んだ。

   復讐は解決にならない。
   復讐は新たな復讐を生む。

   謙虚さと学びの姿勢が、人を変えていく
   
   国や宗教を越えて
   人は、平和への想いで繋がり合える

   平和は、一人ひとりの心の中から始まる

   まずは、自分の心に平安がなければ
   世界の平和は謳えない。

 
   原爆に対する怒りとか悲しみとかそういう次元のものではなく
   もっと崇高な「人のひたむきさ」みたいなものが
   人を感動させ、人を動かすのだと感じた。

   人がただひたむきに前に進む姿が
   これほど美しくカッコいいものなんだと、感動した。

   
   世界平和を願う、この禅僧の姿が
   沖ヨガを、世界に広めた沖正弘聖師と重なって見えた。

   沖正弘聖師は、死ぬまで世界平和を願い
   世界各国を回りヨガを普及していた。
   癌と共に生きながら、最期は海外でのヨガの普及中だった。

   『 GATE 』

   9日(日)まで上映されています。
   当日券も多少あるようです。

   是非、観て欲しい映画です。
   

8月07日(金)
『人という字を刻んだ息子』

  この話を読んで
         涙が止まらなかった…。

  いろんな思いが込み上げてきて
  いろんなことを考えさせられた…。

  登場人物、みんなの生き方が
  

           覚悟

           潔さ

           素直さ

           寛大さ
  
           愛

           絆

           本物の気

           感謝

                に溢れている…。

   ヨガが教える 『自他一如』 の生き方が
                         ここにある…。

   
   
 「人という字を刻んだ息子」
                    秋丸由美子(あきまる・ゆみこ=明月堂教育室長)著
                                                   から…


 ■医師からの宣告
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、
結婚して間もなくの頃でした。

「あと10年の命と思ってください」

という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。

主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、
営業部長として会社を支えていました。
その面倒見のよさで人々から親しまれ、
たくさんの仕事をこなしていましたが、
無理をして命を落としては、元も子もありません。

私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして
細く長く生きようね」と言いました。
しかし主人は「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。

この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。
10年という限られた期間、
人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、
専業主婦として歩むのをやめ、
会社の事業に積極的に関わっていきました。

30年前といえば、九州の菓子業界全体が
沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。
暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが
一般的な業界の意識でした。

明月堂も創業時からの主商品であるカステラで
そこそこの利益を上げていましたが、
このままでは将来どうなるか分からないという思いは
常に心のどこかにありました。

そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、
商品を見て回ることにしました。
そして愕然としました。
商品にしろ包装紙のデザインにしろ、
九州のそれと比べて大きな開きがあることを思い知らされたのです。

あるお洒落なパッケージに感動し、
うちにも取り入れられないかと
デザイナーの先生にお願いに行った時のことです。

「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。
 それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」

と簡単に断られてしまいました。

相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。
私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。
それは、いかに商品が立派でも、
菓子の作り手が人間的に未熟であれば、
真の魅力は生まれないということでした。
人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。


■「博多通りもん」の誕生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

以来、菓子屋を訪問する際には、
売れ筋の商品ばかり見るのではなく、
オーナーさんに直接会ってその考え方に触れることにしました。
しかし、同業者が突然訪ねていって、
胸襟を開いてくれることはまずありません。
行くところ行くところ門前払いの扱いでした。

忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に飛び込んだ時のことです。
そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いて
ご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。

誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、
人の温かさが身にしみました。
人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。

いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。
全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、
それまで学んだことを商品開発に生かせないかと
社長や製造部門に提案しました。

そして全社挙げて開発に取り組み、
苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。
まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、
やがて当社の主力商品となり、いまでは
博多を代表する菓子として定着するまでになっています。

「天の時、地の利、人の和」といいますが、
様々な人の知恵と協力のおかげで
ヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、
世の中の不思議を感ぜずにはいられません。


■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ところで、余命10年といわれていた主人は
その後も元気で働き続け、私も一安心していました。
しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。
手術で一命は取り留めたものの、
容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。

知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。
私の肝臓では適合しないと分かった時、
名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。
手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。

私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、
長男はまったく躊躇する様子もなく

「僕は大丈夫です。父を助けてください」

と受け入れたのです。
この言葉を聞いて、私は大泣きしました。

手術前、長男はじっと天井を眺めていました。
自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする
息子の心に思いを馳せながら、
私は戦場に子どもを送り出すような、
やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。

そして幸いにも手術は成功しました。
長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、
それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。

長男がお世話になっている
神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、
手術痕を見ながら

「この人という字に人が寄ってくるよ。
 君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。
 お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。
 この傷は君の勲章だぞ」

とおっしゃいました。
この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。

お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、
私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。
と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、
私もまた大きく成長させてもらったと
感謝の思いで一杯になったのです。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  そういえば、師匠のスタジオにも掲げてある言葉。

     「 天の時、地の利、人の和」


  そして、師匠がいつも言います。
    
     「 一所懸命やっていれば、必ず周りが応援してくれるから…。」


  そんな師匠の生き方…
             与えて、与えて、与え続ける生き方。

     「与える者は、与えられる。」

                   ということなのだろう…。


8月05日(水)
あんまり

 今日出会った、なんかホッとする言葉…。
 にっこり微笑んでしまった。

 「 あんまり 」 という言葉が
 力んでなくて、無理してなくて
 なんか、人間らしい…。

 長寿の秘訣と、運命をひらく心得について
 100歳の現役牧師・大嶋常治さんが語った言葉です。


    なぜ私が長生きできているかについても、
    すべてこれ、神の恵みと哀れみによるものです。

    私が具体的に心がけていることとしては、


        ・嘘をつかない

      ・あんまり怒らない

      ・あんまり人の悪口を言わない

      ・あんまり悔やまない

      ・あんまりお金を貯めない

      ・あんまり貧乏をしない

      ・あんまり野心を持たない

                       という7つ。

  

     そしてもう1つは、病気をつくらないことです。

     「病は……」

     「気から」ではなく

     病は口から入る。

     いいですか?
     食事でも、甘過ぎは糖尿病、辛過ぎは高血圧。
     あんまり噛まない、これ、胃を悪くします。
     タバコだって大麻だってみんな口から入る。
     1度覚えたらやめられないと分かっているのに、
     美しい女性でもそんなことをしている。
     因果応報ですよ。

     それと「口は禍の門」といって、
     人間は必ず自分で言ったとおりになります。

     人間の言葉というのは、その人の人格や思想や体験を、
     みんな丸出しにしてこの口から出てくる。
     「私は80歳まで生きないわ」と言ったらその通りに、
     「私なんかダメだ」と言ったら、ダメな人間になる。

     言葉は大事です。

 
  ん〜、確かに…。
  いつも、発する言葉に気をつけよう…。

  吐く息、吐く言葉
  いつも温かく、優しくありたい…。
  

7月31日(金)
禅とヨガ




 9月に予定している 『禅とヨガ』 の打ち合わせで
 福井県大野市にある宝慶寺(ほうきょうじ)にお伺いさせていただいた。

 応対して下さったのは、村山様という僧侶さまだった。

 気持ちの良い風が吹き込む、静かな応接間で
 時折、お庭を眺めながら
 優しく静かにお話しくださる僧侶さまと過ごす時間は
 その時の流れそのものが、禅のように感じた。
 
 『禅とヨガ』についての打ち合わせが済むと
 僧侶さまは、お釈迦様のことや、道元禅師のこと、寂円禅師のこと
 インド仏教のこと、今の日本の仏教やお坊さんの事情など
 いろんな事を教えてくださいました。
 
 そして、僧侶さまご自身のこれまでの人生についてもお話くださいました。
 
 僧侶さまは、もう何十年もヨガをしていて
 今も毎日、ヨガをしていらっしゃるとのこと…。
 
 仏門に入るキッカケもヨガだったと…。
 
 若い頃から、沖正弘聖師の書かれた『瞑想入門』を読んで
 瞑想の仕方を勉強し、瞑想し
 そして、23歳の時に、インドにも行かれたそうです。
 日本に戻り、我流ではなく師について本格的に禅を学ぼうと
 修行僧となられたそうです。

 そんな話を聞きながら
 今回のこの出会いに、深いご縁を感じずにはいられませんでした。
 
 9月に、僧侶さまと一緒に、この宝慶寺でヨガができることが
 今から楽しみでなりません。

 宝慶寺(ほうきょうじ)










 お寺から出て、僧侶さまは、お寺の周りを一緒に歩きながら
 
 寂円禅師が銀杏峰の麓に入り
 岩の上に18年間座り続けていたこと
 宝慶寺の歴史や、お寺への熱い思いなどを
 噛みしめるようにゆっくりお話してくださいました。
 
 宝慶寺の樹齢700年の杉


  僧侶さまのお話を聞きながら
  宝慶寺はまさに 「葬式寺でもなく、祈祷寺でもなく、観光寺でもない。
  一途に修行をもって立ってゆくお寺」 なのだと確信しました。
  
  いつでも、誰にでも、門を開き
  道を求める全ての人を受け入れようとする姿は
  ヨガのあり方も同じ。

  禅とヨガ…

  どちらも、真理を探究し、実行すること。

  最近は、世界各国から禅を学びに宝慶寺を訪れるらしい。

  僧侶さまが最後に言われた言葉が
  印象的だった。

       「ここは、世界の精神遺産なのです」
   

 僧侶さま(村山様)と…

 
  

7月21日(火)
脈々と受け継がれるもの…

 朝早くに、生徒からメールが来た。


   おはようございます。
   すっかり夏の日差しですね。
   この暑さが、生きてるって感じがします。
   先生、私 最近、本当に幸せで心が軽いんです。
   気付いたら、不平不満、愚痴を言う事がなくなり
   思うことすら無くなったんです。
   これは、ラジャ・ヨガと上野先生のお陰です。
   ありがとうございます。
   今月40才を迎えました。
   私は、これから幸せの種をまいていこうと思います。
   私に出来ることを少しずつ…。
   ヨガに出会い、そして先生に出会えた事に
   感謝いたします。
   ありがとうございます。



 この生徒は、ヨガを学び出して、もう何年経っただろうか…。
 その間に、指導員養成コースも卒業し、今も学びに来ている。
 
 最近、福井の自宅や、カフェの空き時間を利用して
 少人数を相手にヨガを教え始めたようだ。

 このメールを、朝早くに、どんな思いで打っていたのだろう…。

 きっと、朝起きて
 今の幸せに、ハッと気付いたのだろう…。

 そして、沸々と沸き起こる
 喜びに満ち溢れて
 この思いを伝えたくて、メールを打ったのだろう。
 
 この瞬間が、彼女の歓喜の瞬間だったのだと思う。

 誰にでも、この気付く瞬間がある。

 彼女に出会った頃は
 いつも彼女の眉間にはしわが寄っていた。
 そして、苦悩を抱えた顔をしていた。

 とても細やかな気配りができる彼女は
 その分、無理をしていまい、疲労しているようにも見えた。

 そして、次々に起こる困難に
 前向きに対処しながらも、疲労を重ねていた。

 元から、愚痴や悪口をいうタイプではなかったが
 『我』 の強い部分もあったから
 窮地に陥ると
 時として、我のまま、言葉を吐いてしまうこともあった。

 でも、その後には
 必ず、自分で自分の 『我』 に気付き
 その 『我』 を修めようと、自分自身を見つめ
 自分自身と対話し、少しずつ成長していった。

 いつも、その様子を間近で見てきた。

 そして彼女は、この歓喜の瞬間を迎えたのだ。

 起こること全てを 「あって良かった」 に持ち込むことが出来るようになり
 全てを感謝に変えられた時
 人は幸せなことに気付く。

 幸せは、「なる」ものではなく、「気付く」もの。

 彼女が、ヨガに出会ったこと、私に出会ったことを感謝してくれているように
 私も、ヨガに出会い、師匠に出会ったことを感謝している。
 
 私は、師匠に出会ったお陰で
 見える世界が変わった。

 師匠は、沖正弘聖師や、その高弟・大槻高弘導師に出会ったことで
 確固たる生き方を見つけられた。
 そして、松下ヨガを創り上げた。

 こうして、脈々と受け継がれていくのだろう。

 でも、私はまだまだ未熟で、道の途中である。
 失敗もするし、迷うこともあるし、間違えることもある。
 師匠の足元にも及ばない。

 でも、だからこそ、こうして学び続けられるのです。

 ヨガには終着点がないから、一生学び続けられる。

 未熟な私を、師としてくれる人たちがいることを忘れず
 これからも、一歩一歩着実に、この道を歩んでいきたい。

 
 世界各国を回り、アシュタンガヨガを指導する
  ゴビンダ・カイ氏の書かれた

 「 自分にぴったりの先生を見つけるには?」 からの抜粋…。


   先生を見る時には、個人のレベルにとどまらず
   その先生につながっている
   エネルギーレベルでの系譜も同時にみつめるようにしましょう。

   ヨガとは、単にテクニックや情報の受け渡しではなく
   実際にエネルギーや生きた叡智を伝えていくことだからです。

   よって、その先生自身だけでなく
   あなたの先生が教えを受けた師との関係性もよく調べる必要があります。
   あなたの先生と、その先生が教えを受けた師との間にも
   活発かつ献身的なつながりがあることが望ましいのです。

   こういった特殊な人間関係においては
   先生と生徒の間に強い献身的なつながりがあるほど
   より自由に、パワフルに
   エネルギーや生きた知恵が流れていくものだからです。

   次に大事なのは、候補となる先生の
   ハートの質を見ることです。
   あなたの先生が、思いやりや親切さ
   許しや忍耐といった美徳に基づいて行動しているかを見極めましょう。
   ただし、強さ、荒々しさを否定しているのではありません。
   いかなる力強さも、思いやりや優しさから生じているべきだということです。

   もっといえば、よい先生というのは
   自らが教えていることの生きた手本でなくてはなりません。
   ヨガとは単なる理詰めのエクササイズではなく
   人間としての潜在能力を悟り、具現化していくことなのです。

   ただし、先生がやることが全て
   完璧でなければならないということではありません。

   人間として過ちを犯したり
   弱さを持っていてはいけないということでもなく
   ヨガプラクティスの教え
   その根本にある美徳に向かって
   着実に歩みを進めているかどうかが大切なのです。

   自分にぴったりの最高の師という
   人生における最高のギフトと言えるものを
   受け取ることができるか否かは
   あなた自身にその準備ができているかどうかで決まってくるのです。

   ヨガのプロセスは短期間の命題ではあり得ません。
   ヨガとは一生の旅路であり
   そこでは、可能な限り継続的に
   頻繁に一緒に歩を進めることができる
   最高の先生の助けが必要となります。
 
   その師弟関係の絆は
   お互いにとって
   忠義、献身、信頼
   そして深い愛情に満たされたものであるべきなのです。



 私の人生における最高のギフトと言える
 最高の師に出会えたこと
 そして
 その教えを、受け継いでいけること
 この上なく、幸せに感じます。

 師匠、これからも
 師匠の生き様を学ばさせていただきます。

 そして、朝早くに歓喜のメールをくれ
 そのことを、この 『diary』 に載せることを
 快く承諾してくれた彼女に
 師匠から学んだこと
 私の生き様をもって、伝えていきます。
  
 

7月13日(月)
おまかせの境地
  泥田の中で
                                      汚れなく咲きほこる蓮の花…

 
 9月に行う予定の 『禅とヨガ』 の打ち合わせの為に
 名古屋から来ていた師匠を、「花はす公園」 に案内した。
 一面に咲き誇る蓮の花に感動した師匠は
 何枚も写真を撮っていた。

 ヨガを象徴する花、蓮の花…。

 太陽の光を一杯浴びて、水面にきれいな花を咲かせる蓮の花。
 蓮は清水ではなく、泥田の中に咲く。
 暗くて深い泥の中にその根を張り巡らせている。

 水面の美しい花だけを見ていると
 その土台となっているのが、泥田だとは想像もつかない。

 蓮の花は、私たち人間の姿なのかも知れない。

 生きているとたくさんの苦しみや困難に出会う。
 自分にとって不都合なことも起こるし
 時には、死にたくなるような困難に出会うこともある。
 自分にとって、不都合な聞きたくないような言葉を耳にすることもある。

 そしてまた、沢山の煩悩や、汚れを持っている。

 それが私たち人間の姿…。

 そして、その苦しみや困難、煩悩、汚れこそが

            泥なのだろう…。

 今は泥の中でもがいているけれど
 流れに身を委ね
 それを、あるがままに受け入れることができたとき
 私たちは泥の中から芽を出す。

 そして、その困難を乗り越えたとき
 美しい、凛とした蓮の花を咲かせることができるのだと思う。

 泥の中にある沢山の栄養分を吸収しているお陰で
 蓮はきれいな花を咲かせることができるのです。

 泥という困難が、私たちを磨いてくれている。

 泥も、美しい花も、その全てで蓮の花を成す。

 悩み苦しみの中に根を張ってしか生きていけない私たちも
 いつか、必ず、きれいな花を咲かせることが出来るのだと
 そんなことを教えられているような気がした。

 


 蓮の花を観賞した後
 座禅会に参加するために、越前市の「御誕生寺」に向かった。
 私の父が眠るお寺…。

 座禅はもちろんだが、座禅の後の住職の板橋興宗先生の御法話が大好きで
 以前から座禅会に参加させていただいている。
 今回、「禅とヨガ」の打ち合わせもあり、師匠を誘って参加した。

 板橋禅師は、なにをも押し付けない。
 あるがままを観、あるがままを聴き
 全肯定の生き方をしておられる。

 だから、座禅中居眠りをしていても何も言わない。

 板橋禅師は言われた…。

 「 十人以上の修行僧が、毎日五時間の坐禅と、午前中は托鉢の修行を単調にすすめています。
  坐禅中、いびきをかいている者がいても注意しません。
  人は起きていても坐禅をしないのに、眠りながらでも坐禅しようといている。
  えらいもんだとむしろ褒めています。」 と…。

 御法話の内容も、終始こんな感じで
 ゆる〜い感じが心地よく
 それはそれはユーモラスで
 いつも笑いが絶えない。

 禅もヨガも、目指すところは同じである。

 だから、板橋禅師のお話は、沖正弘聖師の教えを聞いているようなのだ。

 板橋禅師は、猫のように生きることがよいのではないかと…。
 
 猫は考えない。
 考えないから、悩まない。

 後 ( 過去はどうだったから…と比較せず )、先を考えず( まだ起こってもいないことを心配せず )
 今、この瞬間を、お任せの境地で
 曖昧模糊(あいまいもこ)と生きることがいいのではないかと…。

 吹く風になびく、風鈴のように
 抵抗せず、流れに身を任せ
 ちりん、ちり〜んと美しい音を響かせるように…。

 

 沖正弘聖師の説かれた、『 おまかせの境地 』とは…。

        ― おまかせの境地 ―

     自然の欲に生きている心は軽いのです。
     自然の欲を育てるには、
     与えられるだけでいいのだ、
     与えられることがみな必要なのだ、
     与えられることがそのまま教えなのだ、
     与えられたものを、どのように取り入れるかということと、
     正し方をする工夫を与えて下さって、
     それが運命を変える元になるのだと受け取る心を養うのです。

     この自然欲の境地を 「おまかせの境地」 といいます。

     晴れてよし、曇りでよし。
     死ぬ時は死ねばよろしく候。
     転ぶときには転べばよろしく候。
     誰かが嫌ったら、嫌ってくださればよろしく候。
     来いといったら行きましょう。
     来るなといったら行かんでおきましょう。
     馬鹿といわれれば有難うといいましょう。

     なんでもありがとうの感謝心が正欲を養うコツです。

   
  板橋禅師のおっしゃってたこと、そのまんまだ…。

  御誕生寺の境内は、板橋禅師が愛してやまない
  可愛い猫たちで一杯…。

  「猫は悩まない」など、沢山の著書がある。
 


 御誕生寺にて
                                     板橋禅師と師匠と…

 

7月4日(土)
バカになるまい
 
 今、若者たちの犯罪が増えている…。

 そして、親が我が子を殺したり
 子供が親を殺したり…
            世の中が、おかしくなっている。

 どうして、みな、罪を犯す前に
 生命(いのち)の声が聞こえなかったのだろう…。
 
 東京・秋葉原で起きた無差別殺傷事件。
 警視庁の調べに対し、容疑者は、事件当日に携帯サイトに書き込んだ 「犯行予告」 について
 「見た人に犯行を止めて欲しかった」 と言ったそうだ。
 そして、犯行に使ったレンタカーのトラックで、歩行者天国の交差点に突っ込む前も
 30分にわたって周辺をグルグルと走らせ
 「事件をためらっていた」 などと話しているという。

 やはり、彼の生命(いのち)は、やってはいけない事だと知っていたのだろう。
 
 その生命(いのち)の声に素直になっていたなら
 この事件も起きなかったのだろう。

 素直とは、生命(いのち)に素直なこと。

 でも、その生命(いのち)の声をかき消すものがある。
 それが、「我」である。

 「我」とは、わがまま。
 我のまま生きるということ。
 自分さえ良ければいい、自分は正しいと思い込むこと。
 
 私は、様々な事件を耳にする時
 その罪を犯した者だけを責める気になれない。

 それは、自分が、親になったからかも知れない。

 子育ての中で、様々な経験をし、様々な思いをしてきた。
 この子が将来、何か悪い事を犯すようなことがあったら
 それは、全て私の責任なのだ…という責任というか
 負い目みたいなものを感じていた。

 私は、完全な精神状態の中で子育てをしてきた訳でなく
 一杯一杯の中でギリギリの状況だった。
 いつもキリキリ、ピリピリした精神状態で子育てをしてきた。
 そして、離婚までしている…。
 
 でも、親が懸命に生きる姿も見せてきたのだろう。

 やんちゃな息子は、よく校長室に呼ばれた。
 悪さをすると、その度に担任の先生から電話があった。
 その時、必ず担任の先生がおっしゃられた。

 「 お母さん、帰ってからシゲノリ君を怒らないと約束してくださいね。
  今日、学校でちょっと問題を起こしましてね〜。
  でも、もう、先方さんにも、一緒に謝罪に行ってきましたから。
  シゲノリ君は、本当に反省しています。
  自分のやったこと、よく分かっています。
  そして、相手や相手のご家族にも、心から謝罪していました。
  そして、おっかにだけは心配掛けたくないんや。
  そればかり言っています。
  おっかにだけはこれ以上心配掛けたくないんや。
  そやのに、何で俺って、やってまうんやろ…。
  いつも、やんちゃしてから気付くんや。
  俺って、ほんとにバカやな。
  先生、ごめん。また、先生にも迷惑かけてもた…。
  と言って、落ち込んでいます。
  だから、本人はよ〜く分かっているので
  どうか、叱らないでやってくださいね。
  くれぐれも、お願いしますよ。」 と …。

  そして、学校から帰った息子は、すぐに私の元へきて

  「 おっかぁ〜、俺、またやってもたんや…。
   今日、先生と一緒に謝りにいってきたんや。
   おっか、ごめんな。
   学校から電話あったやろ?
   心配掛けてごめんな。
   俺、もう、おっかに心配掛けんようにするでな。
   ほんとにごめん…。
   おっか、俺のことで悩んで
   また病気にならんといてや。」
                    と、心から反省した表情で謝るのです。

  こんな、やんちゃな息子だけど、先生方には

  「 アイツはやんちゃもするけど、男気のある、いい奴だ。」
  「 アイツが、この学校を引っ張っていってくれるやろ。」

  と信頼され、大変に可愛がっていただきました。

  息子は、やんちゃ坊主だったけど
  とっても素直だったのだと思うのです。

  生命(いのち)に対して…。

  危なっかしい時期もあった息子が
  悪い道に入らず、こうして立派に成人し
  周りから愛される存在に育ってくれたのは
  ただ、ただ、あの子自身の素直さのお陰なのだと思います。

        『 自分を育てるのは 自分 』

  これは、“教育界の国宝”と称えられた伝説の教師・東井義雄さんの遺した言葉です。
  東井義雄さんは明治45年、兵庫県の但東町に生まれた。
  昭和7年、姫路師範学校卒業。
  故郷の小学校に勤務。
  以来、その生涯を小中学生の教育に捧げた人である。

  東井さんは語る。 ―以下 『致知』 より抜粋 ―

   人間は五千通りの可能性を持って生まれてくる。
   死刑囚になる可能性も泥棒になる可能性もある。
   その五千通りの可能性から、どんな自分に仕上げていくか。

   「 世界でただ一人の私を、どんな自分に仕上げていくか。
    その責任者が私であり、皆さん一人ひとりです。」

          「 バカになるまい 」


    講演の中で東井さんはそう繰り返し  
   一人の知的障害を持った中学生の詩を紹介している。

        私は一本のローソクです
        もえつきてしまうまでに
        なにか一ついいことがしたい
        人の心に
        よろこびの灯をともしてから死にたい

   彼は勉強はできないが、何か一ついいことがしたいと頑張っている。
   これが賢い生徒。
   ところが、少し勉強ができてもバカがいる。
   ある中学生が下校の途中、通せんぼをした保育園の幼児に腹を立て
   刺殺する事件が起きた。
   一度家に帰って刃物を持って引き返しての犯行。

   なぜ、やめとけとブレーキがきかなんだのか。
   彼は自分で自分を人殺しにした。

   東井さんが涙を流して発した痛憤である。

   木村ひろ子さんは生後間もなく脳性マヒになった。
   手足は左足が少し動くだけ。ものも言えない。
   しかも三歳で父が、十三歳で母が亡くなった。
   小学校にも中学校にも行けなかった。
   わずかに動く左足に鉛筆を挟んで、母に字を習った。
   彼女が詠んだ短歌がある。

      不就学なげかず左足に辞書めくり漢字暗記す雨の一日を

   左足で米をといでご飯を炊き、墨をすって絵を描き
   その絵を売って生計を立てた。
   自分のためだけに生きるなら芋虫も同じと
   絵の収入から毎月身体の不自由な人のために寄付をした。
   彼女は言う。

   「 わたしのような女は、脳性マヒにかからなかったら
    生きるということの、ただごとでない尊さを知らずに過ごしたであろうに
    脳性マヒにかかったおかげさまで、生きるということが
    どんなにすばらしいかを、知らせていただきました。」

   私たちは眠っている間も息をしている。
   心臓の鼓動も自分が動かしているわけではない。
   死ぬほどに辛いことがあっても
   胸に手を当てたとき、ドキドキしていたら
   「辛かろうが、しっかり生きてくれよ」と
   仏さまの願いが働いていてくれる、と考え直してほしい。
   願われて生きている自分であることを忘れないでほしい。

   東井さんがすべての人に託した心願である。

   最後に、東井さんの言葉をもう一つ。

       『 自分は自分の主人公
        世界でただひとりの自分を創っていく責任者 』
  
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

  私が今も学び続ける沖正弘聖師のヨガの教義の中にも

       『 人の一生は、自分がどれ程素晴らしい自分に仕立て上げるかを
        自分で見るためにあると、私は解釈しています。』

  というのがある。

  自分の人生に責任を持って
  自分で自分を拝めるような生き方をしていきたい。

 

7月1日(火)
無為自然

 インドのガンジス川…
                                     日本と変わらぬ自然の風景


 先々週、師匠の元に学びに行った時のこと。

 生徒が 「 最近、胃の調子が悪くて…」 と、師匠に言った。
 師匠が 「 ん〜、食べ過ぎてないか?
        コーヒーは飲むのか?一日に何杯くらい飲むのか?
        緑茶を飲み過ぎてないか?
        緑茶も飲み過ぎると、胃を痛めるからなぁ〜」 と、色んなアドバイスをしていた。

 私は、思わずその生徒に
 「何か、ストレスはないですか?」 と、横から口を挟んだ。
 そして、私の体験談を話した。

 私も以前(嫁いでしばらくしてから)、ずっと、胃の調子が悪かった時期があった。
 いつも、喉元まで物が詰まっているような膨満感。
 ずっと物が消化されてないような感じで、四六時中胃の調子ばかりを気にしていた。

 もちろん食べ過ぎないようにとか
 冷たい物も避けたり
 夜遅くに食べないようにとか
 思いつくことは全て実行したが、それでも胃の調子は一向に良くならなかった。

 自分で 「 これは胃癌かも知れない!」 と思い込み
 病院に行って、いきなり 「胃癌かも知れないので、直ぐに胃カメラを飲ませて下さい!」
 とお願いして、お医者さんに笑われたことがあった。
 でも、そのくらい胃の調子が悪かったのだ。

 でも、それは、食べ方、飲み方が問題なのではなく
 原因は、心の問題だったと気付いたのだ。

 ず〜っと気にしていた事柄が解決した(私が物事の捉え方を変えた)、その瞬間から
 嘘のように、胃はスッキリしていたのです。

 これには驚きだった!!

 その頃は、心と身体が繋がっているなどと考えたこともなかった。
 その頃は、ヨガのヨの字も知らなかったから…。
 今になって思うと
 やっぱり、心と身体は繋がっているということの証明になった出来事となった。

 その時の心が抱えていた問題とは…

      憎しみ
      恨み
      間違った正義感(自分は正しいと思い込んでいた)
      完璧主義からくる、不安感、恐怖心、競争心

 いやぁ〜、書いていても恐ろしくなるような感情を抱き続けていたんだなぁ〜。
 これでは、胃の調子もおかしくなって当たり前!!(妙に納得)

 そして、その感情を、その頃の家族に対して抱いていたのだから
 四六時中その感情を味わっていることになる。

 師匠が言った。

 「 ストレスのほとんどが、要らぬ心配や、取り越し苦労からきている。
  変に心配しないこと。
  そして、取り越し苦労しないこと。」 と…。

 その生徒は

 「 そうですね。私は、何でも心配し過ぎちゃうんです…。」 と言った。

 師匠は

 「 嬉しい事が起こっても、変に舞い上がらず、
   嫌な事が起こっても、変に落ち込まない。
   常に理性は冷めさせておくこと。」

 そして続けて言った。

 「 問題が起きた時の一番の解決方法は何か、知ってるか?」 と…。

 「 それは、何もしないことだ。
  物事は、なるようになる。
  ただ自然に任せること。
  即ち、『無為自然』 ということだ。
  わかるか?」

 「 といってもな、何もせずにボ〜っとしてろということではない。
  自分のするべき事は、精一杯にやる。
  自分ではどうしようもないことは、自然に任せておく。
  自分ではどうしようもないことを
  自分が何とかしようとか、自分の思い通りにしようとするから、おかしくなる。
  とにかく、思い通りにしようとしないこと。」 と、教えてくれた。

 なるほど !!!

 以前の私は、確かに、相手を自分の思い通りにしようとしていた。

 ヨガでは「心」のありようをとても大切にします。

 自然を見ていたり、自然に触れていたり
 自然と繋がると
 犬や猫と接していたりすると
 穏やかな気持ちになったりする。
 
 音楽を聴いたり、絵画や、仏像を見ていると落ち着いたりする。

 人との関わりだけが心を騒がせる。
 でも、私達は人とのつながりの中で生活している。
 
 だからこそ、心を落ち着かせる訓練が
 今の時代には必要なのでしょうね。

 ヨガはその道を示してくれます。 
 だからこそ、今の時代にヨガが必要とされているのでしょうね。


 さぁ〜、今日も一日、自分のやるべき事を
                   淡々とやっていこう…。
 自分ではどうしようもないことは
                 自然の流れに任せよう…。

 そこに、何の心配も要らない!

 物事は、成るようになる…。

 自分のお役目を、ただ精一杯やるだけ…。

 私のお役目は、目の前にる人や、生徒を喜ばせること。

 では、今日も元気にいってきまぁ〜す !!

 今日は名古屋から松下ヨガ学院でヨガを指導している修業生仲間が二人と
 石川でヨガを教えていらっしゃる、るみ先生が学びにやって来られます。
 
 今日も、良き学びの場となりますように…。

                                   感謝

 

6月29日(月)
子育て

 息子も二十歳になり、
 娘も社会人になり、二人とも側には居ない。

 私の子育ても、ひと段落ついた感じだ。

 子育てしていた時期が懐かしく
 その頃の、息子や娘や、自分自身が愛おしい…。

 最近よく、あの頃はホントにいろいろあったなぁ〜と、懐かしく思い出す。

 というのも、ここひと月間、生徒の出産ラッシュで 
 『 先生〜、お陰様で無事に産まれました!!
               ありがとうございます。』
 との連絡を受けて、赤ちゃんを見に行く機会が増えたから
 おのずと、子育てについて考える機会が増えたのだ。

 その生徒たちは、結婚前から教室に通い、ヨガを愛し
 私は、結婚、妊娠、出産を見守ってきた。

 みんな、安産で、元気な子を産んでいる。

 さぁ〜、これから、子育ての醍醐味を味わうんだね。

 以前は、私は自分の子育てについて思う時
 悔いばかりだった…。

 あ〜すればよかった…。
 いや、こ〜すればよかった…。
 あんなこと言わなければよかった…。
 あんなことして、悪かったなぁ〜。
 
 いつも後悔ばかりで、私のような未熟な親を持った子供たちが不憫でならなかった。

 でも、今は違う。

 あ〜、子育て、楽しかったなぁ〜。
 ほんとに楽しかった…。
 あの子たちに出会えてよかった!!
 心配させられたり、泣かせてくれたり、喜ばせてくれたり
 子育ての醍醐味を、十二分にを味わわせてくれて、ありがとう!!
 よくぞ、この私を母親に選んで産まれてきてくれたね、ありがとう〜!!
 そのお陰で、お母さんも、やっと一人前の大人になれたよ。
 
       ― 産まれてきてくれて、ありがとう ―

 そんな思いなのだ。

 息子はやんちゃ坊主で、
 「 この子を殺して、私も死のう…」と思ったことがあるくらいだった。

 今となっては、懐かしく、笑い話になっているが…。

 子育ての途中では、ほんとに悩むことが多かった。
 とことん悩んだ。
 とことん落ち込んだ。
 
 でも、その度に、親は育てられた。

 自分の未熟さを、思い知らされた。

 今、新たにお母さんになった人たちに伝えたいことがある。

 子供たちに、いつも「産まれてきてくれて、ありがとう!!」 と、伝えて欲しい。
 子供は、親を選んで産まれてくるのです。
 出会えたことに感謝して欲しい。
 何か問題にぶつかったら、その時が親の成長の時…。
 子供は、想像もつかない程の凄い力を持っています。
 いつも、子供の力を信じていて欲しい。
 親の思い通りになるなんて思わないで。
 親の思い通りにしようと思わないで。
 
 子供へのカウンセリングは、母性。
 子供にとっては、「 お母さんが、そこに居るだけで温かい…。」

 毎日、365日、一緒に食べる。

 食べることは、生きること。
 その食卓を、子供にとって明るい場にする。
 決して、食卓を修羅場にしないで欲しい。

 そして、愛情が心のエネルギー。
 一杯もらった愛情を
 一杯人に返していく。

 幼い時に味わった愛情が
 その子の一生を支えてくれるから…。

 未熟な親だった私に
 「 おっか、おっかの息子でよかった。ありがとな…。」
 「 お母さん、私も、お母さんの娘でよかった。
  お母さんと暮らした18年間は、ほんとに幸せやったよ。
                             ありがとう…。」
 と言ってくれる子供たち。

 大きく成長した今、子供たちは
 周りから愛される存在となっている。

 私が育てたようで、いつも私が育てられていた。
 私が未熟だったから、私を成長させるために
 私のお腹に宿ってくれた命…。

         ― ほんとうに、ありがとう ―

 母親のひと言が、子供の生きる支えになることを教えてくれている
 感動的なムービーの紹介です。
 

        「僕を支えた 母の言葉」


                 
 

6月23日(火)
親心

 この映像は、インドでの朝食。
                                    甘いお菓子の様なお粥が、美味しい !!

 昼食は、しっかり目にとる。

 そして、夕食は軽めに…。


 今日の講座の後、いつも優しく私を見守ってくれている生徒が歩み寄ってきた。

 「 先生〜、ちゃんと食べてくださいね。
  先生の 『diary』 読んだら、心配になっちゃって…。
  最近、また痩せたように見えるし、それ以上痩せたらダメですよ〜。
  痩せると、顔がこけてくるし、そしたらきつい顔に見えちゃいますから…。
  少しふくよかな方が、可愛く見えますからね。
  ほんとに、ちゃんと食べてくださいね。」 と、心配そうに言ってくれた。

 いつも実家の母に言われていることと、全く一緒…。

 その生徒は、ヨガに通い始めて、もう4年以上になります。
 4年間、休まず通っている。
 4年間、私を見続けてくれている。

 そして、その生徒は、私の母親と変わらない年齢。
 いつも、私や私の家族のことを気に掛けてくれていて
 家族のように心配してくれる。
 私たち親子をずっと支えてくれているのです。

 そんな大切な人に、また心配を掛けてしまった。
 申し訳ないなぁ〜という思いと
 母親のように心配してくれていることが嬉しかった。
 
 確かに、インドから帰ったあたりから、1キロくらい減った。
 でも、食べ方自体は、ここ3〜4年変わっていない。
 ただ、最近はお肉をほとんど食べなくなったなぁ〜。
 なぜだか分からないけど、お肉を食べたいと思わなくなってきたような気がする。

 私の周りのヨギーは、お肉を全く食べないベジタリアンが多い。
 というか、ヨガが深くなると、自然とそうなるみたいだ。

 でも、私は、つい最近までお肉も好きで、よく食べていた。
 ヨギーだからベジタリアンでないといけないとかストイックに考えず
 師匠のように
          『 食べたい物 (いのちが必要としている物) を
           食べたい時に (いのちが必要としている時) に食べる
           いのちが最高に喜ぶ食べ方』 を実践していた。

 それが、インドから帰ったあたりからだろうか
 お肉を食べたいと思わなくなったのだ。
 といっても、出された料理にお肉が入っていたら、ありがたくいただく。
 お肉だけよけたりはしない。
 お肉が嫌いになった訳でもない。

 なぜ、お肉を食べたいと思わなくなったのか
 全く原因が分からないけど
 それが私のいのちの声なのだろう…。

 やっと、ヨガが深くなってきたのかも知れない…。
 
 しかし、体重が落ちても、身体がすこぶる元気なのである。

 そういえば、先週名古屋の師匠のところに行った時
 師匠に 「 最近、体調はどうだ?」 と聞かれ
 「 とっても体調いいです。もしかすると、今までの人生の中で一番いいかも知れません !!」
                                               と、答えていた…。
 
 確かに、幼い頃から身体が弱かった私が
 今は、ほんとに元気である。
 特に、インドから帰ってからは、すこぶる元気 !!!

 きっと、食べる量も適量なのだろうけど
 なんと言っても、食べている物の質がいいのだろう…。

 私が普段口にしている物のほとんどが
 生徒のみなさんから頂いた物である。
 お米や調味料以外は、ほとんど頂いているんじゃないかと思うくらい
 買い物も、一週間に一度くらいしかしない。

 私の身体は、みんなからの愛情で出来上がっている。
 
 頂く物の全てが、愛情込めて作られた手作りの品…。

 「 無農薬やで、中に虫がいるかも知れんけど、先生なら喜んで食べてくれると思って…。」
 「 これ、今、畑から採ってきたんやけど食べて。」
 「 このジャガイモ、今日炊いたんやけど、食べてみて。」

 旬の物、採り立ての新鮮な野菜
 そして、手作りのお惣菜、お菓子、漬物
 実家が漁師だからと、獲れたての魚
 自分で干して、自分で塩をした魚
                    
 
 吉田夫妻が手塩に掛けて育てた無農薬の野菜たち

 辻本さん手作りの、ジャガイモの炊いたん

 ご実家が漁師さんの辻本さんが
                           自分で塩をして作った干物。

 橋本さんがキャンドル・ナイトの時に
                            50人分のケーキを焼いてきて下さり、感謝…。

 永丸さんが大切に育てたピンクの薔薇が綺麗に咲いた

 吉田さんが、毎日持ってきて下さるお陰で
                            スタジオには、いつもお花が一杯…。

 キャンドル・ナイトをするならと、千音さんや
                           隆子ちゃんが蜜蝋でロウソクを作ってきてくれました。

 私が頂く物には、作り手の愛情や、気(パワー)がたっぷりと入っている。
 それを口にする者が、元気にならない訳がない…。

 食べるということは、「いのち」 と 「いのち」 が結びつくことである。
 食べる私の「いのち」 と食べられる物の 「いのち」 が結びつくこと。

 私は、「いのち」 を頂いている。
 そして、作り手の愛情と、作り手の「気」 も一緒に頂いている。

 だから、元気が出るし、パワーもみなぎる。

 私のことを、家族のように心配してくれたり
 私のことを、家族のように愛してくれる人たちに囲まれて
 私は、ほんとに幸せだなぁ〜、お陰だなぁ〜と
 毎日、文章では表しきれない感謝の気持ちで一杯になる。

 今日も私は、「いのち」 をいただきます。
 私に 「いのち」 を捧げてくれる食物や
 その 「いのち」 を作り出す、天の恵みや、人の愛に感謝して
 有り難く 「いのち」 をいただきます。

 そして、母のように心配してくれる人たちに
                        心から感謝いたします。

                 
 

6月21日(日)
自分に寄り添う

 電気を消して、ろうそくの灯りの元で…

 
 昨夜は、『キャンドル・ナイト』 を開催しました。

 地球規模で、地球温暖化や地球環境を見直す時間を持とうと始まった
 『100万人のキャンドル・ナイト』 運動…。
 
 でも、今回の 『キャンドル・ナイト』 は
 無理して電気を消そうとするものでなく
 声高らかに地球温暖化防止を訴えるのでもなく
 過剰な電飾の明かりにまみれた日常から離れて
 日常では見過ごしてしまいがちなことに気付く
 そんな時間になれば…との思いから企画した。

 日頃スタジオに通ってくれている生徒や、そのご家族、お友達。
 県外から足を運んでくれた人。
 日本以外の国籍を持つ人たちなどで
 50人に及ぶ人たちが集まってくれた。

 50人も入ると、スタジオも一杯一杯…。

 もちろん一人ひとりがマットを敷くスペースなどなく
 マットは敷かずに、スタジオ一面に敷かれた絨毯の上で
 みんなが繋がる…。

 すぐ横に、隣の誰かがいて
 その人の息づかいや、ぬくもりまでもが伝わってくる距離感…。

 電気は点けず、ろうそくの灯りだけの世界…。

 日常とは違った雰囲気の中で、みんなは何を感じただろう…。

 ヨガ=ポーズをとることと思っている人もいるかも知れないけど
 ヨガは静かな時間を持つことでもある。

 『キャンドル・ナイト』 が
 静かに自分を見つめ、そっと自分に寄り添い
 自分を許し、自分を愛し、自分を癒す時間になればいいな〜と思った。

 だって、その自分に対する、許しや、愛や、癒しは
 大切な人や、世界に繋がっていくから…。

 だって、根の深い深いところでは
 み〜んなが繋がっているから…。

 ポーズは一切とらずに
 ただ、ただ、身体をゆるめるように誘導した。

 そして、呼吸が深くなっていくことを観察(内観)した。

 腹の中に溜め込んでいるマイナスの感情を手放すように呼吸する。
 「腹黒い」とか「腹が立つ」、「腹をさぐる」や、「腹に据えかねる」
 のような言葉があるように、腹は感情と深くつながっている。

 シャバ・アサナで、胸もお腹もゆるめて、背中もゆるめる。
 安心して、大地に身をあずける。

 自分自身を解放して、本当の自分を静かに見つめる。

 そして、自分の膝や肩を抱きしめて
 自分自身に「ありがとう」「ゆるしてね」「愛してるよ」と語りかける。

 みんな涙を流していた…。

 その涙は、きっと、温かい涙なのだろう。
 そして、それが、自分自身の潜在意識を浄化していくのだろう。

 ヨガを続けると、身体がしなやかになるだけではなく
 いつか、心がしなやかになっていることに気付く日が来る…。

 自分にも優しく、人にも優しくなれる。

 このことが、結局は、地球の平和や、地球環境を守ろうとする思いへとつながっていく。

 私は、これからも、そんなヨガを伝えていきたい…。

 うちのスタジオには、いろんな才能を持った人たちが来ています。
 ヨガの先生もいれば、ベリーダンスの先生も、フラダンスの先生も
 ゴスペルを歌っている人も…。

 ってことで、ろうそくの灯りの元で
 ベリーダンスの先生には妖艶なベリーダンスを
 ゴスペルの仲間には、ゴスペルを披露してもらい
 素敵なひと時を過ごすことができた 『キャンドル・ナイト』…。

 参加してくださったみなさんに、心から感謝いたします。
 
                                  合掌
 

6月08日(月)
小食のすすめ

  なぜ小食が健康に繋がるのか…。
                                      読んでいるだけで、元気になります。


 生徒から
 『 先生は、いつも、食事はどうしてるんですかぁ〜?』
                                 と、よく聞かれます。
 
 『 ん〜、決まってはいないけど、だいたい、1日1食か1.5食かなぁ〜。』
                                          と、答えると
 みんな 『 えぇ〜〜〜〜〜っ !!! 』 と、驚きます。
 
 それもそのはず、1日3食きちんと食べないと健康を害するという教育を受けてきたのだから
 驚くのも当たり前!!
 私も、ずっとそう思っていたし、子供たちにもそう教え込んできました。

 以前は( ヨガに出会う前は )、かなりの大食いで有名でした。
 食べ放題のバイキングでは、必ず元を取ったし、
 ランチのAコースBコースで迷えば、両方食べたし、
 パーティーでは、隣の人の嫌いな食べ物は、全て私の皿にやってきて完食…。

 それが、ヨガに出会ってヨガを深めていくうちに、自然と食べる量が減ってきたのです。
 自分から無理をしてセーブしようとした訳でもなく
 誰かに忠告された訳でもなく
 何年か掛けて、徐々に、徐々に
             その変化に自分でも気付かないくらい
                          ごく自然に、自然に…。
 
 気付いたら、1日に1食だったり、1.5食だったり…。
 きっちり2食を食べてる日もあります。
 時には、食べることを忘れていて、夜になって
  『 あ〜っ、今日は断食日になっちゃったなぁ〜』 という日もあります。

 ようは、食べたい時に、食べたい物を、食べたいだけ食べていたら、こうなったのです。

 それにはキッカケがありました。
 それは、師匠の元に通い始めて学んだ、『ヨガの正食法』 というもの。

                  『 ヨガ正食法 』

      食べ物は、≪ちょうど良い時に ≫( 身体がほんとうに要求している時に )
             ≪ちょうど良い物を≫ ( ほんとうに要求している物を )
             ≪ちょうど良いだけ ≫( ほんとうに要求している量 )
      を、摂ること!!

          そして、≪多種類≫、≪少量≫、≪旬の物≫を、≪全体食≫で摂ること。

                  『 全体食とは 』

      一つの食べ物は全体でバランスをとって生きています。
      だから、そのものを食べる時は、可能な限り、皮も、骨も、身も、
      そして、頭から尻尾まで全体を食べるのが 『全体食』 であり、
      最も良い 『バランス食』 なのです。

                  『 食生活を正す』

      『いのち』 とかけ離れた食生活習慣を認識した場合、
      それを軌道修正するのか、それとも、しないのかが大事な分岐点なのです。

      『いのち』 に従った食生活とは、のどが渇いてから飲み物を飲む。
      空腹を感じてから、食事をとる。もっとも自然な食事法です。
      不自然な食事法とは、決められている時間が来たから食事をする。
      友人に誘われたから、お付き合いでお腹が空いていないのに食事をする。
      暇だから、買い置きのおやつを食べる。ストレス解消の為に食べる。
      これらは 『いのち』 とかけ離れた食習慣になってしまいます。
      最も正しい食事法とは、自分の 『いのち』 が最も喜ぶ食事です。
      食物に内在している 『いのち』 と、自分の 『いのち』 が
      最も正しく結ばれた食事が、ヨガ正食法です。
      美味しい、楽しい、気持ちよい、元気がでてくる食事法です。
      『いのち』 は、ちょうど良い量を越えると、重たい、苦しい、動きたくない、
      眠い、休みたい、といった信号を送ってきます。

      『いのち』 の声に従った食事を心がけましょう!

  というものでした。

  それからは、『朝はきちんと食べなきゃ!』 『1日に3食きちんと食べなきゃ!』 とか
  『今、食べておかないと夜まで食べれないから…。』 とかいう囚われから解放されて
  『 食べたくなったら食べよ〜っと 』 と、のんきに構えることが出来るようになったのです。

  そしたら、意外に、1日に3食を食べるほど、お腹は空かなかったのです。
  そして、食べたい物を食べよ〜っと思っていたら
  自然に、身体にいい物が多くなってきていたのです。

  結局は、身体にいい食べ物、食べ方を、自分の 『いのち』 が教えてくれているみたいです。

  『いのち』 は、少食がよいと教えてくれているようです。

  でも、なぜ小食が健康に繋がるのか??
  ずっと知りたかった答えが、『食べない健康法』に
  とってもとっても分かり易く書かれていたのです。
 
  これで、自信を持って、小食をお勧めすることが出来ます。

  でも、私が勧める小食の基本は
  食べたい時に、食べたい物を、食べたいだけ食べることなので
  無理をして小食にしても続かないし
  お薬を服用している人は、きちんと3食食べないといけないだろうし
  自分が元気になる食事の仕方が一番 !!

  師匠がいつも言っています。

  『人は自由。味わいたいものを味わっていればよい。
   贅沢したかったら贅沢していればいいし、大きな外車に乗りたければ乗ればいいし
   グルメを楽しみたかったら、グルメを楽しめばいい。
   食べたい物を食べたいだけ食べていればよい。
   自分の 『いのち』 が喜ぶことなら、とことんそれを味わっていればいい。

   でも、『いのち』 は、ほんとうはどうするのがいいかを知っている。
   その 『いのち』 の声に気付いたら、その時に正していけばいい。

   素直とは、自分の 『いのち』 に素直になること。』
                                  と…。

  私の 『いのち』 は、小食がいいと教えてくれているから
  私は、素直に実践しているだけ。
  
  でも、私の体験と、そして、この本に書いてあることからみると
  小食は、かなり健康の鍵になりそうです。

  明日から、この本も 『mana-yoga 文庫』 で貸し出ししますね。

 

5月21日(木)
悟るとは…

 木村秋則さんが成し遂げた事とは

 悟るとは、こういうことなんだろうなぁ〜


  『奇跡のリンゴ』

  何人もの知人から
  この本は面白いと聞いていました。

  そして、いつも自分が読んで感命した(命が感じた)本を
  惜しみなく 『 mana-yoga 文庫 』 に寄付して下さる長谷さんが
  『奇跡のリンゴ』 を持ってきて下さいました。
  私は、いつも長谷さんの生き方を学ばさせていただいている。
  その人が勧めてくださった本だから
  尚更、興味が湧いてきました。


       危険から守り給えと祈るのではなく、
       危険と勇敢に立ち向かえますように。

       痛みが鎮まることを乞うのではなく、
       痛みに打ち克つ心を乞えますように。

       人生という戦場で味方をさがすのではなく
       自分自身の力を見いだせますように。

       不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
       自由を勝ち取るために耐える力を願えますように。

       成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
       卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
       あなたの御手に握られていることに気づけますように。

                      『果実採集』より 石川拓治訳

  まず、最初のページに書かれてあった
  この言葉に惹かれ、ワクワクしながら読み始めました。

  読み始めたら、グイグイ、グイグイ引き込まれて
  いつの間にか、私も、木村さんの林檎畑の中に居た…。

  そして、木村さんと一緒に、闘っていた…。

  そして、奇跡の起こった瞬間も
  一緒に、その喜びを味わっていた…。
  こ踊りしそうだった…。

  『 一所懸命』、一つのことに命を懸ける
  命懸けで生きるとは、こういうことなんだろう…。

  きっと、『悟る』 とは、こういうことなんだろうと思った。

  木村秋則さんは、悟った人なのだと思った。

  木村さんが、ヨガ行者のように見えた。

  会ったこともない木村さんなのに
  なにかしら肉親のような愛おしさを感じてしまう。
  会ったことがなくても、伝わるものがある…。

  表紙の飾らない素朴な笑顔のせいなのかも知れない…。

  

 『 mana-yoga 文庫 』

 夜でも見易い様に、ライトを付けました


   私に、信念を貫く勇気と
   悟りへの道を教えてくれた

      『奇跡のリンゴ』 …

   只今、『 mana-yoga 文庫』 にて貸し出し中です。


5月19日(火)
内側の力

  アミット先生のダヌラ・アサナ

 なぜか靴下姿のアミット先生

  朝食前のヨガ

  アミット先生と師匠と修業生仲間


  インドでのヨガレッスン中に
  指導員仲間が,、日本でのレッスン中と同じように
  ペットボトルの水を飲もうとした瞬間
  『 飲んではいけない !! 』 と先生の声が…。

  みんな、「 はてな??」 と思っていると
  インドのムクタ先生が説明をしてくださいました。。

    一旦、レッスンを始めたら
    レッスンが終わるまで、始めた時の状況を変えてはならないということ。

    自分の外側の状態は、レッスンが終わるまで一定でなければならない。

    暑くなってきたからといって、閉めてあった窓を開けてはならない。
    寒いから、虫が入ってくるからといって、開けてあった窓を閉めてはならない。
    暑いからと、着ていた服を脱いではならない。
    寒いからといって、脱いであった服を着てはならない。
    喉が渇いたから、汗が出てきたからといって、水を飲んではならない。
  
    身体を動かしていくうちに起こってくる、内側の反応( 汗、暑い、寒い、喉の渇きなど… )に対し
    外側の状況を変えて、調整するのではなく
    自分の内側の状態を変化させて、それに適応していく力をつける為である。

    外側の状況を変えるのは容易いことである。
    でも、それに頼ってしまったら、内側の力が弱まってしまう。

 
  なぜ、『 飲んではいけない !! 』 のか
  その理由を聞いて、インドのヨガの奥深さを知った気がしました。

  もちろんそれは、ヨガのレッスンを行っている最中の話であって
  インド滞在中 『とにかく、小まめに水分補給をするように… 』 との指導を受けていました。
 
  ヨガとは、外側の状況に左右されない自分をつくっていくこと。

  そして、外側(相手)を変えようとするのではなく

                     自分が変わること…。

                           外側で起こること( 相手 )を柔軟に受け止めること…。
  
  レッスン中の水分補給のことも
  ここに繋がっているのだろうなぁ〜と感じながら
  インドの爽やかな風の中、アサナを続けました。

  帰国してから、インドで学んだことを大切にしながら( 生徒にその話をしながら )
  水分補給も大切にしながらレッスンしています。

  スタジオでお水を用意して、みんなが手ぶらで来れるように計画しました。
  準備するお水は、『 抗酸化水 』 を選びました。
  私の信頼する 『オーケン』 さんで抗酸化水を作る容器を購入。

 まずは抗酸化水を置くテーブルも準備

   講座前にも、講座中も、講座後も
   是非、身体を錆びさせない 『抗酸化水』 を飲んで
   ヨガで身体と心を鍛えて
   ますます元気になってくださいね。
  
  

5月11日(月)
母の日

 息子より…

 娘より…

 
 昨日は、母の日…。

 名古屋に居る娘から、宅急便でプレゼントが届きました。
 お茶大好き人間の私に、緑茶とお菓子のプレゼント…。
 そして、優しい、暖かい言葉の手紙が添えてありました。
 手紙の封を開ける前から、涙がボロボロと溢れてきました。

 今日は、息子がやって来て
 『 おっか、一日遅れやけど、はい …。』 と言って
 一輪の真っ赤なカーネーションを渡してくれました。
 もちろん、やんちゃ坊主のまま育った息子は
 お手紙なんてありません。
 それに、大阪で極貧生活を送ってきた息子には
 カーネーション一本買うことも、精一杯…。
 
 『 今、花屋に行って、一日遅れやけどカーネーション売ってますか?って聞いて
  おっかと、ば〜ちゃんに、一本づつ買ったんや …。』 と。

 離婚して私が家を出てから、息子の面倒を見てくれていたば〜ちゃん(姑さん)にも 
 母の日のプレゼントをしようとする息子の優しさが嬉しかった…。

 息子も娘も、自分の稼いだお金でプレゼントを買ってくれる年になったんだなぁ〜と
 子供の成長と、自分の歳を、改めて感じました。

 そんな私も、実家に行くと
 母からすれば、まだまだ心配な子供…。
 幾つになっても、子供は子供…
                  親は親…。

 そんなことを、今日スタジオで話していたら
 60代の生徒が
 『 そうですよ。いつまで経っても、親にしたら子供は子供。
  私もいまだに、80になる母に心配されていますから …。』 と。

 芸人になりたいと大阪に行き、『メジャーになるには、やっぱり東京なんや。』
 と言って、今度は東京に行く資金作りの為に福井に帰ってきている息子…。 

 モデルになりたいと、名古屋に行った娘…。

 まだまだ心配だらけの息子と娘…。
 早く親を安心させてくれないものかなぁ〜と思っているけど
 でも、私が死ぬまで、子供が幾つになっても
 その心配は絶えることないんだろうなぁ〜。

 心配させられる子供がいて
     
 そして 

 その私を心配してくれる親がいる…。

 人は、一人では生きていけない。
 周りの人たちに心配や迷惑を掛けながら生きている。

 心配することも、心配されることも、繋がっている…。 

 そして、命も繋がっている…。

 3月の終わりに、五日市 剛さんの講演会に行った時
 講演会の最後に、五日市さんが 『 親愛なる子供たちへ 』 という手紙を読んで下さいました。
 聴いていた人たちは、みなさん涙を流していました。
 
 物凄く感動した
 その手紙をご紹介します。

       < 手紙 >  ― 親愛なる子供たちへ ―

     年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても
     どうか、そのままの私のことを 理解して欲しい

     私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
     あなたに いろんな事を教えたように 見守って欲しい

     あなたと話す時、同じ話を 何度も何度も繰り返しても
     その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
   
     あなたにせがまれて、繰り返し 読んだ絵本のあたたかな結末は
     いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

     悲しい事ではないんだ、消え去って ゆくように見える 私の心へと
     励ましの まなざしを向けて欲しい

     楽しいひと時に 私が思わず下着を ぬらしてしまったり、
     お風呂に入るのを いやがる時には 思い出して欲しい

     あなたを追い回し、何度も着替えさせたり
     様々な理由をつけて、いやがるあなたと お風呂に入った
     懐かしい日々のことを

     悲しい事ではないんだ、旅立ちの前の準備をしている私に、
     祝福の祈りを捧げて欲しい

     いずれ歯も弱り、飲み込む事さえ 出来なくなるかもしれない

     足も衰えて、立ち上がる事すら出来なくなったら
     あなたが か弱い足で立ち上がろうと 私に 助けを求めたように、
     よろめく私に どうか あなたの手を握らせて欲しい

     私の姿を見て悲しんだり、自分が無力だと 思わないで欲しい

     あなたを抱きしめる力がないことを知るのは つらい事だけど
 
     私を理解して 支えてくれる心だけを 持っていて欲しい
     きっと それだけで、それだけで、私には 勇気がわいてくるのです。

     あなたの人生の始まりに、私がしっかりと 付き添ったように、
     私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

     あなたが生まれてくれたことで、私が受けた 多くの喜びと
     あなたに対する 変わらぬ愛を持って 笑顔で答えたい

     
     私の子供たちへ

     愛する子供たちへ

 
 今は、息子や娘に心配させられっぱなしだけど
 いつか私も、子供たちに、こんな手紙を書く日が来るのだろう…。

 そして

 母から、こんな手紙を受け取る日も来るのだろう…。
 

5月10日(日)
怒りは受け取らなければいい

 インドにて…

 お祈りするインドの人たち
 
 
     お釈迦様は、心をいつも明るく
     清らかにしておくことの大切さを説かれました。

 私は、毎日の生活の中で
 『 私はなんて幸せなんだろう 』 と
 感謝の気持ちしかない日もあれば

 『 なんでこんなことが起こるのだろう…』
 
 『 どうして?何が悪かったのだろう…』
                     と、不安や恐怖に怯える日もあります。

 ふつふつと怒りの感情が湧き起こることもあります。
 
 でも、そんな時は

 『 起こることの全てに意味があるのだから
  私は、今、この不安や、怒りの中から、何を学べばいいのだろう?』

 『 私に何を学ばせたくて、この事が起きているのだろう?』

 と考えているうちに、段々と心が穏やかになってきて
 その不安や怒りを覚えさせた出来事に対して

 『 よくぞ、この事を経験させてくださいました。
   この事を経験したお陰で、また一つ、自分の未熟さ知ることが出来ました。』

 と、感謝に変わってくるのです。
 
 そして、『 やっぱり私は、幸せ者だなぁ〜』 と
 心の静けさを取り戻すのです。

 でも、きっと、相手から非難、侮辱、誹謗中傷を受けた時は
 経験だ、学びだ、なんて言ってられないだろうなぁ〜と思うのです。

 そんな時の対処法を
 お釈迦様はユーモアを持って教えてくださっているのです。

 スリランカ初期仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラ師が
 『 お釈迦様のユーモアで心清らかに人生を歩む 』 の中で書かれていて
 とても面白くて、勉強になったので
 みなさんにご紹介しますね。

       
         ― 相手の怒りは、受け取らなければいい ―

    こんなエピソードがあります。
    ある時、一人のバラモン(インドのカースト制度の頂点に位置する
    バラモン階級の司祭)が、お釈迦様を言いたい放題に
    非難・侮辱・誹謗中傷をしました。
    彼は、友人のバラモンが、お釈迦様に論争を仕掛けて負け
    お釈迦様に心服して仏教徒になったことに腹を立てたのです。
    出家したバラモンは有名人だったので、バラモン側の面目は
    丸つぶれでした。

    バラモンはお釈迦様を、普通は人間に対して使わないほどの
    厳しい言葉で罵り(ののしり)ました。
    侮辱されている間、お釈迦様はずっと黙って聞いていました。

    そして、バラモンが疲れて話しをやめた時に
    『 あなたならどうしますか?』
    と切り出しました。

    『 自分の家に来るお客さんのためにご馳走を用意したのに
     お客さんが現れなかったら、そのご馳走をどうしますか?』

    バラモンは 『 家族と一緒に食べます。』 と答えました。

    そこでお釈迦様はおっしゃいました。
    『 いま、あなたは私に非難・侮辱・誹謗中傷などの接待をしましたが
     残念ながら私はそれを受け取りません。
     ですからその非難・侮辱・誹謗中傷は
     どうぞあなたたちご家族で受けてください。』

   途端にバラモンは、自分に返ってくる言葉の恐ろしさに、
   居ても立ってもいられなくなりました。

   どんな誹謗中傷を受けても、怒鳴り返す必要はありません。
   怒りを抱いたら自分が燃えるだけ。
   逆に自分さえ相手の怒りを受け取らなければ
   相手がすべて受け取ることになるのです。
  
   怒鳴られても、藁(わら)人形に釘を打たれてもニコニコしている人は
   それを受け取らないし、心を汚すこともないのです。

  
 なんだか、また一つ
 生きていく上での 『お守り袋』 が増えたような気がするのです…。

5月5日(火)
グル(指導者)とは…

   聖なる河 ガンジス川にて


  師匠と ともに…


 師匠と ともに旅した今回のインドは
 常に 『学び』 と 『感謝』 で満ち溢れていた。

 この旅に導いてくれた師匠に、心から感謝しています。

     リシケーシュのチャンドラ・ムクタ先生から学んだことの一つ…。

     ● 『師匠』 (グル)とは…。

       ヨガの先生も、サンギートの先生も、踊りの先生も、みんなグルである。
       グルとは、指導者、先生(学校の先生なども)、ガイドする人( 導く人 )…という意味。
       
       yogaのグルというと、長い髭を生やした、仙人のようなお爺さんを思い浮かべがちだが
       何も特別な人ではない。
    
       そして

       『 私がグルだ !! 』 とか
       『 私が最高師範だ !!』 とか
       『 私の真似をしなさい !! 』 と言うものでもない。

       グルとは、グルという資格を持つことではない。
       
       資格ではなく

       経験をすること。
       訓練をすること。

       経験がないと、教えられない。

       グルである、自分自身が
       毎日の生活の中で
         
         勉強する。
         研究する。
         体験する。
         実践する。
       
       yogaのグル(指導者)であるためには

       yogaを愛して
       yogaを行い

       自分自身が変わること。

       人生がyogaであること。
       あなた自身がyogaであること。

       
  このことを学びながら
  私は私の師匠のことを思っていた。
   
    そうだ!!
    確かに私の師匠も

            人生そのものが yoga …
                     師匠自身が yoga だ !!
                                     と…。
       そして

          師匠は、私たち弟子や、生徒や、周りの人たちに
          
            健康と幸せを

               与えて
                  与えて
                     与えて
                        与え続けている…。
  
       私に出来る、師匠への恩返しは
      
       私自身が、健康で、幸せであり
       それを、周りの人たちに

             与えて
                与えて
                   与えて
                      与え続けていくこと。

       日々起こる、どんな事も
               『 経験 』 と 『 訓練 』 とし
       どんな小さなことの中にも
               『 学び 』 と 『 感謝 』 を見出していきたいと思います。
 
 

5月1日(金)
インドで学んだこと…

  yogaの聖地 リシケーシュにて



  ヨーガホール


 インドより帰国して、10日余り…。

 帰国してからバタバタしていたけど、ちょっと落ち着いてきました。

 帰国してからの日々は、インドで学んだことを思い出しながら
 自分の生活、行い、吐く言葉の一つ一つを、じっくり見直す日々である…。

 人生をヨーガに生きる事に捧げるため
 離欲と献身と奉仕に生きる、チャンドラ・ムクタさんから学んだこと。

 私は、一生忘れないと思う。

   yogaとは、全ての宗教の中にある真理…。

   yogaのグル(指導者)であるということは
 
      yogaを愛し
      yogaを行い
 
      自分自身がyogaであること
      人生がyogaであること

   そのために

      自分自身が健康であること
      自分自身が幸せであること

   そして
 
      それを、与えて、与えて、与え続けること…。


                 ― 私も yogaであり続けたい ―


                       インドにて、チャンドラ・ムクタさんに出会えたこと
                                        心から感謝いたします−。

                                                 合掌

3月18日(月)
『ブッダとシッタカブッタ』

  この本は、超お勧めです!!

 
  『 先生、これ読んでみてください。
   もう先生は、ここに書かれていることは、充分に分かっていると思いますが
   でも、この間の先生の『diary』読んだら、なんだか悩んでいたみたいだし
   この本、きっといいと思うので、是非読んでみてください。
   先生に伝えたい言葉がたくさん出てくるのです。
   返すのはいつでもいいので、ゆっくり読んでくださいね。』
  
  と言って、いつもニコニコと愛くるしい笑顔でやってくる生徒が
  はにかんだ表情で手渡してくれたのが
  『 ブッダとシッタカブッダ』 の三冊…。

  なんと、この本は、名古屋の師匠のところにもあって
  名古屋に行く度にいつも読んでいた本。
  何回読んでも、毎回新たな気付きがあり
  手元に置いて、いつでも読めるといいなぁ〜と思って
  自分で購入しようと思っていた本なのです…。

  なんとも愛らしいイラストが、穏やかな気持ちにしてくれる。
  人生の理( ことわり )を、実に分かり易く 柔らかに
  押し付けるのではなく、さらりと説いてくれる 『ブッダ』 と、
  不安定に動く自分の 『こころ』 に振り回されて
  悩み苦しむ 『シッタカブッタ』 というブタさんが
  4コマ漫画形式で、問答を繰り返しながら
  少しずつ成長していくブタさんの様子を描いています。

  このブタさんの抱える悩み、苦しみは
  私たち人間の抱えているそれらと同じで
  その本質を実に上手く表現しているのです。

  『ブッダ』 は、多くを語らずして
  『シッタカブッタ』 に人生の理を説いて(気付かせて)いくのです。

  この本が伝えようとしていることは
  『ヨガ』 そのもの…。
  不安定な心の動きに左右されない、生き方を教えてくれている。
  
  パタンジャリの書いた『ヨガ・スートラ』の1章の2

      ヨーガとは心の作用を止滅することである

  というのがあるが、それを、具体的な例で表し
  分かり易く解説してくれているように思えてくる…。

  この著者は、べつにヨガを語っている訳ではないんだろうけど
  きっと、ヨギーが読んだら
  『ヨガ』 がいう 『真我』 だとか 『プルシャ』 とか 『ただ見るもの』 というものが
  とっても分かり易くなると思うのです。
  
  私には、もう既に体得したものと、まだまだなものがある。

   『そのまんま』 を受け入れる。
  「いい」、「悪い」、「正しい」、「間違い」という評価を入れずに
  『そのまんま』 を見る。
  考えない、ただ感じる…。
  ただ、ただ見る。
  見るだけ…。
 
  このことは、いつもヨガの時に
  言っていること…。

  言うのは簡単だけど
  実践は、なかなか難しい…。

  でも、この本を読んでいると
  なんだか 『ただ見るだけ』 も出来そうな、勇気が湧いてくるのです。

  とっても面白いです。


 
     『ブッダとシッタカブッタ』 より、
           いくつか、心に響いた言葉を…。
  
       ぼくたちはものごとを
       ついつい部分的に見てしまう
       先入観や偏見もあるし
       言葉という
       便利だけど不完全な道具を使って
       考えたりするし
       ていねいに見ることをおこたったり
       一点ばかり見つめてしまったりして
       全体的にものごとをみることは
       なかなかできないんだ

       自分のことや
       まわりの人やものごとを
       「そのまんま」見るのではなくて
       「あるべきだ」「あるべきではない」という先入観をもって見たり
       なんらかの評価をして一面的に見てしまったりする
       「そのまんまの自分」を見ることをこわがってもいる

       部分的に見て知って
       理解したと思い込んで満足しがちになる
       満足するとそれ以上見なくなる
       部分にとらわれて思い込みをより深めて
       他の思い込みを持つ者と
       争うはめになってしまう

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       どうやらみんな
       自分が何者かでいないと不安なようだ

       いつか
       自分が何者でもないという安定感を
       さがしていたことに気付くでしょう。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

       知っていても 知らなくても 【理(ことわり)】 はそこ ここにある。

       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   そして、最後に書いてあった、この言葉の意味は深いと思う…。

    
       自分の体験の中から
       自分で気づいて
       自分で体得しないと
       この本もまた
       単なる「知識」のひとつで終わってしまう
       「知識」― それはまたひとつの
       思い込みの種を増やすだけ


    この本を貸してくれた生徒は
    悩み事があると、いつも 『先生〜、ちょっと聞いて欲しいのですが…』と
    私を頼ってきてくれるのですが
    その彼女が、今回は私のために(悩んでいる私のために)
    何かお役に立ちたいと思ってくれて、この本を貸してくれたのです。
    その気持ちが嬉しくて、ありがたくて…。

    私は、こうして目の前にいる生徒や弟子や我が子に支えられ
    導いてもらっているのです。

    ほんとうに幸せな人生・・・。

    ありがとう、ゆりえちゃん−☆



2月12日(木)
未熟さもひっくるめて…

 一昨日の、 私の中に潜む 『弱さ』 と、
 未熟さを綴った 『diary』 を読んだ生徒から
 優しい、暖かいメールが届いた。

 『今』 伝えたい!!という、ほやほやの思いが嬉しかった。

 そして、なんて私は幸せなんだろ〜と、涙が溢れた…。
 
 これからの、私の成長を見ていてね。

    【生徒のメールより…。】

     先生、今日 『diary』 を読みました。
     
     先生の 『diary』 を読んで思い出した言葉があります。

     『 主よ、変えられるものを変える勇気と
      変えられないものを受け入れる心の静けさと
      その両者を見分ける英知をお与えください 』

     先生もご存知かも知れませんが
     これは“ラインホルド・ニーバーの祈り”だそうです。
     詳しいことは知らないのですが
     この言葉は私にとって大切なものです。

     先生は 『心の静けさ』 を取り戻したんですね。

     私が先生を大好きなのは、
     先生が間違いを犯さない完璧な人だからではありません。

     先生の好きなところは沢山あるけれど
     もぅ理屈じゃなく大好きです。

     ちょっと支離滅裂ですが
     いつも先生が大好きで、
     応援していることをお伝えしたくなりました。

  
  私の未熟さもひっくるめて
  私を受け入れて、私を愛してくれている…。
 
  こんなに私に勇気を与えてくれるものはありません。

  これからの私を見ていてね…。

  きっと、きっと、私は成長していくからね…。
  『よく見せる』 見せかけの成長ではなく、
  しっかりと地に足を着けて、『本物』 になるまで…。

  そして、その 『本物』 の輝きで
  きっと、きっと、みんなを照らしていくからね…。

       ありがとう
             啓子ちゃん…。

                      愛してます−☆

2月10日(火)
わたしの中にある 『弱さ』 と 『強さ』

 このひと月間、私はもがいていた…。

 毎日、不安と恐怖、後悔と焦りの中でもがいていた…。
 
 起こるであろうと、予想していた事ではあったが
 いざ、起こると、どう対処していいのか分からない。
 常に、ヨガの教えと、師匠の生き方を目指し生きてきた私は
 こんな時、ヨガ行者として、師匠の弟子として
 どんな行動をとり、どんな言葉を発したらいいのか、判断がつかなかった。
 
 ただ、自分はどうしたいか…だけは、はっきりしていた。

 でも、それは、ヨガの教えに反し、
 ヨガ行者として、未熟な判断だと思っていた。

 常に、ヨガの教えのように
 『 全てを受け入れよう 』 として生きてきたから
 『 受け入れられない 』 ものを作る勇気がなかったのだ。

 そして、きっと、その判断に従って行動した時の
 批判が怖かったのだと思うのです。
 
 これが、私の中の 『 弱さ 』 であり、
 これが、捨てないといけないプライドなのだろう…。
 
 いつも、迷った時や、問題にぶつかった時は
 『 師匠なら、こんな時、どうするだろう…。』 と、考える。

 そして、ヨガの教え、師匠の生き様、師匠の背中から学んだことが
 問題解決に導いてくれていた。
 
 でも、今回は苦しくて、直接師匠に相談した。

 師匠は、『 今の自分のレベルで、受け入れられないものは、受け入れてはいけない 』 と
 教えてくださいました。

 きっと、『 全てを受け入れる 』 ということは
 『 受け入れられないものもあるということを、受け入れる 』 ということなんだろう…。
 きっと、『 受け入れてはいけないもの 』 もあるのだと思う。
 
 師匠の言葉は、私に勇気を与えてくれました。
 私に、ほんとうの 『 強さ 』 を与えてくれました。
 
 『 弱さ 』 を持った、まだまだ未熟な自分を思い知った今、
 なぜ、このような事が起きてしまったのか
 二度と、同じ過ちを犯さないように
 自分を律していきたいと思います。

      師匠…、まだまだ危なっかしい未熟な弟子を
                 これからも、どうか正しい道にお導きください…。
    
           師匠に出会えたこと、心から感謝します。

      そして、私の 『弱さ』 、未熟さを知りつつ
      私を 『師匠』 として、ついてきてくれる弟子たち
      私を 『先生』 として、ついてきてくれる生徒たち
                               ありがとう・・・。

      みんなの手本となれるように
      これからも本気で修業を続けていきます。

      いつも、私を厳しく見ていてくださいね。
      
      私が 『本物』 か、いつも確かめていてくださいね。

      みなさんに感謝いたします。      

 
            ― 『 あなたの強さは、あなたの中にある 』 ―

       何よりもまず、強さを持つことです。
       人生の勝利の歓びにあふれた『寺院』」(正しい道の行き着く先)は
       安定した強さを土台にしなければ築くことができません。

       確かな目的と、それに向かう強い意志がなければ、
       人生は不運と弱さに流され、不安定なまま流され、
       不安定なまま終わります。

       あなたの心に、確固とした目標を定めることです。
       その目標に向けて行動を起こしましょう。
       あなたは、そのときどきに応じた行動をとるでしょうが、
       心が正しい方向を見定めていれば、間違いを犯すことはしないはずです。
       
       ときには、失敗することも、道に迷うこともあるでしょう。
       とくに、大きなストレスには、挫けそうになるかもしれません。
       しかし、心に置いたモラルの羅針盤に従って正しい方向を見極めていけば
       無意味に自分をごまかしたり、なりゆきに任せて諦めてしまうことなどなく
       速やかに自分を立て直すことができるでしょう。
       そしてより賢明に、さらに強さを増して成長していくことができます。

       あなたの良心に従い、信念に忠実にいることです。

       
       自分を 『弱い』 などと思わないことです。
       弱さは強さに変えられます。
       エネルギーを何に向けるかで、それはパワーに変わります。
       思考の流れを、自分を高める方向へ切り替えましょう。
       虚しい願望や、前に進まない後悔は、捨て去ることです。
       不平や不満、自分への慰めは終わりにしましょう。
       悪との戯れ(たわむれ)も、おしまいです。
       顔を上げ、あなたの中に眠る強さを起こしましょう。
       弱さも卑しさも、心と人生からはねのけて
       哀れな偽りの人生ではなく
       自律ある真実の人生を生きることです。
       

             −答えはすべてあなたの中にある−
                           ジェームス・アレン著 より抜粋

12月28日(日)
今以上を目指す

 今年は、師匠からの暖かいお声掛けをいただいて
 名古屋の松下ヨガ学院の忘年会に参加することができました。
 
 参加した松下ヨガ学院の指導員たちが
 『 今年1年がどんな年であったか、
      来年はどんな年にしたいか…』
                     を、一人ずつ発表しました。

 それぞれが、それぞれのヨガへの思いを持ち
 それぞれのヨガを実践し、体得している。
 
 同じヨガを学んでいるからといって
 決して、みんな一緒ではない…。

 それぞれのヨガがあり、それぞれの人生がある。

 ただ、同じなのは
 その誰もが、ヨガと共に生きている…ということ。 
 
 ヨガと出会ったこと、師匠に出会ったことで
 生き方が変わったと、感極まり涙を流しながら話をする仲間がいると、
 聞いている仲間も涙する…。

 みんなで、熱い涙を流し、ほんとに素晴らしい時間を過ごしました。

 そして、最後に、多くを語らない師匠からの言葉が…。
 
        『 みんな、今以上を目指すこと。 』 と…。

 ヨガ修業生心得の中にも  
        『 今 あるを良しとし、現在よりの向上を目指すこと 』
                                   というのがある。

     最も大事なのが、『今』 であり
         そして、今からがスタート…
                  という意味である。

   私はもうこれでいいんだと腰を下ろすと、成長が止まる。
                                そして、老化が始まる。
   
   常に、『 良くなろう !! 昨日より今日…、今日より明日… 』 と、
                               常に、自分を成長させたがること。

           もっと、もっと、人を喜ばせること、
                          喜ばせたがること。

              もっと、もっと、人のお役に立つこと。
                            お役に立ちたがること。

   そのためには、何が、その人を喜ばせるのか
                   何が、その人のお役に立つのか
                                見極める力がいる。

   常に、相手の求めるもの、知りたいことを知る必要がある。

   こうして私たちヨガ指導員は、生徒の求めるもの、知りたいことを知るために
   よく観ようとし、よく聴こうとする。
   
   目で観て、耳で聴き
   もっともっと観ようとし、もっともっと聴こうとする。
   そして、いつか、目で聴いて、耳で観れるようになる。

   私も、今以上を目指し、常に自分を成長させる感性を磨いていこうと決意しました。

   今年も残りわずかになりました。

   今やるべき事、今出来ることは、今やって
   今年に 『 し残し 』 を残さず
   清々しい気持ちで、新年を迎えたいと思います。

   年末はPCから離れることになるので
   これが、今年最後の 『diary』 になります。

   今年、出会った人
       
         起こった事
                   
              全てに感謝いたします…。

                      −本当に、ありがとうございました−

                                            合掌


12月6日(土)
成長

 今日は、早朝から、嬉しいことがありました。
 本当に嬉しい出来事が…。

 それは、早朝ヨガに来た生徒の言葉から始まりました。
 『 先生、私、またステージ( 成長の段階 )を上げることが出来たのです。』
 と、キラキラした瞳で、話し掛けてきたのです。
 『 どうしたの?』 と聞くと、
 『 今までは、頭では分かっていても、
  どうしても、自分の幸せが優先だったのだけど、
  最近は、み〜んなの幸せを考えられるようになったのです。』 と…。
 
 『 わ〜っ、素敵−☆
  凄い成長だね〜!!
  これから、どんどん他人と自分の区別が無くなっていくよ…。
  そして、み〜んなが幸せになれたらいいよね♪』
 と話をして、講座を始めました。

 私は、嬉しくて、嬉しくて、その生徒の話(体験)を
 講座の始めに、みんなに話しました。

 彼女は、ヨガを始めて二年以上過ぎました。
 一年目を過ぎた頃に、
 『 先生、最近、食べ物を目の前にした時に、
  これは身体にとって、いい食べ物か、
  身体にとって、良くない食べ物かが、
  何とな〜く分かるようになってきたのです…。』
 と言っていました。

 今年の夏の終わりには、
 『 先生〜、私、今年の夏は、冷房を付けずに過ごせました〜♪』 と…。

 そして、今日の話…。

 その変化を、ヨガのお陰、先生のお陰だと感じてくれているのです。

 でも、きっとそれは、ヨガや私の力ではなく
 彼女が初めから持っていた力なのだと思うのです。
 ヨガの深い呼吸、ヨガの中での内観行などで
 その力を付けていったのかも知れないけれど、
 ただ、彼女は 『素直』 だったのだと思うのです。

 『素直』 とは、自分の生命(いのち)に対して素直ということ…。

 きっと、神に近いのだと…。

 自分の生命(いのち)が甦る食べ物を見極め、
 生命(いのち)の力が高まるような生活をし、
 神(自分を創った神)が喜ぶことをする。

 彼女は、立派なヨガ行者です。

 そんな生徒を持った私は、
 本当に幸せです。

 彼女と一緒に、成長の階段を
 一歩、一歩と、着実に登っていきたいと思います。
 
     『 人の一生は、自分が、どれ程素晴らしい自分に仕立てあげるかを
      自分で見るためにある 』      
                             沖 正弘聖師の言葉より
 

11月10日(月)
修業(業を修める)

 息子のことを書いた『diary』 が
 かなりの反響を呼んだようで、 
 『 diary 』 を読んだ生徒から
 いつになく、それはそれはたくさんの、嬉しい言葉をもらいました。

 なにかの気付きになったのなら、
 こんなに嬉しいことはありません。

 まずは、みんなが一様に、
 『 読んでいて、涙が止まりませんでした。』 と…。

 気付く ということの きっかけには、
 『 衝撃 』 か 『 感動 』 が必要だと、聞いたことがあります。

  【 親 】 の立場の生徒からは、

    『 自分の子育てについて、
     改めて、振り返るきっかけになりました。
     親のエゴを捨て、
     ありのままの子供を受け入れていきます。』

    『 何気なく日々が過ぎ、子育てをしていましたが
     これからは、一日、一日、一瞬、一瞬を大切に、
     もっともっと真剣に、子供と向き合っていこうと思います。』

    『 自分が【 親 】という立場にならせてもらったこと、
     そして、子育てをさせてもらえるということに感謝し、
     目の前の子らに、素直に、愛と感謝を伝えていきます。』
 
                                     など…。

 そして、【 子 】の立場の生徒からは

    『 親の愛が、どれほど深いものか、感動しました。
     照れずに、親に、ありがとうを伝えます。
     そして、
     その深い愛を感じていれば、それを支えにして
     どんなことも乗り越えていけるという、勇気をもらいました。』
 
    『 私には子供がいないので
     子育ての経験はありません。
     でも、私には親がいます。
     今の私があるのは、深い親の愛情のお陰です。
     改めて、親を大切にしていきたいと思いました。』
                                 と…。
 
  ヨガは、『 つながり 』 『 愛 』 『 感謝 』 を意味します。

  まずは、一番身近な家族を愛すること、
  そして、家族に感謝すること、
  全ては、ここから 始まるのだと思います。

  そして、師匠が言います。
 
     『 一番身近で、一番 わがままや、我 が出やすい家族の中で、
      業(ごう)を修める実践をすることが
      一番の修業になるんだぞ!!』 と…。

  その 【 修業の18か条 】 から二つ。

   ● 理想は 相手や周りばかりに向けず、自身に向けなさい。

   ● らしくする事、そして愛することである。

 口では簡単に言えても、実践は難しいものです。
 そして、その言葉の意味することを正しく理解しないことには
 業の修め方が、自分なりになってしまいます。
 
   ● 理想は 相手や周りばかりに向けず、自身に向けなさい。
   
      これが修業の中で一番大事。
      これを実践すると、不平、不満、愚痴がなくなってくる。
      相手に注文をつけない。
      不平、不満、愚痴が無くならないのは、相手(周り)に甘えているから。
      自分に都合のいい答えは、良し
      自分に都合の悪い答えは、ダメ
              と、自分が裁判官になっている。 
      理想は自分に向けること。自分が気をつける。自分がやる。
      だから、修業する者は、いつも自分を変えるから、自分が忙しい。
      暇な人ほど批評家になる。

  『 そんなことできる訳ないよ〜』 と
  諦めたら、修業にならない…。
  
  そういえば、離婚したことも
  理想を 相手(旦那や姑さん)にばかり求めていたからだと
  今なら分かります。
  自分を変えようとしていなかったのだと、
  自分の強情さ、我、無知さに、恥ずかしくなります。

  今、ラジャ・ヨガ(心のヨガ)の修業を続ける中で
  不平、不満、愚痴を口にすることはなくなってきたが
  まだ、物事を 『 いい 』 『 悪い 』 『 それは、おかしいよね〜』 と
  自分の 『 囚われ 』 や自分なりの 『 ものさし 』 や価値観で
  物事をジャッジしようとする時がある。

  そんな時は、娘や弟子が、ちゃんと教えてくれるのです。
  『 もう、それ以上言わなくていいんじゃないのかな。
   色即是空、いい、悪い はないんだから…。』 と…。
  その時、ハッとさせられます。

  師匠のように、いつか、『 全てを受け入れる 』 ことができたら
  その時、初めて『 心 静か 』 に生きられるのだろう。
  
   
   ● らしくする事、そして愛することである。

       師匠が言います。
       『 これが、お守り袋だよ。
        何かの問題にぶつかったら、これを思い出しなさい。』 と。
       
       何かの問題が起こる時は、らしく していない時が多いと…。
       壁にぶつかった時は

              らしくすること
              その年齢らしく
              その立場らしく
              その義務・責任を果たす
       
       親なら、親らしく
       子供なら、子供らしく
       妻なら、妻らしく
       夫なら、夫らしく
       女なら、女らしく
       男なら、男らしく
       社長なら、社長らしく
       先生なら、先生らしく
       師匠なら、師匠らしく
     
          その義務・責任を果たすということ。

          果たしていない時、問題が起こる。
          果たしていない時、悩む。

      そして、関係者(周りの人)を愛すること。
      喜ばせること。
      きつく喜ばせたがること。
 
  確かに、お守り袋になっている。
  『 わ〜、どうしよう??』 という問題を抱えたり
  『 ん〜、苦しい…』 と悩み始めた時は、
  その場面での自分の立場が何であるのかを考え
  その立場としての、義務・責任を考え
  その立場らしく行動しよう(義務・責任を果たそう)とすることで
  問題も、悩みも消えていくのです。
  そして、そうしていることで
  自然と、周りの人(その問題の関係者)を愛しているのです。 
  
  
 私は、まだまだ未熟です。
 だから、喜んで、修業を続けていきます。
 良く成るための修業は楽しくて仕方ありません。

 『 いい 』 『 悪い 』 を決め付けてしまう 自分なりの囚われや、ものさしを外し
 『 全て あってよし 』 『 すべて 自分が変わればいいのだ 』 と思える
              『 柔らかな心 』…
 批判、比較、競争、のない
               『 静かな心 』…
 いつか、そんな心になれるように
 業を修めていきます。
 
 ヨガに出会えたこと
 ヨガの教えを実践して(業を修めて)いけること
 師匠や、弟子や、生徒や、友人や、家族に支えられていること
 生かされていること
 全てに感謝します。 
                          合掌

8月21日(木)
息子より

  先日の 『 diary 』 親愛なる息子へ を読んだ息子から
  メールが届いた…。

      おっか、
      『 diary 』 読んだよ。

      ありがとう…。

      多分、『ありがとう』 って言うのが
      一番合ってるような気がするから…。

      なんか、
      俺ことを心配して苦しんでいた、おっかを知って、
      俺の胸が苦しくなった。

      ホントに素敵な母やわ!!
      心からそう思っています。

      俺、寂しかった時のこと
      一切、気にしてないし、
      今となっては、お笑いのネタとして使わしてもらってるよ。 

      ありがとう…。

      なんか、あの 『diary』 読んで、
      かなり、お笑いのハードル上がった感じだけど
      楽しんでやってきます。

      おっかの息子でよかった〜〜〜〜!!!

                                       と…。


  家賃二万円の、狭い狭いアパートに住み、
  TSUTAYAで、夜11時〜夜中2時までのバイトをしながら
  吉本養成所に通い、ネタ作りに励む毎日…。
 
        『 俺は、ほんとに幸せ者だと思ってる…。
         だって、大好きな、お笑いのネタさえを考えていればいい毎日。
         こんな幸せなことはないやろ…。
         それを許してくれた、親父と、おっかには、
         ほんとに感謝してる…。
         
         ありがとな…。』
       
  こう言い残して、お盆で帰省していた息子は
  笑顔で、また、大阪に戻っていった。


               高校の卒業式の息子と
               泣きっぱなしで目の腫れた私…。
                                          
                                     母親が出ていってしまった後の
                                     辛く、寂しい思いを噛み締めただろう
                                                   高校三年間…。
                                     その卒業式の日、息子も泣いていた。





                                         息子の
                                         大阪での一人暮らしのための
                                         アパートを探しに
                                         元・家族四人で、大阪へ…。
                                         大阪名物
                                         『 ソース、二度づけお断り 』の
                                         串かつ屋にて…。 

            道頓堀にて…
                                                薄着で寒そうな息子
                                                   
                  この子らの母親になれて、
                        ほんとによかった…。
                  この子らに出会えて、
                        ほんとによかった…。
                  この子らは、
                        私の、誇り…。
通天閣にて…

                元・家族でも
                私には、大切で、大事な
                           一生の家族…。

8月17日(日)
親愛なる息子へ

 お盆の休みを利用して、
 今年の4月に吉本養成所(NSC)に入学した息子が帰省してきた。

 もともと人を笑わせるのが大好きで、
 明るく、目立ちたがり屋で、社交的で、
 そして、なんと言っても、学校一のやんちゃ坊主だった息子。

 でも、やんちゃな反面、
 幼い頃から、誰にも負けない感謝心と、優しさを持ち、
 その優しさ故の、ガラス細工のような壊れ易さも併せ持っていた。
 いつ、そのバランスが崩れないかと、心配でもあった。
 
 そんな息子が、家を離れ、大阪で一人暮らしをしながら、
 厳しい世界に身を置いている。
 そのお陰だろうか、
 人に対する気配り、心配り、優しさ、感謝心に、
 更なる磨きがかかったような気がする…。

 でっかい奴になったというか、大人になったというか、
 きっと、人間的に成長させていただいているのだろう…。

 逞しく成長した息子が、眩しくさえ見える…。

 振り返ってみると、ここに来るまで、いろんな事があった。

 
 息子が、高校の卒業の日に
 私に送ってくれたメール…。

   『 おっか、三年間、弁当ありがとう。
    本当においしかった。
    心から、感謝してます。』

 そして、吉本にいくと決断し、
 大阪に旅立つ前にくれたメール…。

   『 ・・・。
    (中略)
    おっか、そんなことまで考えてくれてて、ありがとう。
    本当にありがとう!!

    おっかのこと、ほんとに尊敬してる!!

    俺、吉本へいくっていうのも、
    厳しい世界やで、不安もあるけど、
    でも、おっかの息子やで、できんはずがないっていうのがあるんや。

    おっか、
    体に気をつけてな。
    美佳(息子の一つ年下の妹)に守ってもらうんやで。』 と…。

 息子が高校に入学してすぐに離婚し、
 私と娘は家を出た。
 息子は、その日から、どれほどの寂しさを抱えて生きてきたのだろうと、
 そのことを考えると、今でも胸が苦しくなる。
 
 それでも、私たちが家を出る日、
     『 おっか、なんか困ったことがあったら、すぐに助けにいくでな。
      離婚しても、俺のおっかには変わりないんやで…。
      おっかは、おっかやで…。
      無理するなや。

      美佳、
      おっかを助けてやれや!!』 と、
                           笑顔で送り出してくれた…。
                       
    私の出した、『離婚』 という決断を受け入れ、
    そんな勝手な母親のことを、最後まで心配してくれていたのだ。

  息子は、学校から帰ってくると、いつも、
  学校でその日にあった出来事を、
  家事で忙しく動き回る私について回って、話していた。

  なのに、その日(出て行った日)以来、話す相手がいない…。
  
  その頃、父親(元旦那)も、付き合っていた女性がいたため
  家に帰ってこない生活だった。
  おじいちゃん、おばあちゃんが居てくれたお陰で、生活は出来ていたが、
  でも、息子は、父親からも、母親からも見捨てられたような気がしていただろう…。

  私は、離れて住む息子に、毎日弁当を作り、
  息子の高校に届けていた。
  息子にしてやれるのは、それくらいしかなく
  毎日、毎日、ありったけの愛を込めて作った。
  三年間、何があっても弁当を作り、届けた。

  弁当箱を開けた瞬間、
  『 俺は、愛されているんだ!!』
  と、感じて欲しかったから・・・。

  卒業の日にくれたメールで、
  それが伝わっていたんだと、ほんとに嬉しかった。

  おっかの弁当は、自慢の弁当だったらしい。 
  
  そして、素直に 『 ありがとう 』 と、
  感謝の気持ちを口にできる、素直な子のままでいてくれた…。

  その頃を振り返り、息子は言う。

   『 おっかは出ていき、親父は帰ってこない。
    俺は、なんで産まれてきたんやろ〜??
    俺は、いったい何なんや??
    って思って、苦しかった。
    
    あの頃は、ほんとに寂しかったと思う。

    あの時、もし、誰かが俺に
    麻薬を勧めていたら、俺はやっていたかも知れない
    と思うほど、寂しかったと思う…。』 と。

  それを聞いた時は、息が出来ないくらいに胸が締め付けられ、
  涙が止まらなかった…。
 
  そんな息子が、今、人を笑わせ、人を幸せにしたいと思っている。

  どん底の寂しさや、苦しさを味わった人間が作り出す 『 笑い 』 … 。

  いったい、どんな 『笑い』 を作り出すのだろう?

  

       息子は、私の生きる様を見てきて、
       きっと、気付いてくれているだろう…。
  
          いい事も、悪い事も、
          起こったこと全てに意味があり、
          それによって、自分が磨かれ、鍛えられ、育てられているということ。
  
            だからこそ…

          起こったこと全てに感謝せずにはいられない、ということを…。

               
      それを伝えられる(自然に伝わる)芸人になれたら、 最高じゃないだろうか…。
                                       
  
  
         親愛なる息子へ…
 
                
                頑張れ!!

                     いつも、応援してるよ。
   
                                そして、愛してるよ…。

                                                 母
   
  

8月7日(木)
偏り

 私の指導している沖ヨガでは、
 一つ一つのアサナ(ポーズ)に修正法があり、
 偏り、歪みを修正していきます。
 調和のとれた、しなやかな身体を作るためには、
 偏りや、歪みの修正が必要です。
 
 言い換えれば、偏りや、歪みがあっては、
 本当にしなやかで、調和のとれた身体は作れないということです。

 また、どんなに強く、健康になりたいと思っていても、
 食べ方が偏っていては、健康は手に入れられません…。

 やはり、『 美 』 や 『 健康 』 にとって、
 『 偏り 』 は、大敵といえるのでしょうね…。

 もう一つ、大切なことを、師匠が教えてくれました。

     それは、感謝の偏り…。

 ヨガの講座の中でも、『感謝の瞑想』 をする時があります。

 目を閉じ、合掌して、
 感謝するべき人や、物、事、を、頭に浮かべ、
 心の中で、『ありがとうございます』 を唱えるというものです。

 心の中で、何回も何回も 『ありがとうございます』 を唱えていると、

    あ〜、自分は一人で生きているのではないんだなぁ〜、
    沢山の人や物に支えられて生きているんだなぁ〜、

 ということを改めて思い知らされ、毎回、熱いものが込み上げてきます。

 目を閉じ、合掌しながら、涙をボロボロ流す生徒も沢山います。

 そんな時、とても、優しい時間が流れます…。


 ある時、師匠が、私に言いました。

    『 感謝も、どれだけ、自分にとって都合の悪いことに感謝できるかなんだよ…。』
                                                     と…。

 私が師匠のところに入門した頃、
 私の中に、ある事、ある人に対して 『許せない』 というような感情があったことを
 師匠は見抜いていたのでしょう…。
 
 それから何年か経ち、師匠は、何気なく私に
 『 ところで、あのことはどうなったんだ…。』 というようなことを聞いたのです。

 私は、
   『 はい、今は、感謝しています。
    そのことがあったお陰で、今の私があるんだと思えるようになったからです…。
    先生に出会い、
    先生の生き様を見てきて
    そして、ラジャ・ヨガも学ばさせていただき、
    だから、今は、そう思えるようになったのだと思います。』
                                      と、答えたら

   『 そうだな。
    自分にとって、都合のいいことに感謝するのは簡単だが、
    自分にとって、不都合なことに感謝できるようになったら、
    それだけ成長したということだ!!

    目の前の世界が変わるぞ!!
    
    感謝も、どれだけ、自分にとって不都合なことに感謝できるか…、なんだ。』 
                                      と、にっこり微笑んでくれました。

  その時、
  感謝も、都合のいいことだけに感謝していたら
  それは、感謝の偏りなんだ、と気付かされたのです。

  でも、『嫌だなぁ〜』 『嫌いだ』 『敵』 だと思えるような相手や
  『 裏切られた』 『騙された』 『許せない』 というようなことに感謝するなんて、
  その時は心に波風がたっていて、出来なくて当然です。

  でも、時が流れ、心の波風が穏やかになってくると、
  『嫌だなぁ〜』 『嫌いだ』 『敵』 だと思う相手は、
  自分を映し出す鏡なんだと気付き、

  『 裏切られた』 『騙された』 『許せない』 というようなことは
  自分を成長させるために起きたことなんだと思えるようになるのです。

  全ては、自分を磨くために用意されたものだと気付き
  感謝せずにはいられなくなるのです…。

  都合のいいことにも感謝し、
  不都合なことにも感謝する…。

  師匠が言うように、
       
       感謝の偏りをなくした、今…

         わたしは、

       以前とは違う世界を見ているような気がするのです。

  

7月25日(金)
師匠の言葉

  私は、今、本当に幸せを感じながら生きています。

  こんなに幸せでいいのだろうか…と、不安になるくらい
            
          幸せなのです。
  
  でも、それは、もしかしたら、
  私の、物事の捉え方、考え方が変わったからかも知れない…。

  理想を、他に向けず、自身に向けるようになったからだろうか、
  不平、不満、愚痴、悪口を言うことがなくなり、
  その代わりに 
  幸せだなぁ〜と感じ、お陰だなぁ〜と感じ、感謝することだらけの毎日…。

  同じ状況でも、以前の私なら
  これほどまでに、幸せを味わうことはできなかっただろう…。

  やはり、ヨガのお陰であり、
                   何より、師匠のお陰である。

  私は、本物のヨガ行者(師匠)に出会えたから…。

  師匠に、
  
    『 先生、私、今、本当に幸せなんです。
      こんなに幸せでいいのだろうかと思うくらいに幸せなんです。
      これも、先生のお陰です。
      先生、本当にありがとうございます。』
                            と、伝えた時である。

  師匠は、

    『 それは、私の力ではない。
      君自身の力だよ。
      君が持っている力のお陰なんだよ。

                    私は何もしていない。 』

  そして、

    『 それに、君が幸せなのは、君がヨガを仕事としているからだよ。
      ヨガで、人を喜ばせようとしているから
      君に喜びがやってくるんだ。
      君は、命懸けで、人を喜ばせようとしているだろ、
      だから、幸せになって当たり前なんだよ。 』

  そして、続けて、

    『 君は、先生のお陰です、先生のお陰です、と言うが、
      私は何もしていない。
      私はただ、ヨガの教えに従って生きているだけ。
      ラジャ・ヨガの教えを実践しているだけ。
      ただ、それだけ。

      そこには、何の、はからいも、からくりもないんだよ。 』 
                                      と…。

   日本のヨガブームを作った第一人者である、ケン・ハラクマ氏も
   最近出版した著書の中で、こう語っています。     
 
            ― ヨガは トレーニングではなく、生き方です ―




   日頃から、多くを語らない、静かな師匠は、
   ただ黙って、その生き様で、
   私たち弟子を、導いているのだろう…。

   偉大なる師匠に
            尊敬と、感謝を込めて
                           合掌…。
   


7月13日(日)
無我


  
  先週は、ラジャ・ヨガ(心のヨガ)勉強会でした。
  
  今回で、3回目の勉強会になり、
  今回の参加者のほとんどが、3回とも継続しての参加でした。

  3回とも継続して受けてくださるということは、
  この勉強会で、何かを得てくれているということ、
  ほんとに嬉しい…。

  企画してよかったと、心から思う。

  今回は、机を出さず( 堅苦しくならず、みんなが話し易いよう )
  円になって ( お互いに、全員の顔が見れるように ) 座り、
  座談会形式にしてみました。



  みんなの 『 学びたい 』 という真剣な思いが伝わり
  いつのまにか、私は 『 無我 』 になって話していた。


   師匠が教えてくれた 『 無我 』 とは…

   『 我 』 を無くすということ。

   自分を透明にするということ。
  
   変な自己主張をしない。
   私がやりました、私が、私が…と自己主張せず、ただ黙ってやる。
   主張しないで、お役に立つ。
   自分の義務・責任を果たす。
   『 よく見せよう 』 、『 うまく見せよう 』 としない。
   『 うまくできるだろうか 』 という不安や、劣等感もどける。
   目の前に居る相手に100%心を遣う。
   相手に、よりわかりやすく、より丁寧に…。


   『 無我 』 になって話しをしていると
    自然に、涙が溢れてきた…。

    生徒も涙を流していた。

    そこには、なにか、温かい、優しい 『 気 』 が溢れていた。

    みんなが、一つ ( 一体 ) になるということ…。

    ヨガが意味する、『 調和 』 『 繋がり 』 『 愛 』 …
    すべてが、そこに存在していたのだと思う。

    参加してくださったみなさん、本当にありがとう…。

                                          合掌



7月 4日(金)
『 よく見せる 』 より 『 よく成れ 』

 私が、師匠の元でヨガの修業を始めて
 いつも、自分自身に言い聞かせていることがある。

     『 よく見せる 』 より 『 よく成れ 』

 師匠がいつも言う、この言葉である。

 ヨガの指導にいく時も
 初めての人に会う時も
 友達や家族といる時も
 もちろん、師匠の前でも
 そして、
 私のことを高く評価してくだっさている人の前では尚更…

 とにかく、どんな場面においても
 『 よく見せる 』 より 『 よく成ろう 』
 『 見せかけ 』 の自分ではなく、『 本物 』 になろう!!

 建前ではなく、本音で生きていけるよう、
 本音と建前が合致するように
 本音の部分を成長させよう!!と、

 自分に足りないところは、喜んで勉強し、身につけていきます!
        余分なところや、害するところがあれば、喜んでどけていきます!
 
 この精神で、日々励んでいます。

 いよいよ、明日は 『 ラジャ・ヨガ勉強会 』 です。

 参加して下さる人の多くは、私より人生を長く生きてきた人であり
 人生経験も豊富で、立派な方たちです。

 私なんかでいいのだろうか…?
 と、弱気になったり、緊張したり…。

 師匠にそのことを話すと、
 『 よく見せようと思わないことだよ。
  そして、
  その方たちから、学ばせてもらうという姿勢を忘れてはいけないよ。 』 と。  

 よく見せようという思いが強いと、緊張感も強くなってくる。
 
 よく見せようとせず
 ありのままの私で、精一杯、お話ししていこうと思います。
 そして、
 参加して下さる人たちから、いろんなことを学ばせていただこうと思います。

 『 ラジャ・ヨガ勉強会』 …
 もし、興味を持たれた方は、ぜひ、お越しくださいね。

                                        合掌
 


6月17日(火)
友人の抜粋から…

 日頃…
 読んでいる本、美容院で手にした雑誌の中、
 街角や駅のポスターの中、
 出掛けた先のトイレのカレンダー、
 街角のお寺の入り口の掲示板など、
 
 ふと、目に飛び込んできて
 
 すっと、心に染み込んでくる言葉がある。
 
 ゾクゾクっと、自分を奮い立たせる言葉がある。 

 すべてが、今の自分に必要な言葉だからこそ、
                           心に響くのだろう…。

 
 そんな言葉たちを
 その場にペンを持ち合わせていれば、手帳に記している。

 先日、友人と仕事の打ち合わせをしていて、
 友人が、スケジュール確認の為、手帳を開いたら
 友人の手帳からも、そんなページが出てきて見せてくれた。

 友人の抜粋から…

     
      悲観は気分、楽観は意志

      お前ら!!死ぬ気で頑張って、そのざまか?

   
     
     楽しいから笑うのではなく、
     笑うから楽しいのだ。

     ほとんどのことに
     遅すぎるということはない。

     人生の前半生と後半生は
     はっきりと生き方を変えるべきだ。

     大切なのは、過去をどう生きたかではなく
     いまを どう生きるかである。

     『 足るを知る 』 という姿勢こそ
     死を引き受けるのに役立つ。

     特別なことをしなければ
     生きている価値がない
     という考え方は間違っている。 

     
     ≪ 人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力 ≫
       
           ・ 考え方にはマイナス点もある。
             
           ・ プラス方向の考え方とは
             常に前向きで建設的であること。
             感謝の気持ちを持ち、みんな一緒に歩もうという
             協調性を有していること。
             明るく肯定的であること。
             善意に満ち、思いやりがあり
             やさしい心を持っていること。
             努力を惜しまないこと。
             足るを知り、利己的でなく
             強欲でないこと。 
         
        友人が、≪ 人生・仕事の結果 = 考え方 × 熱意 × 能力 ≫について
        付け加えて説明してくれました。
               
             考え方が大事。
             考え方がマイナスだと、いくら 『 熱意 』 や 『 能力 』 があっても
             掛け算だから結果がマイナスになってしまう。
             オウム真理教の事件がいい例。
             教祖様に付いていくという絶対的な 『熱意』 があり、
             有名大学を出た 『能力』 のある人たちが起こした事件。
             すぐれた 『 熱意 』 や 『 能力 』 がありながら
             ただ 『 考え方 』 がマイナスだったから、
             結果もマイナスになってしまったんだよ、と…。       

   さぁ〜!!
       言葉から教えられたこと…
              知った止まりにならないように
       
                     即、実践します!!

 

6月4日(水)
一流

 中田英寿…
          NAKATA…

 新聞も取ってなくて
 テレビも、ほとんど見ない生活の私に
 先日、友人から 『 中田の特集番組やってるよ!!』
 と、電話をもらった。

 慌ててテレビを付けたけど、半分以上は済んでいた。
 でも、そこから、食い入るように見た。

 私は、特に中田英寿に興味があった訳でもなく
 ファンだった訳でもない。
 
 どちらかというと、インタビューなんかを見ていて
 なんか、冷たい表情の人だなぁ〜と、よい印象を持っていないくらいだった…。

 でも、以前、たまたま付いていたテレビで、
 中田が(呼び捨てですみません。でも、呼び捨てが似合う男!)
 プロのサッカー選手を引退し、世界を旅し続けているという映像を見たのです。

 そして、その中で
       『 人間、いい時も、悪い時もある。
        だからこそ、常に <自分> というものを、しっかり持っていないといけない。
        周りの人や、起こることに左右されていてはいけない。 
        自分の目の前にあることが、全てであり、それ以上でもそれ以下でもない。』

       『 遠くで起こることや、人の考え方について、心配したり怒ったりしても、意味がない。
        目の前にあることを正しい目で受け止め、それを受け入れ、
        自分がその中でやれること、やりたいことを精一杯やれば良い。』

  みたいなことを言っていた。( あまりハッキリは覚えていないけど…)

  それを聞いた時、とにかく、感動した!!! 
  
        そう!そう!そうなんだよねぇ〜!!!

        私がヨガで伝えたいこと、それなんだよねぇ〜!!!
 
  なんて、ひとりで興奮していたのです。

  その話をしていたから、今回の特番を、友人が知らせてくれたのです。

  今回の番組の中でも、中田の言葉に、何回も、何回も、うなずいた…。

  私が以前感じていた、冷たい、無表情、という印象…。
  その訳が分かった!!
  
     サッカーは世界で最大のスポーツ。
     それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
     選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為の責任を負う。
     勝てば、自分は何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び
     負ければ、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。

     プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても
     「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
     責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも
     子供のころに持っていたボールに対する瑞々しい感情は失われていった。

     これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為
     ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、
     またある時には敢えて無愛想に振舞った。

   中田の苦悩を知り、心が痛んだ…。

   中田は、必死に耐え、厚い殻を作り、自分自身が壊れないように
   無表情、無愛想が、彼の処世術だったのだろう…。

   そして、今…

      サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。
      サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。
      喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。

      もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。
      それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、
      “糧”となり、自分を成長 させてくれた。

   と、全てに感謝し、全てを 『今』 に 活かしている。

   やはり、サッカーを( 一つのことを )極めた男、中田が発する言葉には
   口先だけではない、経験からくる 熱い想い、魂が込められていると感じた。

         彼は今も旅を続け、何かを探し続けている。

   世界の現状にも目を向け、
   世界の飢餓・貧困、地球温暖化においても、 
   マスコミが伝えることを、ただ信じるのではなく
   実際に、自分の目で確かめようとしている。

         そして、今、自分に何が出来るのか

         頭で考えるのではなく、感じようとしている…。

   以前、イチロー選手の特番でも、同じような感動を覚えた。
   イチローも、プレッシャーに押し潰されそうになりながらも
           果敢に戦い続け…
   そのプレッシャーや苦悩、挫折をバネにして、
   常に、頂点に君臨し続ける。
  
                プロフェッショナル…   

                   一流…

           『一流』 という言葉が浮かんできた。

           一流 には、一流 が放つ輝きがある。

                  オーラがある。

                 その輝き、オーラは、
               その人が歩んできた人生の
              苦悩、挫折、努力、忍耐などを
                        
                 全て感謝に変えた時、

              輝きを増すのではないだろうか…。
                           

 

5月21日(水)
ラジャ・ヨガ 勉強会



 日頃のヨガの講座の中で
 その日の生徒を見ながら、自然と、私の口から出てくる
 ラジャ・ヨガ(心のヨガ)の教義…。

 今も、師匠の元で ラジャ・ヨガ を学び続けているが、
 一生、学び続け、命懸けで実践していきたいと思っている教えである。

 なぜなら…
 その教えを身につけ、見事なまでに実践している
 師匠の生き方、生き様を見ていると
 真実(ほんとう)の幸せ、真実(ほんとう)の生き方というものは
 こういうものなんだと気付かされ、
   
   『 私も、師匠のような生き方がしたい!!』
 
   『 師匠のように、自分も幸せであり、周りも自然と幸せになるような
    真実(ほんとう)の幸せを味わいたい!!』
 
 と、私を奮い立たせるのです。

 師匠から受け継いだ教えを、講座の中で少しずつ話しているのですが
 
  『 先生がいつも講座の中で話してくださる、ヨガの教えが
   心に響いています。もっと知りたいのですが…。』 とか、
 
  『 日々の生活の中で、辛い時、迷った時、落ち込んだ時、
   先生の言葉(ヨガの教え)に救われています。
   先生方は、どういう物で勉強しているのですか?』

 との声を聞くことがとても多くなり、
 それなら、生徒のみんなと一緒に、ラジャ・ヨガを勉強する時間を作ろう!!と、
 特別講座として 『 ラジャ・ヨガ勉強会 』 を行いました。

 一回目の講座には40人近い人が集まり
 共に、真剣に、ヨガの教えを学びました。

 二回目も、同じく40人近い人が集まりました。

 こんなに多くの人が、学びたいと思ってくれていることに
 嬉しさを感じながら、身が引き締まる思いであり、
 みんなの、学ぶ真剣な表情に、私は感動しました。

 みんな、誰もが、より良い生き方がしたいと思い、
 何か( 生きるヒント)を求めているんだなぁ〜と、
 強く感じました。

 生き方を変える勇気、覚悟を持った時
 人は変われるのだと思います。

 私は、この 『 ラジャ・ヨガ勉強会 』 に参加した人たちを
 心から尊敬します。
 そして、そんな勇気と向上心を持った
 たくさんの生徒を持っていることを、私は誇りに思います。

 私も、みんなと一緒に、どこまでも成長していきたい、
              一緒に、喜びや、幸せを感じていきたいと
                        心から、強く、思っています。

 みんなで一緒に、真実(ほんとう)の幸せを味わい、
    そして…
 その自分から溢れ出る幸せで、
      周りの人たちに、幸せを伝染させていきたい。

 人を幸せにすることなどできないのです。
 なぜなら、自分の幸せと、人の幸せは違うから…。
 人の人生を生きることはできないから…。

 できることは、
 まず、自分を愛し、自分を認め、自分が幸せになること。
 自分を犠牲にして、人を幸せにすることはできない。
 それは、真実(ほんとう)の幸せじゃないから…。

 まずは、自分が、心から幸せだと思えるような、
 自分の生命(いのち)が喜ぶような生き方をすること…。

 そのために、私は、一生 ラジャヨガ を学び続け
 一生、自分を成長させていきたいと思うのです。
 
 
 
 ご夫婦、親子で、仲良く参加された方もいました。



 第3回目の 『 ラジャ・ヨガ 勉強会 』 を企画しました。

       ・ 日時   7月5日(土)
                11:30〜13:30
       ・ 場所   manaヨーガ学院
       ・ 受講料  2000円 / 人 ( お茶とお菓子が付きます )
       ・ 持ち物  ノート、筆記用具

     ヨガ講座の会員でなくても、大歓迎です!!
              ( 会員でない方は、メールにて申し込みを受け付けています )


  ご夫婦や、親子、恋人など、
  一緒に生きる人と共に勉強する事をお勧めします。

  ぜひ、大切な人をお誘いください−☆


4月13日(日)
一周年

 昨年 4/2に 『mana ヨーガ学院』 を立ち上げて、もう一年が過ぎました。

 この一年は、私の人生の中で、
 最も長くて、最も短い一年だったように思います。
 長くもあり、短くもあり…。
 
 そして、今、つくづく感じています。
 
 私は、真実(ほんとう)に幸せだなぁ〜と…
         そして、真実(ほんとう)に自由だなぁ〜と…

 幸せとは
 自分で感じとるもの。
 いつも、自分が決めている。
 だから、私はいつも幸せ…。
 
 自由とは
 義務と責任を果たした分だけ得られるもの。
 それ以上でも、それ以下でもない。
 それ以上を望むから、不自由だと感じる。
 自分が欲しいと思う自由の分だけの
 義務と責任を果たせばいいだけ・・・。
 だから、私は、いつも自由…。

 そして、もっともっと、周りの人たちを喜ばせたいと思っています。
 
 もっともっと、周りの人たちを愛していきたいと・・・。



 私の師匠の師匠 『大槻高弘導師』 が詠った
 『ヨガ』 が意味する 『愛』 の歌です。
 
     ≪ 相手のよろこび 失くして、 我が よろこび無く、
      
      相手のよろこび 有って後、 我が よろこび成る。
      
      これを 『愛』 といい、 『調和』=『ヨガ』 という。
      
      愛なき者に 愛は来たらず。
      
      心なき者に 心は解らず。
      
      我 愛なくして 心なくして 生くるを望まず。≫



  そして、一周年を迎え、
  私から生徒に伝えたい
  感謝の気持ちと、今の思いです。


      早いもので、
      manaヨーガ学院を立ち上げて一年になりました。

      振り返ってみると、無我夢中で過ごしたこの1年は、  
      10年分くらいの年月を、1年で一気に駆け抜けたような気がします。
      この1年で、たくさんの人に出会い、そして多くの事を学ばさせていただきました。

      私は、いつも目の前に居る人が自分の先生だと思っています。
      師匠、生徒、友人、家族、全てが私の先生です。
      その先生から、様々な事を学び、常に自分の成長に活かしています。
   
      囚われや、自分なりの 『ものさし』 ・価値観を外し
      学ぶべきもの、感謝すべきものに満ち溢れた
      本当の意味での豊かな人生にしていきたいと思っています。

      今のmanaヨーガ学院、そして上野直美があるのは、
      みなさんの温かい言葉掛けや支えのお陰だと、心から感謝しています。

      これからも、みなさんに安らぎと健康と愛を感じてもらえるような
      温かく優しい空間を作っていきたいと思っています。
    
      ヨガは 『繋がり』 と 『感謝』 を意味します。

      これから先も、みなさんと繋がっていられますように…。
      みなさんを愛しています。
 
      

2月29日(金)
『 生き方直しだよ 』 と、師匠は言う…

 以前(もう何年か前に)、師匠に聞いたことがありました。
 『 先生、ヨガを指導するって、どういうことなんでしょう?』 と…。

 なんか、抽象的な質問をしてしまったかなぁ〜と、申し訳なく思っていると
 師匠は、即座に
       
      『 生き方直しだよ!! そして、世直しなんだよ!!』

 と、力強く答え、私の目をじっと見つめて、にっこりと笑ったのです。

 師匠の本気さ、真剣さが、私の心に光線のように届いた瞬間でした。

 今でも、その時の、ゾクゾクっとした感じを覚えています。

 その時から、師匠の元で修行を続け、もう何年かが過ぎ、
 師匠が言うように、私の生き方、考え方、思考の癖が、確実に変わったと実感しています。

 最近、それを証明するかのようなことが
 続け様に、二つもあったのです。

 一つは、もう20代から通っている歯医者さんでの出来事…。

 先日、何年か振りに、その歯医者さんに行ったのです。
 いつもなら、歯の治療中でも(口を開けて、ウィィ〜ンとやってる状態でも)
 お構いなしにガンガン話し掛けてくる先生が、
 今回は何も話し掛けてこないのです。
 まぁ〜、ふつう治療中は、口の自由が利かないので
 しゃべり掛けないのが普通かも知れませんが…。(ここの女医さんは、お話が大好きなのです)

 で、四回ほど続けて通って、その四回とも話し掛けられることもなく、
 何か以前と雰囲気が違うのです。

 なんでだろ〜??
 あんなに陽気だった先生が、この何年かの間に陰気になったのかなぁ?
 身体の具合が悪いのかなぁ〜?
 精神的に悩みがあるのかなぁ〜?
           なんて心配していたのです。

 そしたら、治療の最終日になって、原因が分かったのです!!!

         原因は、私だったのです…。

 最終日の帰り際に、
 私がヨガの修行をし、現在、ヨガの指導を生業として生きていることが分かった瞬間、

    『 あ〜〜〜、だから、あなた、変わったのねぇ〜〜〜!!!』 と、

 謎が解けて、スッキリした表情で目をキラキラさせているのです。
 
 そして、『 あなたの雰囲気が以前とあまりにも変わったから、
       助手の子らと、上野さん、どうしたのかしらねぇ〜
       なんて言って、心配してたのよ〜。』 と…。
 何か生き方を変えるような、大変な事があったのだろうと、
 気を遣って、話しかけられなかったのだというのです…。

 以前の私は、もっと、せかせか、キリキリ、とした雰囲気だったらしく
 今は、とっても穏やかで、しなやかな雰囲気になっているのだと…。
 
 その女医さんは
 『 やっぱり、ヨガの呼吸のせいなのねぇ〜。』
 『 そんなに変わるなら、私もヨガやろうかしら…。』 と…。

 もう一つの出来事は
 離婚してから、離れて暮らす息子の一言…。
 
 先日、一緒に一泊で旅行に行き
 帰ってから、メールがきたのです。

  『 おっか、変わったなぁ〜。おっかの新たな一面をみた気がした。
   旅行ほんとに楽しかったよ。また旅行いこうな…。』 と…。

 私の生き方を変えたもの…
 
 ヨガの呼吸、ヨガの教え、
 そして、なんと言っても、師匠との出会い…。

 同じヨガでも、誰から学ぶか…?
 これは大きいと思うのです。

 師匠が以前、こんなことも言っていました。
 
      『 生き方を変えるもの…
               それは ≪出会い≫と≪気付き≫、この二つなんだよ。
            
              誰と出会うか…
                     そして、何に気付くか… 』

 私が師匠と出会い、そして気付き、師匠から学んだ生き方を
 今度は、私が、私と出会った人たちに伝えていきたいと思っています。

 なにごとも( 良い事も、悪い事も )全て受け入れられる
                         穏やかで、しなやかな生き方…。
 
 そして、全てに感謝できる、下座道の生き方…。
 
      
      そんな生き方を
         生き様で見せてくれる
           素晴らしい師匠に出会えたことに
                         心から感謝します−☆
                                           合掌
  

1月27日(日)
バランス

 バランス…

 バランスのとれた生き方をしている人って、素敵だと思う。
 
 旅行先で、ふっと見かけたポスター…。
 外車のメーカーのポスターに書かれていた言葉…。

 思わず立ち止まり、吸い込まれるように読み入っていました。
 そして、書きとめていました。

  これが、バランスのとれた人っていうんだろ〜なぁ…。


   大人の哲学を持ち、    子供のような純粋さを持つ人。
   
   主流なのに、        心は反主流である人。
   
   スーツも着こなすが、   ジーンズもはきこなす人。
   
   人生も語れるが、      ジョークもうまい人。
   
   有意義も好きだが、    無意味なことも好きな人。
   
   ワインにも詳しいが、    恐竜にも詳しい人。
   
   常識は持っているが、   決して縛られない人。
  
   I T には詳しいが、    手紙は万年筆で書く人。
   
   家庭を愛しているが、   時には家庭を忘れられる人。
   
   孤独も好きだが、      社交も上手な人。
   
   常に冷静だが、       時には情熱的になれる人。
   
   クラシックも聴くが、     ロックも愛している人。
   
   自信はあっても       過信はしない人。       
   
   美術館にも行くが、     ジムにも行く人。
   
   協調もできるが、       反論もできる人。
   
   夜更かしはするが、     朝きちんと起きる人。
   
   守るものが多くても、     冒険できる人。
   
   部下には優しいが、     上司には厳しい人。
   
   食べるのも好きだが、     料理もできる人。
   
   上質にはこだわるが、     贅沢は好きじゃない人。
   
   自分の誕生日は忘れても、 約束の時間は守る人。
 

 素敵だと思いませんか?
 
 こんなバランスのとれた人は
 きっと、全てのことを受け入れる力があるんじゃないかなぁ〜と思うのです。
 
 私が尊敬する人は、みんな
 『 その考え方は おかしいよ!』 とか、
 『 その生き方は 間違ってるんじゃないの…』 とか、
 相手を否定するようなことを決して言わない…。

 相手の考え方、生き方を、認め、尊重するだけの余裕があるのだろう。
 自分自身のバランスがとれているから、常に安定していて、
 その安定感からくる余裕なんだろうなぁ〜と思うのです。

 そんな人の側に居ると、自分も心地よく伸びができて、
 自然と穏やかになり、次第に安定してくるのがわかる。

 ヨガの目指すものも、バランスと安定…。
 
     絶え間なく 『変化』 しながら、『バランス』 をとることによって 『安定』 する。

 これは、自然法則でもある。

 私も、私の側にきた人たちが、
 心地よく伸びができて、自然と穏やかになり、次第に安定してくるような
 バランスのとれた、余裕のある人間になりたい!!
 そして、そんな安定感のある、居心地のよいスタジオにしていきたいと思います。

 バランスをとるために、常に変化できる、しなやかな心を持っていたい…。

 

1月18日(金)
今年もどうぞよろしく

  2008年を迎えて、もうずいぶん過ぎてしまいましたが
                    今年も、どうぞよろしくお願いいたします…。

  考えてみると…
  私は今まで、 『今年の抱負』 とか、『目標』 というものを持ったことがないのです。
  
  きっと、計画性がないというのか、行き当たりばったりの人生なのかもしれませんね。

  それでも、毎年、毎年、たくさんの素敵な人との出会いがあり
  そして、その人たちに支えられ、助けられ、
  本当に幸せな充実した日々を過ごしてこれました。

  充実している今こそ、
         原点に戻り、
           そして、気を引き締めて

       一日、一日を大切に、『愛』 と 『感謝』 を持って生きていきたいと思います。
                      

        ≪ 欲 vs 愛 の4要素≫ 

    get - give   
    欲 - 愛

    得ようと思わず、与えることができれば、

    hold - leave  
    執着 - 笑い

    保とうとせず、自由に放つことができれば、
          
    compare - accept  
    比較 - 大肯定

    比べようとせず、受け入れ認めることができれば、

    more - enough  
    不満 - 感謝

    もっと、もっと、と思わず、足ることを知れれば、

    世の中のこと、全ての仕事、全ての活動は、
    『欲』からもできるし、『愛』からもできます。

    人類の素晴らしい芸術や文化や偉大な仕事は、
    全てどれも『愛』からもたらされたもの。

    日常の優しさや、嬉しさ、楽しさも全て、
    『愛』からであれば本物。
    『欲』を捨て、消す、ということは、
    『愛』の方向へ進むということ。

  今年も、大きな目標も、抱負もないけれど、
   
  自分の発する言葉を、『愛』 を持って発し
  自分の起こす行動を、『愛』 を持って行い

  『愛』 のある方向に進んで行きたいと思います。

  『愛』 に溢れたスタジオに、ぜひ、遊びに来てくださいね…♪

 
★ スタジオも新年の装いです…



★ 受付も、お正月バージョン…



  
★ 新年の、立ち木のポーズ


 

 ★ ちょっと怠けていたら、足が上がらない〜!!