ついにこの時が来てしまいました…。
今年の4月から、海外に住む彼(イタリア人)の元へ行くことになりました。
うれしい反面、どんな時も一緒だった最愛の母と離れるのが寂しくてたまりません。
私が中学3年生の時に両親が離婚して以来、私は母とずっと2人で支え合い、
毎日笑ってほんとに仲良く暮らしてきました。
いつもスッと姿勢を正し、凛と生きる母のその背中を見て私は今日まで生きてきたのです。
強く、柔軟に、しなやかに、繊細に、陽気に、そして常に前向きに生きているその姿は、
女性らしさの他に、ここぞ!という時には潔く覚悟を決めて腹をくくる、
まさに武士のようなところがあります。
母はよく「いつ死んでも悔いはないわ」と言います。
この言葉は簡単に発せられるものではありません。
一瞬一瞬を真剣に、そして毎日“ し残しを残さない ”ように生きている母だからこそ、
この重みのある言葉が出てくるのだと思います。
それは真に「命には限りがある」ということを悟っているからなのでしょう…。
そして私に小さな頃から「命を無駄にしなさんな」「魂を汚さないで」と言い続けてきたのも、
“ 明日をも知れぬ命 ”を正々堂々と清く生きていくことの意味を、私に諭すためだったのだと、
今になってようやくわかってきました。
そんな母からしつけられた日々のたしなみや生き方の教えは、
私がこれから人生を生き抜いていくのに最も大切なものとして身に付いています。
母は、私が幼い頃からよく
「生きていく上で“素直さ”と“謙虚さ”、この2つさえあれば、人生豊かに幸せに生きていけるからね」
と言いました。
人に悪いことをしたな、と思ったらすぐに謝る。いいと思ったことはどんな事でもすぐに取りかかる。
人から言われたことは、自分に都合が悪いことであっても真心で聞き、
決してさからわず、学ぶ機会をいただけたことに感謝する。
母はいつもこう言います。「厳しい意見があることは、生きていく上で本当に大切なことなのよ。
それがなかったら人間は、すぐに傲慢になって、ついには裸の王様になってしまうからね…。
お母さんにはいつも厳しく言ってくれる人が沢山いるから本当にありがたいの」と。
母の日頃の表情や佇まいからは、「自分以外の全ての人を師として教えを請おう」とする謙虚な心構えがうかがえます。
それは50を越えた者にとって普通にできることではない気がします。
“素直さ”と“謙虚さ”というこの2つを一生の御守りにして
これからもどの地に居ようが母のように凛と、そして清々しく生きていきたいと思います。
私のこれから先の人生、どんな苦悩や困難が降りかかってきても、
「こんな時、あの母ならどうするだろう」と考え、乗り越えていきます。
私が海外に行ってしまうと、独りになる母が一番寂しくなるだろうに、
「美佳、愛する人の元に一刻も早く行きなさい」と背中を押してくれたのは母でした。
これこそが、子の幸せを願う、母の深い愛なのでしょうね…。